NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 22 *Agnus Dei*C
朝日で目覚めるという体験はアンジェラにとって何度目だったか。
いつの間にかねむっっていた彼女に毛布をかけたもはあの無骨な老人、あの場所の、あの朝に帰ってきたのだ。
いまだに高いびきで眠っているギオの小さな身体にも毛布がかけられていた。
窓から盛大に差し込む光があまりにもうるさくてアンジェラは毛布に潜る。
しかし、少し冷たい澄んだ朝の空気が格別に気持ちよく、そのまま眠りに落ちる瞬間は最高に気分がいい。
波の音、柔らかな潮風、澄んだ空気、貫くような光。
宇宙空間には無い地球の息吹だ。
この場所は、とても心地よい。
二度寝したい……。
アンジェラのだらけた思いに反して耳元で誰かがささやいた。
「寝るな」
「んー……?」
目をこするとそこにもギオだ。だが、後ろで転がっている少年ではない。
逞しく成長した、見慣れた姿だ。
「…………えー?」
「あれはお前の思い出」
ムクリと起き上がるとその下には眠っているアンジェラ。
まるで幽体離脱のような状況にアンジェラが驚くが、実際にはもっと凄い事になっていることを思い出し、冷静に自分の寝顔を覗き込んだ。
「うわー、私、寝てるねー……!」
「当然だろ、お前この後、二度寝しちまうんだから……」
「ギオは、ギオだよね……?」
眠っている自分を背にしてアンジェラは庭に立つギオを追いかける。
その先は海だ。
潮騒が歌っている。
「当たり前だろ」
捕まえるように腕を組んで体重をかけた。
「よかった……、捜しに来てくれたの?」
「捜すー……うーん、待ってた」
海にたどり着く。
変わらないところだった。
静かで、暖かい場所だった。
何もかもを許してくれそうな、そんな場所とそんな人だ。
太陽の光が踊る海面が豪華な輝きを放っていた。
「地球って、こんなに綺麗なんだね」
「うん」
「でも、ここは本物じゃないんだよね……」
「うん」
「…………帰ろうか」
「うん、そうだね」
堅く手を握り合って元いた場所、仲間たちのことを思い出す。
それが約束だ。
* * *
二人が戻ったのは柱の前だった。
アリアの死体も首と胴体が離れたまま二度と動かないだろう。
しかし、部屋を出ようとしたアンジェラが足を止めてアリアの胴体部分の前に両足を折った。
「どうしたんだ?」
ギオも戻って彼女の後ろに立つ。
だが、アンジェラには何かがわかったようで両手をアリアの腹に押し当てた。
「君は、ここにいるの……?」
アンジェラの優れた五感が弱い鼓動を聞き取った。
まるで、ギオがその運命を授かったときのように、彼女は救いとなる。
「”助けて”って、言ってる……」
「え……?」
銃弾を受けて切り裂かれた腹にアンジェラは物怖じせずに捲り上げた両腕を突っ込んだ。
どろどろとした粘膜の中、彼女は探る。そして、何かを見つけたのか、目を丸くした。
「あ、切れちゃってる……、へその緒……」
「はぁ!?」
そういって彼女が引きずり出したのは、胎盤のまとわりついた赤ん坊だった。
ごく普通の、なんら変わりの無い、人間の子供だ。
あっけにとられて二人はアリアの死体をもう一度見た。
四肢も頭も変化していたが、彼女は腹だけを人間にとどめていた。
それがこのためだったのか解らないが、手の中にあるその赤ん坊が事実なのだ。
「……彼女は、家族を愛していたんだね……」
彼女の子供を抱き寄せてアンジェラが口を指で開き、袖口で粘膜を拭った。
それを待っていたかのように赤ん坊は泣き始める。
これからの命を謳歌する宣言のようだった。
ここに置いておく、なんて選択肢は無い。
子供を抱きかかえたままアンジェラはその部屋を後にした。
カルヴィンたちが出て行ってからさほど時間はたっていないようで、
しかし、卓郎がいないこととアンジェラが赤ん坊を抱きかかえている説明をするとかなりの時間がかかった。
管制室にもどってまた同じような説明をすると、トリコがただ、そう、とだけ答えた。
「しかし、これで終わりなのかな……?」
カオの呟きにマディソンが唸った。
「わしはなーんかものすごい重要なことを忘れている気がしてならんのじゃがのう……」
「お、奇遇。俺も」
カルヴィンが挙手をし、でも、と続ける。
「こういう時は大体卓郎が横から突っ込んで教えてくれるのが一連の流れだったからなぁ……。
ほら、突っ込みそうだろ? ”出撃デッキで国際協議会のお偉いさんと落ち合う約束になってる”って!」
「ははは、言いそう言いそう」
「…………」
「…………」
次の瞬間、解放軍面々は必死の形相で走り出していた。死に物狂い、その言葉が一番似つかわしい瞬間だった。
廊下を爆走する一同が声をそろえる。
「卓郎のバカ〜ッ!!」
何故卓郎のせいになるのだ。
ともかく、皆の気持ちが一つになってそれは思わぬ力を生み出すことを彼らは知っている。
奇跡か偶然か”運命機構”か、幸い、そこにはスーツ姿の団体がマグダリアの観測員から表面的な事情を聞いて待機していた。
仰々しい雰囲気にカルヴィンが面倒くさそうな表情になる。
スーツの男のうち、一人はボディーガードらしい怖そうな黒人の男性だ。
もう一人は品のいい長身で初老の政治家、残る一人は垂れ目のアラブ系中年だった。
「伯父様!!」
突然、フラウが叫んで出てくる。
それを政治家の男はしてやったりという笑顔で迎える。
その顔からしてこの再会は偶然ではないのだろう。
「えっと、あの、私の母の兄なんです」
「オーウェル・キニスンと申します。国際協議会で副議長を勤めさせていただいております。
それから、こちらがラシド・モハマド・ラシード。私の秘書です」
両手を合わせ一礼するラシド。
にこにこ、というよりにやにやとしている怪しげな男だが害はなさそうだ。
「あなたが艦長のカルヴィン・シェスタニエ=幸野氏でよろしいんでしょうか?」
なんだかんだと艦長が見に染み付いたかカルヴィンは必ずといっていいほど仲間をかばう位置に立っている。
元の性分が面倒見がいいだけあってそこが落ち着くのだろう。
”幸野氏”という呼ばれ方に違和感を覚えながらカルヴィンは軽く敬礼をした。
「ええ、俺です」
確信があったからこそオーウェルも尋ねたのだろうが、カルヴィンの返事に少々の驚きを見せた。
そんなことで驚いていてはアンジェラが<天使の顎>だと知ってどんな反応をするのだろう。
「随分とお若い。新進気鋭といったところですな……皆さんの怪我のほうはいかがでしょう、話の場はまた後で、ということにいたしましょうか」
新進気鋭といわれてももう艦長なんてやるつもりは無いがカルヴィンは反論はせず素直に言葉に甘えることにした。
このままでは艦長という仕事を引きずることになりそうだが、今は仲間たちが気になる。
その気の持ちようこそ艦長に相応しいのだが、彼は認めないだろう。
「急ぎ、ホテルをラシドに用意させましょうマスコミ関係も遠ざけなければなりませんしね」
「そうですね…………」
これからが忙しくなりそうだ。
それでも、戦いは終わったのだ。
もう、武器をとって誰かを傷つけなくて済む。
誰かに傷つけられることを恐れることも無い。
ようやく、スタートラインに立ったのだ。
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