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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
24 *復活/Revive*2
 ほぼ同時刻の朝の職員会議。
 教頭が取り仕切る報告の中、新人の教師が紹介された。

「ええ、英語担当の吉永先生が体調不良のため今学期から入院されることとなりまして」

 教頭の説明とは裏腹に、一部の人間が中年のおばさん教員が失踪したことは知っている。
 魔女部だ、と思いながらもそれには触れない。

「今学期から臨時に、こちらの石川先生に英語を担当してもらいます」

 教頭の隣に、すっと長身の青年が立つ。
 髪色は金髪であるのに、顔立ちは東洋人で、少しおっとりとした印象のある男だった。
 年は二十代後半、もしかしたらもう少し若いかもしれない。
 女性教員からひそかにため息が漏れるも、彼は不器用になまった日本語ではきはきとしゃべり始めた。

「石川雛彦です。全くの新人で至らぬ点もあると思いますが、若さと元気だけがとりえなのでどんどんご指摘をもらえればと思います。
 よろしくお願いします」

 語尾におかしなアクセントがつくのか笑いを誘ったが、本人は気がついていないらしく、それがまた好感を持てる。
 好青年というには少し間抜けそうで、しかし、真面目そうなハーフか外人。
 それが大多数の印象だったが、一番奥のデスクに伏せるように座っていた庵慈だけは別の印象で彼を見ていた。
 さらに、その横では祇雄が心配そうに庵慈を見ている。
 まだ自己紹介が続き、時折笑いも起こるが、祇雄はそんな新任の英語教師を無視して庵慈の横に椅子を滑らせる。

「あの、もしかして、庵慈先生はああいう爽やかでオチャメなのがタイプなんですか……?」

「どーこが爽やかでオチャメよ」 

 はき捨てるように否定した庵慈に祇雄はほっとしながら目を丸くする。
 庵慈はまだ職員室内の視線が雛彦にむかっているうちに祇雄に耳打ちをした。
 それだけでも祇雄にとってはおかしな薬物でも投与されたように鼓動が早くなったのに、庵慈が伝えた事実は衝撃的だった。

「法皇庁浄化班のエージェント、ついでに黒金絹夜の二番目の兄よ」

「えぇぇぇぇッ!?」

 大声で驚愕した祇雄に庵慈がとびっきりのパンチをお見舞いする。
 周囲が振り返った時には祇雄はノックアウトされ、床に伏せていた。

「祇雄先生、また例の発作ですか!?」

 保健医らしく祇雄の横にひざをつく庵慈。

「……発作って……何のことですか……」

 死ぬ間近の蚊のような声で祇雄が訴える。
 それを無視して庵慈は演技を続けて祇雄に肩をかして立たせた。

「ああ、だから薬を飲まないといけないって言ったじゃないですか!」

「何の薬ですか……」

「いくらあんなものが原材料だからって、それを飲むという行為が道徳的に間違っているからって、飲まないとあなたは死んでしまうんですよ!」

「原材料って何ですか……。僕は何の病気で何を飲まされている設定なんですか……」

 庵慈のパンチが効いたのか、瞳孔がゆるゆると動きっぱなしの状態で彼女に引きずられる祇雄はうわごとを唱えたが、誰の耳にも入らない。
 当然、聞こえたとしても祇雄のことだから、と誰もが信用せず彼をまた避けるだけだろう。
 雛彦を一瞥し、庵慈は逃げるように職員室を出た。
 生徒たちの影がちらほら見える廊下、本当に昏倒していた祇雄を引きずり庵慈は保健室に逃げ込む。
 石川雛彦、いや、黒金雛彦は間違っても憎き法皇庁のエージェントだ。
 保健室に入って、消毒液の独特なにおいをかぐと、庵慈は一度大きく深呼吸した。
 大軍を率いてやってきたわけではない。だからこそまだマシなのだろうか。

「…………ただでさえ厄介なときに厄介なヤツが……!」

 祇雄を床にたたきつけ、庵慈は吐き捨てる。
 操り人形のようにその場に落ちた祇雄はぜぇぜぇという息を漏らし、顔だけを庵慈に向けた。

「法皇庁のエージェントがなんで……! 魔女部の勢力も削げてきたって言うのになんで今更!」

「魔女部の勢力云々は二の次。本当の目的は皆が皆、秘法<天使の顎>だったってわけ。
 <天使の顎>争奪戦に勢力投入で法皇庁は――いえ、ヨハネは一気に畳み掛けるつもりね」

 手負いの獣のような情けない声を上げて頭を抱えて丸くなる祇雄。
 ぶるぶると震えている様は戦力外だ。

「祇雄先生、そんなにおっかないなら、代理の教員でも捕まえてこの学園から逃げた方がいいですよ。
 代理が見つかれば、の話ですがね」

「だ、ダメです!!」

 頭を抱えながら否定をする祇雄。相手が見ていないからといって、あからさまにカチンときた顔をした庵慈だがすぐに眉を捻じ曲げた。

「ダメなんです、ここじゃないと、俺の”狼”が治らないかもしれない! やっと魔女の存在を掴んだんだ、今さら離れられない!」

 だが、こいつはびびって何もしようとはしていない。
 ぎりぎりのところで首をつっこんでこない。
 卑怯な男だ。狼というより狐だ。

「…………」

 ダイゴも、もう少しくらい卑怯に生きてくれたら……。

「すいません、目障りですよね」

「いつまでも足元に転がっていられるのはね」

 死人のように覇気のない面で祇雄が立ち上がると、庵慈は彼の背中をバシン、と叩いた。
 海老反りになって飛び上がった祇雄は背中を押さえながら庵慈に振り返る。
 彼女は腰に手を当てて、仁王立ちになっていた。

「シャンとなさい。それだけで解決することだってあるんだから。第一、教師ってそれも仕事でしょう?」

「う……」

 はいそうですね、とはいかず、何かを言うたびにどもってしまう祇雄。
 今までよく生きてきたと感心してしまう臆病っぷりだ。

「もういいわ、だって、あなた――」

 庵慈が大げさに肩をすくめて安心させようとしたとき、保健室の戸が大きく横にスライドした。
 反射的に戸に目を向けると、軽薄そうな笑みを湛えた青年がキザったらしく壁に背を預けている。
 人差し指と中指を立てた軽い挨拶がまた癇に障った。

「あらあら、石川先生――黒金先生とお呼びするべき?」

 敵意満々な蔑みの笑みで攻撃的な表情をする庵慈。
 両者の中間にはさまれた祇雄はすぐさま庵慈の後ろの下がった。
 情けないが、ここは懸命な判断だと内心、祇雄を誉め、庵慈は比喩表現抜きに火花の散りそうな視線を向ける。
 発火能力のある彼女が一度念じれば空気中の酸素が他の原子を巻き込んで火の槍となる。
 そんな魔性の視線を受けながら、石川雛彦は涼しい顔だった。

「魔女といえど、女性にそんな目で見られるのは好きじゃないんですけど……やめてもらえません?」

 職員室での片言なまりは全くない、スムーズな日本語だ。

「法皇庁の方にそういわれるの、癪に障るんでやめてもらえません?」

 同じように言い返した庵慈を、子供を相手するように肩で笑って雛彦は彼女に近づいた。
 う、とひるんだ庵慈も一歩後退するが、後ろから祇雄が盾代わりにしてそれ以上下がれない。
 雛彦が彼女に体を沿わせるほど接近したところで庵慈の頬に手を当てる。

「あなた、どっちの味方なんですか?」

「どっちのって……」

「あなたは魔女だ。しかし、法皇庁のエージェントとして力を尽してくれている。魔女、法皇庁、どちらにつくんですか?」

「まさか、あんた……知らないのね」

「何をでしょう? 教えていただけますか?」

 雛彦が少し不快を露にした。
 庵慈にとって、それだけで小気味良かったが、追撃するように告げる。

「黒幕は代羽よ。あいつは絹夜を――」

「っく、間抜けですねぇ」

「何ですって!?」

 切り札の出鼻をくじかれて庵慈は雛彦以上に不快指数を爆発させた。
 それを盾にしている祇雄でさえ、ひい、と小さく鳴く。

「黒金は法皇庁浄化班の一部。頭が命じれば手足がそれに従う。
 代羽が命じれば、僕は犬死だってしますよ。絹夜にはまだそれが難しい年頃だ。彼はそれを覚えるためにここに放たれた。
 無常の兵器となるために、我々は心を捨てなくてはならない。そういう、人道踏破した、ろくでなし同士の戦いですからね、魔女との戦いは」

「…………。あなた、恥ずかしくないの!?」

「全然。そういった世間一般の美しいプライドは何も知らない幸せな人間が持つものです。
 我々はろくでなしとして生まれ、ろくでなしとして死ぬ。世界の肥やしになるもの、無駄じゃない」

「そんなの、一人でやりなさいよ……! 絹夜まで巻き込まないで!」

「あなたは絹夜の何ですか? そこまで彼に干渉する権利もないでしょう。彼は――」

「彼は苦しんでいた!」

「…………」

「彼は、弱りきっていた……。あんたたちのせいじゃない。暗い牢獄に閉じ込めて、頭おかしくなるくらい宗教漬けにして!
 ろくでなし!? あんたたちは自分たちのやり方に酔ってるナルシストなだけよ!」

「でしたら……お互い様」

 この物分りのよさが腹が立つ。
 庵慈は強く唇を噛んでそれを示したが、雛彦は動じない。
 頬に当てた手の親指で庵慈の厚ぼったい下唇をもてあそび、乾いた風が吹くように囁いた。

「塵は塵に還る。塵の自覚はあります」

 一瞬、不適に微笑んで、彼は身を翻した。
 外道を自覚した外道。外道である必要があるならばそれにも成り下がるという堕ちたプライド。
 性質が悪い。

「では、よろしくお願いしますね、庵慈先生。ああそれと、後ろのオマケの方」

 自分のことを言われているとわかって祇雄はびくっと身を縮ませた。
 朝のざわめきに現実戻ってくる。
 今まで不思議と耳に入らなかった生徒たちの声が耳に入った。
 今日が始まる。

「あの……」

 気まずそうな祇雄の声に庵慈は拳を握って振り返った。
 まずい、またパンチが。
 祇雄がとりあえずそう良くもない顔を両腕でガードする。
 だが、パンチで押されるのではなく、体重が前のめった。
 ぐっと首が絞まる。

「うげぇ!」

 不細工な鶏の鳴きまねか、祇雄が涙目で訴える。
 だが、庵慈は彼のネクタイを引っ張って口をごしごしと拭いていた。
 汚らわしいと言わんばかりの迫力と、負けを認めざるを得ない屈辱。
 不機嫌な彼女は子供のようだった。

「えと…………。庵慈先生?」

「あ、口紅ついちゃった」

 いともあっさり言ってくれる庵慈。

「高いんですよ!? あ、いや、いいんです、いいんですとも……!」

 何かをかみ締めている祇雄を無視し、ついでに突き飛ばすと、庵慈は何事もなかったように正面から向き直った。

「…………」

「…………」

「…………祇雄先生」

「はい」

「授業に行ってください」

「あ、はーい」

 そそくさと逃げる祇雄。
 何故か時折ツーステップを踏み、またも痛い視線を投げかけられるがそれすら気がつかないほど舞い上がっていた。
 すれ違いに衣鶴が保健室に入ってくる。
 一時間目はここでゆっくりして、二時間目から教室まで上がるつもりだろう。

「センセェ、なんか変なの出てきたよ? あんまりかかわらないほうがいいって。ウルフマンだし……キモい」

 キモい、にかなり重点的に意味を込めて呟く衣鶴に庵慈はちっちっちと外人の仕草で指を振った。

「あれが案外可愛いの」

「へ…………へあぉう!?」

 何年ぶりか、衣鶴が心から驚愕する様を見て庵慈はしてやったりと笑った。

「だって、だって……! 祇雄だよ!? あんな痛い人間……! か、からかってるの? 庵慈先生」

「さぁね〜」

 はぐらかしながら置くのデスクに座ると、衣鶴がまだぐちぐちと文句をつけている。
 彼にとって的場ダイゴという存在が大きく、祇雄は教師としてそれに及ばないことから力の差を感じるのだろう。
 確かに仕事の出来具合は歴然の差だ。
 衣鶴の祇雄否定の言葉がやんだところで、庵慈は窓の外の、入道雲を見つめ、己にだけ聞こえるように呟く。

「でも、彼は女を一人にしないわ」



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