NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 18 *春と修羅*B
いつもなら三分もすればアンジェラは機体から降りてきていた。
だが、今日に限って降りてこない。
SS隊の先攻を何とか退いたことで艦内デッキでは仲間たちがじゃれあっているのだが、アンジェラはただぼんやりと虚空をみていた。
プリマテリアとは結局なんなのだろう。
問いかけて応えるものも無く、寂しい気持ちになった。
プリマテリア。
感情を喰らう鉱物。
だが、どうしてか、その鉱物は食った感情を純粋に吐き出しえいるような気さえする。
溢れたものを浄化し、純粋にし、つき返している。
己の鏡のような存在だった。
アリエスに乗っていたときを思い出すとその感覚がよくわかる。
感情の高ぶりをアリエスが飲み込む。純化し、今度はアンジェラが受け入れる。
そしてまた吐き出し、取り入れ、純化、その繰り返しで研ぎ澄まされた、本当の心にたどり着いていた。
自分の、本当の心に。
それが純化し、形を成して行く過程で拒否をすればそのサイクルが乱れ、暴走にいたる。
見つめ合える己の感情の機体に乗る、それがマグダリアのパイロットだ。
「愛情の、キャンサーか…………」
怖い気がした。
今度暴走するのは自分の番なのでは無いかと思ってしまう。
そして、暴走を引き起こしたギオが見た受け入れがたい己の”本能”とはなんだったのだろう。
プリマテリア。絶対物質。それはいつからあるもので、いつから人間を見てきたものなのだろう。
* * *
「容態は?」
メイシンの問いに翡翠は首をふった。
「酷いというかうるさいというか、いろんな意味で大変ね。でも、左腕は完全に落ちてるわ。
腐らないうちに切断しないといけないそうよ」
「そう。でも、回収役ご苦労様。さすがね」
「ちょっと見学しに行こうかと思ってただけよ」
自分の所業を全く鼻にかけずに翡翠は去ってゆく。
メイシンはその奥の医療ルームに入って回収されたユーバーの様子を確かめることにした。
薄暗く、広い部屋の真ん中で白衣の数人の医師たちが話し込んでいる。
メイシンの姿を見つけて、ドクターリーダーが駆けつけた。
「メイシン副司令……」
その口ひげの医師が困り果てた表情で彼女を迎える。
知的なしわを走らせたその医者は古いなじみのヨシノという。
「いいのよ、昔みたいに呼び捨てて。それより、ユーバーの容態はよくないみたいね」
「ああ、とにかく今、無菌室で応急処置を行っているが、あれではパイロットは無理だろう。
不幸な事故としか言いようが無い」
「それを説明するのがまた骨になりそうね。義手をつけてもやっぱり無理かしら?」
「いや、左腕に関してはそれでいいなら用意しよう。だが、火傷が酷くてね、首の後ろまでだいぶ焦げていたんだ。
左目が見えないらしい。平衡感覚や中枢神経がかなり鈍っている。生活についてはリハビリを行えば苦労はあるが、
パイロットはもう無理だ。いくらなんでも脳を切り開いて治療するわけにはいかないからね」
「…………。そう。有能なコだったのだけれどね。その話は彼にしたの?」
ヨシノが難しい顔で首を振った。
「伝えはしたが、まだ諦めてはいないようだ。君からの説得で何とかなるなら今すぐにでもしてもらいた――」
ヨシノが説明するそばから、奥の部屋から喚き罵る悲鳴が上がる。
なにやら棚でもひっくり返したような騒音が続くがメイシンは溜め息をつくだけに終わった。
「メイシン、あの年頃のパイロットが何人いるんだ。解放軍との協定は考えなかったのか?
いや、わかっている。わかっているとも。それでは地球のお偉方が納得しない、しかし、場だけでも設けては結果は違っていたかもしれん」
「協定は無いわ……。私たちの本当の目的は<天使の顎>の処理。資源問題はとってつけた言い訳。
本当は、<天使の顎>を抹殺したかった。そして、彼女は当然の権利を行使し、生き延びているだけよ。
私たちが何を思っていようと、彼女には関係ないんだわ。彼女は間違っていないんですもの」
「……毒蛇にわざわざ餌を投げつけて、餌をとられたと泣くのはもう止めたい。我々のやっていることは後世、喜劇として残ってしまうだろう。
あんまりにも滑稽だ。そして、あんまりにも残酷だ」
しかし、とメイシンが付け足した。
「毒蛇と共存は出来ないわ。彼女がいてはまた戦争の火種になりかねない。
この場で排除しなくてはならないの。”フェニックス・フォーチュン”は二人もいらない。
大天使は二人もいらない。レイジ君は絶対無二の唯一神となるのよ」
「…………」
「そして、その神が統一すれば戦争なんて起きないわ」
「だったらいのだがね……」
ヨシノの言葉をまたもユーバーの絶叫がさえぎった。
地獄を見ているようなその声に耳を塞ぎたくなってメイシンは背を向ける。
「ありがとう、ドクターヨシノ。それから、義手の件は私が彼と相談するわ」
「助かるよ」
* * *
「…………テロメアが減少していない。ネオテロメラーゼが作用しているようだ。
私の研究は成功した。私は間違ってはいなかった。
”フェニックス・フォーチュン”の誕生だ」
父がカナコとレイジを見下ろしながら興奮した様子で言った。
全身が焼けるように熱い。
皮膚が酸素に焼けている。
また、別の声がする。
「…………助けて、父さん」
弟のか細い悲鳴はすぐ隣から聞こえて、激しい絶望を呼んだ。
とても悲しい。
とても苦しい。
とても恐ろしい。
とても愛しい。
とても嬉しい。
とても、死にたい。
「…………君を、守りたい。ラッセル、君を……!」
そう、言葉が漏れ出した。
願いはそれだけだった。
もがき苦しむ子供を見て、父は歓喜した。
「不老不死は存在した、学会のバカ共め、私が正しかったのだ!」
ソウジは息子レイジの傍らに立つ。
「助けて……父さん、姉さん!!」
寝台に縛り付けられ苦しんでいる弟は体中の皮膚が焼け爛れている。
過剰な遺伝子操作で身体が燃えるように熱い。
「パパ!! レイジが死んじゃう!!」
叫んで届いたことは無い。
それでもカナコは叫び続けた。
「レイジ!!」
同じように寝台に縛り付けられ、同じように痛みを感じる。
しかし、カナコは自分のことよりも弟の命がこのまま燃え尽きてしまうのではないかと悲しくなった。
「黙れ、何の効果も示さない失敗作! 誰か、この失敗作を隔離しろ。うるさくて敵わない」
「姉さんッ!! 姉さん、一人にしないで!!」
どす黒いものを吐き出しながらレイジが叫んでいる。
答えるまもなくカナコは身体に走った電流に意識を奪われた。
――!
遠く潮騒が聞こえる。
――……!
誰かが呼んでいる。
風のにおい。波の音。太陽の光。
「アンジェラ」
「…………ん」
目が乾いてなかなか開かない。
また眠ってしまったようだ。最近、疲れていていつの間にか睡眠に意識をとられてしまうことが多い。
もう見ないと思ったカナコの過去を夢に見た。
どうしてそんなに彼女は悲劇を繰り返したがるのだろう。
悲劇のヒロインぶったカナコが大嫌いだった。
「あー……」
なんとなく声を出して答えてみた。その間、きょろきょろと見回す。
戦闘機の中だ。
無意識にハッチを開けたのか縁に腕をかけて得意気に笑っているギオが覗き込んでいる。
悪意のない、とはいえ無いいたずらっぽい笑い方が相変わらずで安心した。
「またまた、寝顔、ゴチーっ」
「…………。元気ね」
「若いもん」
「…………。すんごいムカツク」
というアンジェラの耳に手をあててギオがこそこそと言った。
何言かくだらない掛け合いをするのは習慣になっている。
「アンジェラがおいてきた乾燥納豆でトリコさんがずっこけたらしいよ。すんごい顔で犯人探ししてた
先に言っとくけど俺は黙ってるからな。怒られたらモブかフラウちゃんのせいだからね」
「……。なんでまた踏んじゃうかな、あの女」
もちろん卓郎の”運命機構”が原因だ。
「あ、それから、アンジェラ」
「もー、うるさいなー……」
目をこすっているところ頭をぐしゃぐしゃとなでられた。
乱れた前髪を気にせずアンジェラは半目を向ける。
「たーだいま」
やたら滅多ら、無駄に爽やかな笑みになるギオ。
「おーかえり」
なんのことだろう、と考えつつ返事をしつつ思い出す。
どんなに拗ねて見せたとて、敵わない相手になってしまったのだ。
逆らおうとも、根底的なことろが逆らえない。
この体が、精神が、二度目に頭を垂れた男。
「ギオ・ディップウルフ……」
新たな呪文を唱える。
それが命綱だ。
思い切り、何もかもを硬く結んでつなぎとめた。
「ん?」
きょとんとした間抜けな笑顔だった。ただ、それが温かい。
アジアの、暖かく静かな海。吹雪はもちろん嵐も知らない真新しい海。
遠い潮騒、太陽の光が踊る海面が豪華な輝きを放つ。
* * *
わずかな力だった。
ネジの外れる角度をたったの6度傾けただけだ。
そのネジがユーバーの機体を蝕んだ真の敵だった。
「”運命機構”……。この世には恐ろしいものがある。
己の命さえ加法減法で計る人間がいること、そして、己の命さえ加法減法で計れない人間がいること。
さらに、それを操る悪魔が存在すること……」
青年の体の半分は焼けただれ、今は薬の塗られた上に包帯が丁寧に巻かれている。
シーツすらこすれるのかおどろおどろしい傷跡をした胸をさらし、彼は黙って横になっている。
医療ルームのベッドの上でユーバーは寝かされていた。
すでにその左腕は肘から下を失っており、最終的には肩から切断しなくてはならない。
赤紫の焼けた傷は彼の整った顔にまでいたり、その左頬と左目を走っていた。
「でもお前は救われた。俺にはそれだけで感謝するべきことなんだ。よく戻ってきてくれた、ユーバー」
左目を失った彼にもうパイロットは出来ないだろう。
小鳥が自由に飛べないようにかざきり羽を切られてしまうことをラッセルは思い出した。
ユーバーは悪魔の力でねじ伏せられた。パイロットが必要な翼を綺麗に奪われて。
真に恐ろしいものと手を組んだものだ。
悪魔は、”死”は、彼を殺さなかった。
それこそ配慮だったのかもしれない。
だが、この世には”死”よりも恐ろしいことがある。
カナコを失った苦痛と、ユーバーの絶望は似ているのだろう。
自由を失った魂に命は灯らない。
「総督」
「何だ?」
「俺の戦闘機はどこですか」
左半分を失ったせいか、口がうまく回らないようだった。
活舌の悪い言葉に一つ一つ耳を傾けラッセルは彼の体の現状を通告する。
彼が何も考えないように淡々と、いつもの調子で。
「…………。どうして……俺だけ」
「…………」
悲観的なのではない。
その気持ちが痛いほどよくわかった。
どうして俺だけ助かったんだ。
救った奇跡を呪う気持ち、神を否定したくなる絶望、残された自分に突き刺さった十字架。
「総督、殺してください。宇宙で死んだことにしてください。こんな姿を晒したくない」
「だめだ」
「総督……。俺はパイロットなんだ、戦闘機に乗りたいんだ、戦闘機が俺の棺なんだ。
それなのに、どうしてこんなところで寝ていやがるんだ、俺は……!」
「お前が生き残ったことで喜ぶものがいるだろう」
「悪い夢だ、こんなの……。死んだ連中が俺をチキン野郎だと笑っている」
「…………」
ユーバーの目に涙が溢れていた。
生かすことで彼の運命は半分救われただろう。
だが、生かすことで彼は死んだ半分を引きずりながら生きることとなる。
”死”はとても甘いことをしてくれた。
生かすこと、つまり善行が最善の結果に至るとは限らないのだ。
こうして苦痛を増やすことなる。彼が立ち直れば、また別の道は開けるが……。
「特務を与える」
ラッセルが立った一人のために声を張り上げた。
そして、首から提げたロケットを外し、ユーバーの枕元に置いた。
「これを、地球の海にでも捨ててくれ。そうだな、出来るだけ暖かいところがいい。太陽のあたる海に捨ててくれ。頼んだぞ」
「総督……?」
ラッセルが視界から消えた途端、ユーバーは心細そうな情け無い声になった。
「何だ?」
肩越しに振り返る。
「これは、なんですか?」
「……墓標」
「…………。そう、ですか」
足音が遠ざかる。
何もかも現実と引き離されてしまうような気がした。
「俺は……」
ここで死ぬわけにはいかなくなった。
亡霊たちにうしろ指差されようとラッセルからの特務がある。
とても重要な。
右の腕を回してマクラもとのロケットを手にし、爪を蓋に挟んでこじ開ける。
「…………」
自分と同い年くらいの三人の男女。
とても楽しそうに笑った彼らは幸せになれると思っていた。
ラッセルと親しげに腕を組んだ赤い髪の女。
「<天使の顎>……」
蓋には”2187年 バーキー大学の岬で”と彫られている。
変わらない瑞々しさで戦闘機に乗っていたあの女はやはり魔女か聖女か、はたまた天使なのだろうか。
そして、彼らはただ戦っているのではない。
なんとなく事情を悟ってユーバーはロケットを閉じた。
本当に大事な過去じゃないか。
こんなものを後生大事に持ち歩いていたラッセル。
そして、それを任された。信頼を受けてこんなに名誉な勲章はあるだろうか。
彼が二度と戻らぬ覚悟で戦って苦しんでいることを知りながらユーバーは安らかな眠りに落ちた。
体が欲しがったのは生きるための安息だ。
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