NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
5 *誘惑/sexy*2
日も落ちて、グラデーションの空が少し傾いてきたころ、部活動を終えたチロルが警備員室にもどる。
そこには、先ほど落ち合った乙姫と事情を聞いて腹を抱えて大笑いしていた卓郎、祝詞がいた。
再度チロルの顔を見て噴出す薄情な仲間に素敵にとび蹴りをかましてチロルは黙らせる。
「貴様らに私の苦労がわかってたまるか!」
「取り越し苦労が九割なくせに」
祝詞の心無い一言にチロルが腹のそこから咆えた。
「私の封印術式を解除しろ! 貴様らは私のありがたみを思い知れ!」
「ありがたくないから封印してるんでしょう」
「ぐぬ……」
チロルの潜在能力はあまりに桁外れだ。
そのため、何重にもロックがかかっている。
それは彼女自身が望んでアンカーをつけているのだが、時にこうした理不尽を言うことがあるのだ。
そのたびに祝詞がうまくチロルをなだめるが今回は特に悔しそうだ。
魔力は完全に封印され、身体能力は一割にも満たないその肉体でチロルは満足をしているわけが無い。
あえてそれをNG以外には説明せず、チロルはおとなしく引き下がった。
「もういい、疲れた。帰る」
「はいはい」
だらりと立ち上がる卓郎。
ユマと宣戦布告状態で一人で帰るのは危険だからと、卓郎の護衛つきで乙姫とチロルは帰る事になっていた。
チロルだけなら卓郎と祝詞と同室で寝てしまうこともよくあるのだが、乙姫がいては問題だ。
――祝詞が。
「じゃあ、卓郎さんお願いします」
ぺこり、と深く頭を下げる乙姫に同じように頭を下げる卓郎。
いつも寝てばかりの卓郎だが、頼まれれば簡単に動いてくれる。
特に女子供には甘い。
「はい、お願いされました」
卓郎の肩にぴょこんと祝詞が乗っかって短い手を組む。
「卓郎、変な気起こして女子寮にもぐりこもうなんて考えるなよ」
「考えないよ、祝詞じゃないから……」
溜め息混じりの卓郎を見て乙姫がくすくすと笑った。
「チロちゃんたち、仲いいんだね」
「まぁな。祝詞と私は長い付き合いだし、卓郎は私の遠縁にあたる。家族のようなものだ」
「家族、かぁ……」
「…………?」
チロルは乙姫の横顔に寂しさが映ったのを敏感に察した。
懐かしんでいるようでもあり、恐れんでいるようでもあった。
まずい話題であったか、チロルは話題をすりかえる。
丁度、校舎の外に出たこととあってか、自然とすりかわった。
「乙姫、今日は本当に感謝している。すまなかった」
「いいんだよ、チロちゃんにはいつも迷惑かけてるの私だから」
乙姫が魔女であることには直接触れない。
沈黙のままそのわだかまりがなくなったことを確認しあって二人は微笑んだ。
だが、そこで卓郎が足を止める。
「ん?」
これ以上前に出るな、左腕を上げて二人の前をさえぎって卓郎が訴えた。
「…………ッ」
突然に身震いするような気を放ち、まるで別人のように落ち着いた声で卓郎が忠告する。
「異臭が混じっている!」
「ッ」
刹那、不意の攻撃から乙姫をかばって卓郎が祝詞ともども校庭まで吹っ飛んだ。
錐もみ状態で転がって数十メートルも先で止まった卓郎。
だが、すぐに立ち上がって鼻から滴る血を拭い、敵を刀のような目で睨みつける。
チロルと、乙姫の間に立っていたのはウルフマンだった。
それも、腐敗した大きな肉体、口から大きくはみ出した牙。
死して尚、血肉を求めるアンデッドの獣人だ。
転入時に絹夜が倒したものの倍近くある。
死臭を撒き散らし、赤い目のウルフマンがチロルと乙姫を見据えた。
いくら優れた魔女といえど、肉体は人間同様、いや、むしろ弱い。
そんな魔女にとって力押しのモンスターほど脅威になるものは無い。
「き、きゃあぁあぁぁぁぁぁッ!」
目をひんむいて乙姫が絶叫を上げる。
ウルフマンは乙姫に向かって拳を振り上げていた。
「ごめん、祝詞!」
「はい?」
ようやく起きあがったペンギン祝詞。だが、あっという間に卓郎の右足が尻を蹴り飛ばしていた。
サッカーボールのように見事にウルフマンに向かっていく祝詞は絶叫しながらブレスを吐く。
「ギャピィィィィィィッ!」
――春の夜の、月下に響くペンギンの声。字余り。
祝詞のブレスがウルフマンの右腕を凍りつかせ、それをチロルが西部劇のガンマン顔負けの早撃ちで粉砕する。
蛆を飛び散らせながら咆えるウルフマンの隙をついてチロルは祝詞と乙姫を回収し、卓郎の下に駆け寄った。
「どうして学園内にあんな化け物が!?」
「俺に聞かれてもなぁ!」
銃を向けるチロルだが、これでウルフマンが倒せるなら話は早い。
「逃げろ、チロル。やつは俺が持つ」
「しかし、卓郎! アンデッドは分が悪い!」
「分が悪い!? 今から言うなよ、俺の人生、全部分が悪いよ!」
それは仕方ないよ、と心の声を合わせるチロルと祝詞だったがあまりに痛い言葉なので胸にしまっておく。
事情のわからない乙姫にもあまりに痛切なのが伝わった。
「では、卓郎、任せたぞ!」
「ああ」
校門をでて寮に戻ればとりあえずは安心だ。
出来るだけ急がなくては。
祝詞を背負ってチロルは乙姫の手を引く。
それを追いかけようとするウルフマンを卓郎が反対方向の茂みに体当たりで吹っ飛ばして暗がりに落ちていった。
「卓郎さん!」
悲鳴を上げて振り向く乙姫にチロルが言う。
「大丈夫だ、卓郎はあれでいて頼りになる」
「…………っ」
無事を祈りながらも先を急ぐ。全力で走って五分の道のりだ。
脇の林から狼の遠吠えが聞こえてもわき目もふらずに走る。
「…………チロちゃん……! 速い!」
「ッしかし!」
気配は近づいている。
乙姫の体力ではその道のりを駆け抜けることが出来なかった。
「ちー、くるぞ!」
「このぉ!」
銃を抜いて気配を探る。
だが、臨戦態勢になった途端、背後から黒い獣が襲いかかった。
「!」
振り向いた瞬間、その獣の頭と胴体が分断されているのに気がつく。
そして、宙を舞っている鋼の馬と漆黒の騎手。
手にしたその聖剣が血をすくっていた。
「…………くろか……」
ドン、と前輪が着地と同時に方向を返る。
バイクにまたがったまま絹夜がサングラス越しに二人を睨んだ。
「お前らが原因か……」
「何のことだ?」
「寮の連中が今、こっちに向かっている。ウルフマン共も妙だ。お祭り騒ぎの前兆だと思ったら、お前ら……」
寮の生徒達が学園に向かっている?
ユマが本格的に動き出したのだ。
だが、そうなるとウルフマンたちもユマの仕業なのか?
いくら香りを操ったとて、あのアンデッドのウルフマンには効果が無いはずだ。
「ともかく、今は引き返せ。森をうろちょろするのは危険だ。先にもユマの兵隊が待ちかまえている」
もう一度エンジンをふかした絹夜にチロルが声をかけた。
「待て、学園にいくなら、乙姫も乗せていってやってくれ!」
「チ、チロちゃん!?」
息の上がっている乙姫をつれてまた来た道を戻るというのには無理がある。
それを判断して絹夜は頷いた。
「乗れ」
「…………ごめんね、チロちゃん、祝詞さん」
「私達なら心配無用だ」
絹夜の後ろに乙姫がついて即発進する絹夜のバイク。
あの男が一緒なら乙姫は悪いようにはならないだろう。
その背を見送ってチロルは不適に笑った。
「卓郎を助けにいくぞ、祝詞」
「アイアイサー」
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