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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
4 *芳香/charm*1
 異常事態だ。
 全くもって異常事態だ。

「どうした、黒金」

「…………」

「ふふふふふふふふふっふふはははははは、どうした、黒金」

 ぎらぎらと猫のように目を光らせた風見チロルは気がついたらしい。
 絹夜の顔色が変わったのは一週間前の数学のテストが採点されて返ってきてからだった。
 当然、絹夜にとって高校のテストなんて朝飯前だった。
 事前に勉強するなんてありえないことだ。
 だが。

「ほらほら、どうした」

 やたら横でにやにやしながら満点の用紙を見せ付けてくるチロル。
 絹夜の脳内に選択肢が表示される。
 一、無視。
 ニ、隠す。

「…………」

 おもむろに立ち上がった絹夜。
 そして、何かのスイッチが入ってしまったのか、チロルに襲い掛かる。

「三、殺すッ!」

 一時間目からどたばたと荒れ狂う教室。これももう慣れた光景だ。
 絹夜の攻撃をヒョイヒョイとよけ、チロルが絹夜のテスト用紙をひったくった。
 そして、彼の机の上で大声で点数を読み上げる。 

「黒金絹夜、三点ーッ!」

 あたりが静まり返った。
 言ったチロル本人も凍りついた。
 当然、百点満点中のテストだ。
 ぱしん、と絹夜が紙を奪い取る音だけが響く。 

「…………絹夜君」

 哀れんだ呟きを乙姫が漏らした。

                       *             *            *

 昼休みに入ってすぐ、早退しようと荷物をまとめていた絹夜を乙姫とチロルが両脇から挟み込む。
 前の休み時間中に言い合わせていたらしく、二人のマークは完璧だった。 

「なんだ、お前ら」

「黒金さん、まさか、午後の授業から逃げるおつもりじゃないでしょうね」

「さて、俺はひよこ語が喋れないので人間の言葉で喋っていただけますか?」

「貴ッ様…………」

「どけ。俺の不快指数を上昇させても面白いことはないぞ」

「チロちゃん! 絹夜君の不調を心配してるんじゃなかったの!?」

 乙姫の一喝に渋々黙る二人。ふてくされたようにチロルは付け加えた。

「…………ま、まぁ、そういうことだ」

「つまり、今朝のお前の嫌がらせによる侮辱罪を償いたいと言いたいんだな。
 ならば俺の半径二百メートル内に近づくな。電波も飛ばすな、ひよこ語も喋るな、出来れば息もするな」

「…………」

 耐えて、チロちゃん!
 その乙姫の祈りが通じたのか、チロルは青筋を浮かべた笑顔で、作り声で、絹夜に向かった。

「お前の頭が絶不調なのは私の責任ではないがお前が酷く凹んでいるのは私の過失だ。まさか一桁だとは思いもしなかった」

「…………あー、俺も思いもしなかった」

「そこで、少しくらい勉強を教えてやるのがクラスメイトの役目だと思ってな」

「とりあえず憐れみの目で見るな」

 嫌悪オーラを放ち始めた二人の間に入って乙姫がおろおろしながら話をまとめた。

「絹夜君も一緒に柴さんのところにいこう? 私たちじゃ無理かもしれないけれど相談に乗ってくれるかもしれないし…………」

「…………」

 しぶる絹夜にチロルが業を煮やし、大声でまたも言ってのけた。

「先週のお前の後始末をしたのは誰だ……。バイクで傷ついた廊下を修正するのは骨だったぞ……」

「慈善活動ご苦労」

「仕方ない、そこまで言うなら法皇庁のお前のデータに今回の成績を載せてやろう」

「…………」

「うん、うん。素直が一番」

 ここまで脅しふっかけてよく素直という単語を用いれるものである。
 眉をハの字にして乙姫は肩を落とした。
 どちらもどちらなのでもう何も言うまい。
 意気揚々のチロルを先頭に廊下を歩いていた時だった。
 向こう側からなにやら人だかりがざわざわと移動してきている。

「なんだ、アレ」

 チロルが足を止めて廊下のど真ん中で立ち止まる。その両脇に絹夜と乙姫も立ち尽くした。
 どうやらその人だかりの真ん中には女子生徒がいるらしく、まるで彼女をアイドルのように扱っているらしい。
 脇からサインをねだる声、親衛隊を名乗る声、掛け声をかけてわーわーきゃーきゃーと上げる声、様々だ。

「君ら、何やってる! 道をあけろ!」

 頭にハートマークのついた鉢巻をしたガタイのいい男子生徒がチロルを、絹夜を、乙姫を掃ける。
 呆然としてされるがままになった一同は廊下の脇からその光景を眺めるばかりだった。
 群れの中心には人でよく見えないが、小さな女の子のようだ。時折、少女の高笑いの声が聞こえるが本人の姿は人波にうずまって見えない。
 群れ、というか団子というか、廊下いっぱいに広がったその集団のほとんどが男子生徒らしく、その全てがぼんやりとした表情をしていた。
 恍惚、というにはあまりにだらしなく、目に輝きが無い。

「まるでゾンビの群れだな……」

 絹夜の嫌味も聞こえない様子で集団は右から左へと去ってゆく。
 おかしな学園だ。アイドル騒動くらいあっておかしくない。
 鬱蒼とした気分がまたちょっと鬱蒼とするだけだ。
 気を取り直したところに遅れを取ったように鉢巻の男子生徒が廊下を飛び出してきた。
 へろへろとエンジン不調の飛行機のように今はがらんとしている廊下を走ってきたのは先日絹夜にこっぴどくやられた小林だ。

「風見……ッ……かじゃみシェンパイィ〜!!」

 情け無い声を上げて小林が三人の所に駆け寄ってくる。
 どうやら先の連中とは別物らしい。
 チロルは目に入っても絹夜のことは目に入っておらず、もちろん彼が小林の前にちょんと出した足にも気がつかづ、派手にすっころんだ。
 チロルの前でべちょっと潰れた小林を見て悪魔のように笑う絹夜。
 本当に性格が悪い。
 息が上がっている上に絹夜にいじめられた小林を可愛そうに想い、チロルは当然、乙姫までもが手を貸す。

「小林、大丈夫か?」

「怪我は無いよね、小林君」

「え? あ、へぇ」

 そして、小林の無事を確認してギロリと絹夜を睨むチロル。

「貴様はどうしてそこまで性根がまがっている!」

「そうだ、性根がまがっているから弱いものイジメが大好きなんだ」

「この外道が! 三途の川で生態系崩れるまで魚と戯れろ!!」

「人を汚染物扱いしやがって、この若鶏お節介仕立て」

 ぶつかり合う視線にまたか、と乙姫が肩を落とした時、意外にも冷静なことを言ったのは小林だった。

「風見先輩、大変なんです、助けてください!」

「ほへ?」

 そして意外にも真摯な眼差しで小林は手にした黄色いメガホンを振り上げる。
 良く見れば小林の鉢巻は先ほどの団体とは色やデザインが違う。
 メガホン、鉢巻、両方にはデカデカと、『チロルファンクラブ』と書かれていた。
 そこにはチロルのデフォルメされた可愛らしいイラストも描かれているがそのシルエットがどう見てもひよこだ。

「…………」

「あ。これですか?」

 にこにこしながら語る小林。悪意は無いようなのでチロルはむっとしながらこくりと頷いた。

「魔女部を退部してから僕はチロルファンクラブを立ち上げ、風見先輩を応援することにしたんです!
 あと、そこの陰険神父から守るため」

「ほう」

 絹夜のトゥーキックにめげずに起き上がりこぼしの如く素早く立ち直る小林。
 その姿はチロルの目には好印象だった。

「そして、部員を獲得し、そうしてそこの非道徳神父に立ち向かおうとしたときです!」

「おい」

 どすっと小林の顔面に絹夜の膝が入る。
 またも無言で立ちなおした小林にチロルと乙姫が拍手をしていた。

「突然、『マロンファンクラブ』なるモノが出来てしまって…………!
 部員は総流れ、それどころか、人気絶大、今では校内の男子のほとんどがマロンこと毬栗ユマに流れてしまったんですよ!」

「…………」

 ドカ。
 全く自分は関与していないにも関わらず背中に蹴りを入れる絹夜。
 またもべちゃりと前に潰れた小林の手をがっしりと握りながらチロルは暑っ苦しい目で視線を交わした。

「お前の雑草魂、しかと見た! それこそサムライというものだ! ニッホンの! 魂だ!」

「風見先輩……! いいえ、親方様ーッ!」

「小林ーッ!」

「親方様ーッ!」

「小林ーッ!!」

「親方様ーッ!!」

「何をやっとる」

 ヒートアップして我を失いかけた二人に今度は絹夜による拳骨が入った。
 風見チロル、熱きサムライスピリットに激弱。

「いや、つい……。鬼神のようなものが降臨したのだよ。ヨーグルト片手の鬼神が」

「俺には見えない。すなわちそれは幻だ」

 正しいようで自己中心的なことを言った絹夜も含め、引きまくっている乙姫は再度道を示すべく小林に問いかける。

「で、大変なことって、チロちゃんのファンクラブが存続できなくなっちゃうってことでいいのかな…………」

「おお、どこのどなたか存ぜぬが親切な娘さん! いかにも!」

 もともとミュージカル調だった小林がチロルのエセ大和魂に触れてまたみょーちくりんな状態になっていた。
 暴走状態の二人はさておき、乙姫は絹夜に助けを求めるように視線を投げかけた。
 絹夜も珍しく同じ意見である。

「どうでもいい」

 それだけはき捨てて絹夜は警備員室に方向転換。
 今はファンクラブ云々ではない。
 自分の不調をどうにかするのだ。
 何か原因があるのかもしれない。
 アホな風見チロルはさておき、あの柴ならどうにかなるかもしれないという儚い希望を持ってチロルを引きずり警備員室へ。
 だが、入ってみて結局は柴卓郎はだらだらと昼のバラエティー番組を見ているのだ。

「…………」

 腐ってやがる。
 何がってもう色々と。


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