NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
25 *災厄/Calamity*1
今日もいい夜になりそうだだ。
警備室はヘタレ死神の放つ不穏な空気が充満しているということで保健室に陣を構える。
字利家は魔女部が狙われるということで真っ先に部室に向かったが、字利家といざこざを起こしていた絹夜だけはすでに制服が破れて疲れきっていた。
時刻は六時をまわり、夕焼けがオレンジから紫色に変わろうとしている。
そろそろ魔性が目覚める時間だ。
診察側の椅子でユマと乙姫がわいわいやり、それを秋水と絹夜が見守る。
裂はああも豪語していたものの、顔を出さなかった。
デスク側では、庵慈と衣鶴が静かに話す。
「庵慈先生さ、法皇庁と戦っていいの?」
「いいの」
「……そう」
寂しそうな衣鶴。
取り残された想い。
「衣鶴ちゃん……。私ね、ダイゴを忘れようとしているわけじゃないのよ。
ダイゴは法皇庁のエージェントだった、だから、彼の仕事をやり遂げて、それで彼を救えたらって私は思っていた。
でも……それが間違ってるってわかっていながらダイゴのためだからって、彼を言い訳にして、法皇庁に従っても……ダイゴ、怒ると思うの」
「ダイゴは死んでないよ……」
「うん、死んでない。でも、ここにはいない。ここで、私が法皇庁に、その肩書きに頭を垂れたら、きっとダイゴは戻ってこない。
そんな気がしない?」
「わかんない」
医療用のベッドに腰をかけ、足を宙に投げ出した衣鶴。
庵慈はいつもどおりに自分のデスクで書類の整理をしていた。
「…………。本当言うとね、私、ダイゴが何を考えていたのか全然わからなかった。だから、彼の痕跡をなぞろうとしていた。
それでも、全然わからなかった。ふとね、黒金絹夜の背中がダイゴとかぶるのよ……。危なくって危なくって。だけど、その背中がたま〜に啖呵きるのよ。
”いない人間の名前で言い訳するな”って。”想い出を弔うことにビビるな”って。
なんか、ダイゴに言われてるみたいでね……」
絹夜とダイゴ。
似ても似つかなかった。
衣鶴の想い出の中のダイゴは、陽だまりのように暖かく涼やかで、とにかく心地のいい人だった。
銀の髪をぼりぼりとかいて、衣鶴は手にした羊皮紙を睨む。
「…………。俺、魔法陣は浮かび上がるのに、風景は全然だよ」
すばやく腰の工具入れから波刃のナイフを出して指先に当てる。
指に止まったてんとうむしのように血が丸く湧いて、それを羊皮紙に押し付けた。
「きっと、まだ戦わなきゃいけない時なのよ」
庵慈がいい慰めるが衣鶴は納得できずに返事をしないで指先を羊皮紙の上に走らせた。
簡易な文様を複雑化させ、魔術を組んでいく。
拡大、強化、倍力、束縛、時間、翻弄、吸収、精神、悪夢。
「…………ッ」
悪夢。
* * *
野球部の部活動が終わり、暗くなる前にそそくさと皆寮にもどる。
東海林もいつものように部室で着替えてそのまま帰宅するとこだった。
だが、携帯電話を教室に忘れ校内に戻る。
すぐ出る分には安全だ。まだ陽もある。
「おーおー。どこいっとったんやー」
机の中から愛用の電話を取り出し、ほお擦り。
さあ、帰ろうと出入り口に振り返ると、人影があった。
「ニャガ!?」
「?」
まさか、ここで魔女と遭遇か!?
心臓吐き出しそうになりつつもよくその影を観察する。中肉中背の女子生徒だ。
教室の電気は消え、廊下の光が逆行になりわかりにくいが、魔女部の証の臙脂色のバッジは胸にない。
「あの、申し訳ございません、ちょっと迷子ですの」
「迷子、ですか?」
上品な口調に流されて東海林の口調も丁寧語になる。
「私、今日転校してきたばかりで学校の構造がちょっとわかりませんの。
教室にロッテジュジュちゃんを忘れまして今頃一人で泣いているかと思うと……」
「ロッテジュジュ……?」
一体いかなるものなのだろう。
かわいらしい名前からネコかハムスターかを連想させた東海林はその女子生徒と共に廊下に出て話をきいた。
暗い灰色の長い髪を持つ眼鏡っこで、同年代の女の子よりもずっと大人っぽい雰囲気がある。
「私、2−Aに転入しました、ジェーンですわ。2−Aはこのあたりだと思ったのですが……」
「隣やん、そっちや」
さらに奥の教室の入り口を指し、東海林をジェーンは固まった。
数秒、数十秒の間を置いて、ジェーンがにっこりと微笑む。
「あらいやだ」
東海林もこれがチロルを始め大ボケ連中だったら激しく突っ込んだが、ここはつられてにっこり笑う。
「では、私、ロッテジュジュちゃんを取りに行きます。お世話をかけました」
ぺこり、と直角に頭を下げたジェーンだが、東海林はここぞとばかりに爽やかな笑みを浮かべて歯を光らせた。
「女子が一人校内うろつくのは危険やさかい、ここでま待っとるわ。取りに行くだけやろ、はよ行っとき」
「では、お言葉に甘えて」
またぺこりと深く頭を下げ、ジェーンは教室に入って行く。
もちろん、すぐ出てくるのだが、その背には大きな筒状のバッグが下がっているだけだった。
「お待たせいたしました」
「えと、その……ロッテジュジュちゃんとやらは?」
「このコです」
と、背中のバッグを指す。
ああ、天然か。
中身が何か知れないが、東海林は思わず落胆して無駄に笑顔になった。
昇降口まで降りると、ジェーンは足を止める。
「どないしたんや? はよ帰らんと魔女っちゅうおっかない連中が出てきよるで?」
「申し訳ありません、ご親切にしていただいたのに……」
「へ?」
一瞬、ほんの一瞬目を離していた隙だった。
ジェーンがバッグを投げ捨てる。
中身は、彼女の腕に装着されていた。
「おおう……?」
筒が8つほど円を描いて組み合わさり、さらにたくさんのレバーやら穴やらがある。
回転式、と書いてガトリングと読む。
バット数本より太く短いそれを片腕に装備したジェーンは東海林に銃口を向け、唇を舐めた。
「粉微塵になっていただきます」
料理の手順を説明するように言ってジェーンが手元のレバーを操作する。
ガトリングガン、ロッテジュジュが吼えた。
「行くぞ、ダンテ、モブ!」
豪、と風が荒ぶ。
黒い疾風、巨大な殴剣、豪腕の麗人。
刹那、ロッテジュジュの弾を割り込み魔剣ダンテがすべて受けた。同時に黒い豹のような体躯の男が東海林の襟首を掴んでロッカーの上に放り投げる。
「何ですの!?」
銃弾がめり込み、煙を上げる魔剣ダンテを片手で振り回し、字利家は答えずジェーンに突進する。
「命は獲らん!」
「まさか!」
ふん、と一笑、ジェーンは制服に手をかけた。
そして、ばっと引き剥がし、字利家めがけ投げつける。
古典的な手に引っかかって眼前をふさがれた字利家。
「モブ!」
すばやくモブが二人の間に入って字利家を抱えると瞬時に移動させた。
制服をとり、魔剣を構えなおす。
「一人では何も出来ませんの? あなた」
彼女は制服の下にシスターの服を着込んでいた。ただし、下は短いパンツ姿で太ももまであらわになっている。
「うらやましいかな?」
挑発に動じるどころか無表情で跳ね返す。
もはや、彼女の感情を揺るがすには挑発では非力すぎる。
「モブ、東海林くんを」
「…………」
東海林を投げたロッカーに跳躍するモブ。
ジェーンはモブを狙ってロッテジュジュを掲げた。
「ド甘くってよ!」
「甘党全否定ッ!」
確定的に特定人物をさりげなく全否定して字利家は魔剣を持ち上げる。
またも弾丸を魔剣が防いだ。
さらに重さと力任せにその巨剣をジェーンに振り下ろす。
「ッ」
横に避けたジェーンだが、後方には校庭への道が続いた。
一体何者だか知れないがとにかく一人では分が悪い相手だ。
じり、と後退する。
「降参はしてくれないのかい?」
「ええ、死んでもしませんとも」
「ならば!」
ここで討ち果たすまで。
そんな簡単なことだったが、魔剣を構えたと同時に校内の上階からどすん、と重い音が響いた。
「ッ! 牧原!」
「あらあら、どうしましたの? 急に険しいお顔をなさって」
「モブ、ここは任せた」
了解の意でジェーンの前に立ちはだかる。
字利家は東海林の腕をひっつかんで廊下を駆け抜ける。
「何なんやあんあたらぃ〜ッ!!」
遠く消えていく東海林の声。
だが、モブとジェーンの戦闘は続いた。
ロッテジュジュが放つ弾丸をモブはぎりぎりの軌道予測で避け、それでも全く当たらない。
金属音。
「!」
交差と同時にモブの左腕に刃が光る。
トンファーのように腕に沿うほどカーブを描いた大きなナイフだ。
「…………」
ザザっと足を鳴らしてブレーキを開けると同時に体をひねり、ジェーンに突進する。
「させませんわよ!」
ジェーンも、前方に飛び掛ったモブを絶好の獲物と見て銃口を持ち上げた。
「制裁ですわ! 聖祭ですわ! 精彩ですわ!!」
どんな肉食動物よりも獰猛な咆哮を上げ、ロッテジュジュは宙を射抜いた。
中空を舞っていたモブにそれを回避する術はない、と思われた――が。
「!?」
ふわり、と彼の黒い痩躯が浮く。
空気を蹴ったのだ!
ジェーンがそれに気がついてモブを目で追うと、そこには天井からの光を背負ったカラスの姿。
反射的に地面を蹴って横っ飛びになり、校庭へ転がる。
重量のあるロッテジュジュを持って受身をするほうが逆に危険だ。
追撃に備え、即座に立ち上がったジェーンだが、眼前でモブは自分が居た位置で立ち止まっている。
追ってこないならそれまで、魔女部を攻撃するだけだ。
だが、その意図が知れてジェーンは苦く顔を歪めた。
モブの後ろに控えたユマと乙姫、秋水、そして絹夜。
「大人数で張ってくれていらしたのね……」
「……貴様」
絹夜が威嚇する。
すばやく十字を切り、陰から2046を掬い上げた。
真夏の夜の帳のごとく静かに青く光る剣はなみなみと力を空気中に放っている。
魔力は魔女の体を覆い、魔の防壁となっているが、絹夜の力は全て2046が吸い取り攻めるための力に変換している。
話には聞いていたおぞましき聖剣を目の当たりにしてジェーンは生唾を飲んだ。
「私、ジェーン・ディデュカと申します。以後、お見知りおきを、黒金絹夜」
「法皇庁浄化班……コードネーム、カラミティー・ジェーンか。クックック……ペスティレンツァ、ペスティレンツァ!
黒死病女が、わざわざこのちっぽけな島国に足を運ぶとは、災難災難」
「お下品な口ですこと」
苦笑するように穏やかに微笑んでジェーンはロッテジュジュを担ぎなおす。
この距離ならば十分だ。むしろ、敵の間合いではない。
「早まるなよ、シスター」
ガシャン、と聞きなれた重低音が微かに耳に入った。
昇降口を入ってすぐに並べられているロッカーの隙間から、翼を広げた鷲を腕に装備している男が見えた。
同時に、目が合う。
イーグル・フォルテシモの漆黒のボディはなけなしの慈悲か、時折銅色の優しい光を放っていた。
「あら、こんなところにお友達がいらっしゃいましたか」
「悪いが俺はお友達候補ではない」
にらみ合い。
にらみ合い。
にらみ合い。
蟲が怯えきったか、夏の夜は綺麗に静まり返っていた。
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