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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
23 *徘徊/Lost*4
 朧月の光の円が虹色に輝いている。
 薄手の雲を冷たく透かす月光を見上げながら卓郎は背中を丸めていた。
 危うくその両手が唯一に及ぶ理解者を切り裂いてしまうところだった。
 切り裂かなくて安心したが、次にはもう自分への嫌悪で一杯になっていた。
 本当なら、普通に大学をでて、父の会社にでも就職して、労働の苦しみを味わっていただろう。
 それが何でここにいる。
 理由ははっきりしない。でも、後悔はしている。
 ここでは全てが幻で、最終的にはデータの配列に納まって、自分自身も消えてなくなる。
 だったら今ここにいるのは誰だ。

「アベルは誰だ」

 殺しあう兄弟。死ぬのはどっちだ。

「カインは誰だ」

 長い戦いの末に見えるのは偽りの平穏か、純粋な混沌か。

「死ぬのは俺か?」

 NO。

「死ぬのはお前か?」

 NO。

「俺は永遠に彷徨うのか?」

 NO。

「彼は永遠に彷徨うのか?」

 …………。
 NO。
 卓郎の自問自答に答えがあったのだろうか。

「…………カイン」

 兄弟殺しのカイン。
 字利家はその名で呼んだ。
 孤独の王カイン、と。
 腹のそこから否定した。
 自分はカインじゃない。孤独でもない。
 どちらも否定しきれなかった。
 もう、自分がいるべきエデンの東に追い出されつつある。
 NGという仲間との歯車が狂い始めていた。
 理解してくれる人たちが信用できなくなっていた。

「だって……俺は、全部偽者なんだろう……」

 何より、自分が一番信用できない。

「…………もう、ダメだ」

 鉄棒に両手をかけ、だらりと体重をおろす。
 両腕を万歳の状態で中腰になった様は決して格好のいいものではなかった。

「おう、大将」

「…………。おう、艦長」

 怪しげな商品が毎回しまわれているトランクを肩に担いだ秋水は頭を掻きながら卓郎に話しかけた。
 おどけた言葉だがまだ気力が戻っていないのか、無いに等しい卓郎の眉がハの字になっている。

「だからその艦長ってのなんだよ」

「秋水のこと。いいだろ、俺はそう呼びたいんだから、勝手にさせろよ」

 ぶら下がったままの反抗的な態度は拗ねている事を助長させるだけだった。
 こいつは子供なんだ。
 いくら頭が回ったって気持ちは子供なんだ。

「字利家にいろいろ聞いたぞ。黒金が――」

「チロルから聞いた。あのチロルがあそこまで荒れるとは思わなかったし、字利家がいなかったら俺には止められなかった。
 俺、ダメだな……。何一つできたことないよ。どうすりゃいいんだろうな」

「俺に聞くな、バカ」

「そうだよなぁ」

 ホラー映画に出てくるゾンビのように溜め息をついて卓郎は満天の星を仰ぐ。
 降るだけ降った雨の後、湿った土のにおい。
 薄い雲を透かした七色の月光に秋水も目を向ける。

「お前さ、思ったよりダメ人間だな」

「トドメささなくっていいから! 十分、俺、傷ついてるから!」

「そんなこたない」

 そして秋水のトゥーキックが卓郎の後頭部に突き刺さった。

「痛い」

「痛くない」

 無理やり自分の攻撃が無力だったことにして秋水は大きく息を吸った。
 土と緑の青臭い空気が肺を満たしてこの国の陰険な湿度の高さを思い出す。
 インドはこう水っぽくなかったし、イギリスはもっと乾いて埃っぽかった。

「お前のあこがれる相手は諌村祝詞じゃブラック過ぎる。
 このまま子飼いの死神でいるのか? 飼育されてる死神に、正義も痛みも語る資格があるのか?」

「…………」

 返す言葉も無い。
 それを体現して卓郎はぶら下がったままだった。

「お前がその……連続世界ってのを行き来してまで”イエス・キリスト”と戦う理由は何だ……?」

「え……」

 母代わりの女性のためと言いかけて口を噤んだ。
 本当に彼女のためなのだろうか。自分が何をしたところで、直接彼女のためになるという事実は無い。
 むしろ、関係の無い口実で彼女に貢献しているという事実を作り上げたかった。
 高杉真理子のため、というのは嘘だ。
 そうじゃない。
 罪滅ぼし?
 父の残した負の遺産<天使の顎>を解除するため?
 いいや、それが何で自分が罪滅ぼしをさせられているのだ。そんなのは認めない。

「俺は……」

 いやだった。
 自分にしかできないことをみすみす逃し、後悔するのが。
 誰かに必要とされたかった。理解されたかった。戦い傷つけば癒してほしかった。
 ごく普通に、子供のように、甘やかされたかった。

「俺は、自分で思っていたよりガキだな……」

「だろうな」

 変わらない秋水の返事にふと笑顔がこぼれて、それは自嘲に変わって、すっかり消えた。

「俺は、大人になれなかったんだな……」

「そうかよ」

 新しい箱を開けて秋水がタバコに火をつける。
 神経にニコチンが行き届いたことに満足してたっぷりと口と鼻から煙を吐いた。

「まるで、迷子だな」

 彼はどこにも居場所が無い、本当の意味で帰る場所の無い男だ。
 あまりに滑稽で、手を貸す気も起きないし、必要ないだろう。
 手を貸すのはまた別のヤツの役目だ。
 例えば――。

「お前、字利家に謝るなり、新たに喧嘩売るなりしろよ。あいつぁ、お前と違って人間出来てるからな」

「う、うん」

 突然に出てきた字利家の名前に動揺しながら卓郎は生返事、それを笑って秋水は背を向けた。

「お開きだな。じゃあな」

 紫煙をなびかせ去っていく後姿に卓郎は苦笑せざるを得なかった。
 そして、小さく呼びかける。

「やっぱ、頼りになるね、艦長」


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あきゅろす。
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