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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
27 *解放/Release*1
 随分ボリュームのある入道雲だ。
 黒いワンピースに袖を通した庵慈は長い道を歩きながら雲を見上げていた。
 みんみん、と蝉が命を惜しむ。カンカンに怒った太陽がこれでもかと地上を照らした。
 あついなぁ。
 水の音を恋しく思って庵慈は足を機械的に動かす。
 教会は確か数分歩いたところだ。むせ返るような青葉の匂い。夏の匂い。
 坂の頂上が蜃気楼に揺らめく。
 コンクリートの坂道を登る参列に混じって庵慈はふと考えた。
 皆が皆、黒い服を着て行進している。
 まるで葬式みたいだ、と。

             *                     *                    *

 地図の上で移動する絹夜の座標を追って庵慈は内心ほっとした。
 雛彦が校門からまっすぐ出たところに、モブがその西側にいる。字利家は――行方不明だ。
 守備が門前に集まってきたのは、そこに敵が集まってきたということ、つまり、敵の数が少なくなってきたということだ。
 数分前から急激な追い上げを開始した前衛部隊、何かいい巻き返しでもあったに違いない。

「せんせぇ……」

 それなのに正面に座って結界の強化にいそしみ魔法陣に線を描き足している衣鶴は困惑した表情を向ける。
 ダイゴのことなのだろう。

「大丈夫よ」

 何が大丈夫なのだろうか。
 ダイゴはまだやられていないということか。
 それとも、もうすでに誰かの手にかかっているということだろうか。
 庵慈自身にもわからなかった。
 愛しい想いは燃えつきた。ただ、その燃えさしは誇らしく残っている。
 死んだ人を弔う痛み。長年生きていたが、まだ味わったことのない不安だった。
 突如、銃声の片方がが止む。
 弾けるような軽いほうはジェーンだ。では、止まった秋水の方はどうしたのだろうか。

「!?」

 ほぼ同時に、庵慈のレーダーに今こそ見たくない幻影が引っかかった。

「先生!」

 校門を少し外れたところ、結界が軋む――いや、破られた!
 反射的に机に身を乗り出して衣鶴を突き飛ばす庵慈。
 同時に、地図を開いていた机が爆ぜた。

「!」

 乗り出した方向とは反対に吹っ飛ぶ庵慈の体はしきりのレールを巻き込んで保健室の端の棚に打ち付けられた。
 棚のガラスが割れて落ちるが運良くしきりの後ろでガラスは落ち、庵慈が背にその破片を浴びることはなかったが、
 彼女のつけていた眼鏡が弾け顔を切り刻んでいる。
 右目の周囲を何箇所かすでに赤黒く腫らせながらも庵慈はフレームだけになった眼鏡を投げ捨て、衣鶴に駆け寄る。

「先生、大丈夫!?」

「こんなの大した事無いわよ。魔力反動――呪詛返しね。結界が破られたわ。パーティーに強制参加よ」

 いつもより低い声の庵慈。顔の右半分にはまだ眼鏡の破片がチラチラと光っていた。
 彼女の力を持ってすれば数日でその美貌は完全復元するはずだ。しかし、確かに今は人より黒い色の血が顔面に流れている。

「庵慈ぃぃぃぃッ!!」

 秋水の声が耳に入った。
 ガラスの割れる音、コンクリートが割れる音、連続して響く破壊音に素早く反応して衣鶴が立ち上がり、工具の中から一際大きなナイフを構える。

「衣鶴」

「何?」

 廊下側に終結している獣の臭いに注意を払いながら衣鶴は応える。

「私がやつらの体力を削るから、後は頑張って頂戴」

「…………俺だって出来るよ、そんくらい」

 結界を最大出力で張り続けていた庵慈の魔力が尽きてきたのかもしれない。
 彼女の場合、節約するよりも盛大に使ったほうが効率がいいタイプのようだ。
 しかも、今は廊下という直線状に敵が集まっている。
 このチャンスを逃すまい。
 庵慈は衣鶴を追い越して廊下に出る。その後ろ、衣鶴も控えて長い廊下の先の敵を見据えた。
 肉眼で見えたわけではないが、そこにいるのはわかる。
 押さえつけるような息遣い、荒々しい血の臭い。
 やつらは未だもって群れを成す獣だ。
 きらり、とわずかに闇に赤い目が光って衣鶴は息を呑んだ。
 ただのウルフマンならどうということは無い。
 しかし、あの中にはアンデッドのウルフマンも混ざっている。
 ただのウルフマンの数倍の力を数倍の再生能力で迫られれば一対一でも勝てるかどうかはわからない。
 不安を吹き飛ばすように庵慈が闇に怒鳴りつけた。

「一重、裁きを下す乾きの王者」

 庵慈が両手の人差し指と親指をあわせ、三角形をつくり唱えるとその図形の中にひとつ、小さな炎が灯った。

「二重、罪人を屠る熱の処刑台」

 炎から下に手の位置をずらし指をさらに重ね、中指同士と親指の節同士をあわせる。
 同じように炎が灯る。

「三重、再生を許さぬ地獄の霊帝」

 同じように薬指が合わさって、三つ目の炎が灯された。
 そして、三つの炎が宙に引火し、円形を作る。
 一気に燃え広がって衣鶴も見たことも無い複雑な魔法陣を描いた。
 ひどく古めかしい様式の組み合わせ、何度も重なる炎を表す三角形の印。
 完成して繋ぎあった魔法陣から、炎の柱が噴出す。

「ッ!」

 背後に居た衣鶴でさえ皮膚に痛みを感じる熱風を巻き上げ、粉塵を撒き散らし、赤い蛇が廊下に走った。
 熱風に巻き込まれた庵慈と衣鶴の髪が激しくなびく。しかし、それすら痛む。

「addii,licantropia」

 あの中にダイゴはいない。
 それでも今まで近づけもしなかったウルフマンたちを弔うそれが彼女には辛かったのだろう。
 彼女が学園ごとウルフマンから守っていたのは善意なんかではない。
 ダイゴとの想い出が残ったこの地に、忌まわしい生き物を近づけたくなかったのだ。
 しかし、その幻想はもう終わった。
 現にウルフマンは学園に入ってしまった。

「衣鶴、見せ場よ」

 炎の音に飲み込まれた獣の叫びが止まない。
 彼らは生きているのだ。

「本当、困った展開だよ」

 炎の蛇が廊下を過ぎた後、一度はシンと静まり返った廊下だが、床に落ちた灰塊がうごめく。
 あの業火でも死ねない亡霊。
 半数のウルフマンや、犬の死体は薙ぎ払えたはずだ。
 残っているのはあのどうしようもない呪われた人狼達だ。
 絹夜のように特別な魔力をもってすれば相手に出来るが、衣鶴の武器はそうともない。
 それでも衣鶴は保健室に再び庵慈を入れ、自分はその入り口に構えた。

「衣鶴、無理はしないで! 外が近々押さえられるわ!」

「無理なんかするタイプじゃないよ、俺」

 心の底から否定する。
 すでに彼の目の前では何体もの黒ずんだ獣がよろめきながら行進を再開した。
 もはや肉眼で確認できるその姿は皮膚が一部焼け爛れ、腐敗した肉がこげた臭いを巻き上げる。

「相手は手負い、ヌルチュンだ……」 

 衣鶴は自分に言い聞かせた。
 近年流行っているゾンビを打ち倒すゲームのキャラクターになった気分だ。
 しかし、ゲームにコンテニューがあっても衣鶴にはない。ついでに言えば、レベル調節もされていない。
 工具の中からもう一本、細身のペンナイフを取り出す。
 ヒュンヒュンと風を切ってナイフを回す。
 一回、二回、三回。

「フリークス」

 暑苦しいのは自分には似合わないが、ここでビビッたら負けだ。
 衣鶴はナイフを回す手を止めた。

「フリークス!」

 かかってこい。
 ちょいっと刃先を持ち上げると、黒い塊が突進してきた。
 数はひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
 思ったより少ない。しかもそのうち一匹はほとんど動けない状態だ。

「フリークスッ!!」

 一匹目の攻撃をかわして二匹目の鼻っ面にナイフを突き刺す。
 右から左に貫通したペンナイフを引き抜こうと力を込めた瞬間、体が吹っ飛んだ。
 腹に激痛が走った後に今度は背中だ。

「ぐっへぇッ!」

 吐きそうになるのを堪えて衣鶴はもう片方の大きなナイフを握り締めた。
 ペンナイフを抜く前に腹を殴られたのだ。
 叩きつけられた背中の痛みが走りすぎてから状況に気がついた。
 何か策を!
 この状況下、普段ほとんど稼動していなかった衣鶴の頭が寄り鮮明に動いた。
 アンデッドウルフマンたちは、連戦ゆえにどこかしら傷ついている。
 仲間同士で縄張り争いなどでもしたのだろうか、折れた手足を引きずってまで歩いてくる気味の悪い連中だ。
 しかし、そこに打開策が見えた。
 体勢を低くしながら立ち上がる。
 そして、すでに追い詰めようとしていたアンデッドウルフマンの膝の皿にあたる部分の下にナイフを滑らせテコの原理で間接を持ち上げる。
 すると、簡単に、ポコンというコミカルな感触を残して獣の足は崩れた。

「やはり、ってか?」

 アンデッド。死なない体の筋肉はところどころ鎧の役目を果たしていない。
 頑丈屈強なアンデッドウルフマンとて、傷が無いわけではない。
 むしろ、その傷に気がつくことが出来ない体だからこその小さな欠陥だった。
 どのアンデッドウルフマンもどこかしら傷んでいる。
 そこを狙えば、力はいらない。
 前のめりになって倒れるウルフマンをかわし、衣鶴は顔にペンナイフを突き刺したウルフマンに向かった。
 倒せなくとも戦闘不能に追い込むことが出来る。戦闘能力に特化していなくとも、頭を使えば補える。

「はは、俺って実は頭いいんジャン!?」

 この上出来な勢いを消さないように自分を調子付かせる衣鶴。
 この悲しい祭りを乗り切るには、それしかないとすら思えたからだった。


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あきゅろす。
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