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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
6 *変動/wish*1
 ――神は私だ。邪魔はさせない。

 澄みきった光がステンドグラスの色を透かして降り注いでいる。
 磔にされたイエスの姿を光が床におろしていた。
 寒い教会の中、少年が吐いた息は真っ白な綿になって消える。
 静かな教会にたった一人。
 赤い絨毯の上に立っていた。
 いや、絨毯が赤いのではない。
 たった今、赤く染まったのだ。
 思い出したくない。
 思い出すと辛い。
 そうしてまた、最後の思い出を封じる。

                 *               *              *

 殺意と、悪意と、絶対的な滅びを司った怪物が誕生した。
 どうして神はそんなものの存在を許したのだろう。
 黒ずみ、がさがさとした外装、中からどろりと灰褐色のものを垂れ流すその姿をどの神話の中の化け物にも例えようが無い。
 純白の舞台を汚したそのこぶし大の物体に憎悪と危機を感じながら、絹夜は問う。

「風見、これは何だ…………」

「シュークリーム」

「シュークリームに黄緑色の触角は生えない」

 関係の無い絹夜でさえ腸煮えくり返る出来の物体。
 ぱっと見、隕石か、深海生物に思えるそれが食べ物であるとわかると我が目を疑わざるを得ない。
 何故チロルがそれをシュークリームと断言できるのか理解が出来なかった。

「貴様、私の親切心を踏みにじりやがって……」

「俺にだって我が身を守る権利くらいある」

 調理実習をサボっていた男の子にお節介な女の子が屋上まで差し入れをしてくれる、そこまでは青い春。
 だが、彼女の持ってきたものはカオスの化身、悪の根源、内部破壊を目的とした兵器だった。
 そして、タチの悪いことに製作した本人にはその自覚が無い。

「お前、これ味見したのか?」

「止められた」

「…………」

 そりゃそうだろう。
 というか、同じ材料でこのような結果になるのが不思議だ。

「どう考えたってそれを喰って無事なわけが無いだろう。実力では敵わないからといって俺を暗殺しようとは卑怯なやつだ。
 せめて普通のメシに毒を混ぜろ」

「失礼な。こんなに可愛いのに」

 そういってチロルはシュークリームだと言い張る物体の黄緑色の触手に指を当てた。
 それに反応して他の触手もざわざわと動く。
 さすがの絹夜も鳥肌を立てた。
 どんな邪神の力を借りて作ったか知れないが、食べ物で無いことは確定的だ。

「くだらなすぎて俺は悲しくなった」

 絹夜の言葉に授業開始のチャイムが重なって、彼も屋上の出口に向かっていた。
 このままチロルを放置しておくのは危険だが、自分には関係の無い女だ。
 そしてここにいる人間は自分には関係の無い連中ばかりだ。
 どうなろうと知ったこと無い。

「お、ちょっと待て、一口くらい……!」

 後をついてくるチロルに絹夜が振り返って肩越しにあてつけがましく言った。

「俺は、まだ、若い」

「どういうことだ?」

「死ぬのには早いということだ」

 首をかしげたチロルに絶望的に憐れんだ絹夜は溜め息をつく。
 自覚が無いのは幸せなことだという。
 しかし、それは周りの人間にとっては不幸でしかない。

「待て、黒金!」

 屋上からの階段をトントンと降りていた絹夜だが、後をチロルがついてきているのにとうとう腹が立った。
 チロルが振り返ると同時に胸倉を掴む。
 皿を両手で持ちながら、背伸びの状態になったチロルを絹夜は下から睨んで唸った。

「うざい。いい加減、俺に付きまとうな」

「別に付きまとっているわけではない。ただちょっと顔を出しただけだろう。
 お前にとって、ちょっと顔をあわせるだけでも付きまとうということになるのか?
 そう頑なに拒まれるとなんだかお前も哀れに見える」

「哀れで結構」

 力を込めてチロルを横に薙いだつもりだったがチロルがうまく力を分散させる避け方をしてふらつくだけだった。
 それに舌打ちをして絹夜は背を向ける。
 どうしてこんなアホをNGは中心にして動いているのかわからない。
 授業が始まってしんと静まった廊下に差し掛かってまたもチロルの声が聞こえる。

「黒金! 逃げるのか!?」

「付き合ってられん」

 5メートルほど間を空けた状態で絹夜は振り向いた。
 すると、チロルが足を振り上げ、大きく振りかぶっている。長い黄緑色の廊下にチロルの影が映った。

「忘れ物だーッ!」

 その手には隕石、ならぬ、悪意の石、ならぬ自称シュークリームが収まっていた。
 そして、竜巻のような一投が絹夜に襲い掛かる。

「ッ」

 あまりの奇行に絹夜も判断が遅れる。
 まずい、このままでは顔面に直撃だ!
 絹夜が両手によるブロックを選んだその時だった。
 絹夜のいたすぐ右のクラスの扉がガラッと勢い良く開き、そこから頭がのぞく。

「おい、授業に行け!」

「!?」

 チロルの投げた冒涜兵器、ならぬ、邪悪の化身、ならぬ自称シュークリームがその頭に直撃し、身の毛もよだつような音を立てて飛び散った。
 あたりに散らばった蛍光緑のクリームがぶよぶよと震える。

「…………」

 どさっと、教室から顔を出したその人はそのままの体勢で倒れ、廊下に半分身体を投げ出した。
 白いシャツにネクタイ、生徒とは思えない成人男性だ。
 そして、教室から女子生徒の絶叫がこだまする。

「キャー! 祇雄先生がエイリアンに寄生されたーッ!」

 目を点にしたチロルはやっと、自分と絹夜の間に男性教師が入り込んでその一撃を喰らってしまったことに気がつく。
 さらに、この騒ぎに背を向けて絹夜が去っていたことにも気がついた。



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