NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 17 *サキノハカといふ黒い花といっしょに*A
「というわけで、皆さんすいません」
食堂に百人と少しばかりのクルーを集めてカルヴィンは頭を下げた。
その横では卓郎が同じように頭を下げている。
だが、カルヴィンより先に顔をあげた卓郎はいつものように淡々と話を進めた。
「次に、艦長の処刑を執り行います」
ぎょっとしたカルヴィン。
だが、その他の全員はそれが行われても仕方ないんじゃないかと思いさえした。
ことの原因は簡単だ。
武器、装備、などの購入はしっかりしていたが、全員分の食料をすっかり忘れていたカルヴィンは艦内を食糧難に追い込んだわけだ。
急ぎでジェラードが地球に降りたが彼女はあっさりと、危険だと思ったら帰ってこないから頑張れ! と言い残していった。
それは本気なのだろう。
艦長の処刑コントはともかく、アンジェラは箸を取り出し備え付けられているピンクのタッパーから紅しょうがをつまみ始める。
「非常用の健康食材でつなぐしかないわね〜」
「ゲ」
横にいたトリコが過去の思い出を蘇らせ、酷い顔になる。
健康食品とは基本的に豆の加工食品だ。
豆は健康にいい。しかも大量に生産でき、腐りにくい食品にできる。
だが、その大半が、間違えた納豆の味だった。
アンジェラは納豆を倦厭しない、というかむしろ好きな人種だが、半分以上日本人のはずのトリコを含めた大多数が腐った豆が食品と認めないらしい。
天邪鬼の卓郎は、それは納豆になりきれてない納豆であって真の納豆ではない。宇宙納豆だ! と拒み結局、非常食に豆の食品が残っている。
確かにそれは納豆とは似ていて、しかし非納豆であった。まさに宇宙納豆である。
「健康食品ってそんなに酷いんですか?」
フラウの問いに表情で答えたトリコ。
間違ってでも口にしてはいけないことはよくわかった。
「私は結構好きなんだけどなぁ」
周囲の反応にアンジェラは首をかしげる。単にアンジェラは拘らない主義なのだ。
何でも咀嚼し、何でも飲み下す。お腹に収まればいい彼女は相当センスのないギオの料理だって一週間食べ続けた。
かといって、彼女が味オンチというわけではない。
解散となり、溜め息をつくトリコやらフラウやらにアンジェラは後ろから提案をぶつける。
「そんなに嫌なら調理してケチャップでもナンプラーでもかければいいじゃない」
振り返ったトリコが悪意をこめた笑顔で問い返す。
「嫌味?」
「あ、トリコ料理できないんだっけ」
対抗して笑顔で答えるアンジェラ。
残念ながら、アンジェラの料理の腕は一般レベルを超えていた。
人間、取り柄は一つくらいあるものだ。
「そんなことございませんのよ、おほほほほほほほー」
「さいですかー、うほほほほほほー」
いつもの光景で和やかなのはいいが、緊急事態には変わらない。
「先輩、貯蔵庫とか整理しよう? どうせ暇なんでしょう?」
大人の態度でアンジェラを引っ張ろうとしたフラウに反応してギオが駆けつける。
「俺も手伝う」
その後ろにはモブやリサ、ミリィなどが同じように立っていて、思わぬ人数になりフラウは固まったがすぐに大人数のほうが作業はしやすくなると頷いた。
艦長は……――あのままでもいいだろう。
「では貯蔵庫の健康食品を仕分けしましょう」
「はーい」
挙手をして応える一同にフラウは幼稚園の先生にでもなったような錯覚を起こした。
仕方ないのだ、こういう戦艦なのだから。
* * *
荘厳な雰囲気に心地よささえ覚え、ラッセルはパイロットの波を一望した。
Lv3コロニーの地球軍前線基地の出撃デッキでには多くのエリート兵士たちが並んでいる。
壇上に上がったラッセルを多くは認めてはいないはずだが、軍での階級は絶対だ。
息のかかった重役に圧力をかけられながらも後続人派はまだ生き残っている。しかし、そんなことはラッセルには関係ない。
大きな宴が始まる。高鳴りを抑えられず久々に生き生きとした鼓動を感じた。
壇上からは規律正しく並んだエリートパイロットたちが見えた。
それと向かい合ってしてもまだラッセルの方が威圧的に構えているほうが不思議なくらいの人数だ。
これが全部戦闘機に乗り込むわけではないが、軍人としてはいい光景だ。
舞台脇にはメイシンとクライヴが並ぶ。
デッキにはすでに点検済みの戦闘機、秋水改が低く唸りをあげていた。さらに、その奥には白銀の母艦リヴァイアサンが構える。
マグダリアに匹敵する巨大戦艦は雪の色に光っていた。
「諸君、この日をどんなに待ち焦がれたか私もよくわかる」
マイクに静かに語りかける。
蝋燭の炎をもかき消さないような静かな声が遠く響いて反響し、返ってくる。
誰もが、地球軍総督という肩書きの男を見つめた。
ラッセルもその存在となって応える。
ラッセル・レヴヴィロワはカナコの記憶に沈み、溺死した。
ここにいるのは大いなる生贄。
その棺を飾る多くの未来に何を言い訳しろというのだ。
「<天使の顎>に噛み砕かれ、その血を一滴残らず吸い取られても我等の魂までは吸い取られない。
聖女の皮をかぶった魔女を戦火にて処刑しろ!」
騒然となった。
死地に向かうのに生きて帰るなというこの総督。もちろん、そこに自分の命も含まれているのだろう。
完全に無慈悲なその男の迫力に皆が総毛立った。
これまで規律正しく並んでいたパイロットたちが我を失ったかのように声を上げている。
この熱狂は冷めないような気さえした。
カリスマ性の高いラッセルの導きは死出の旅。それを知っていてパイロットたちはそれぞれの機体に乗り込んでゆく。
それが終わり、全てが出払ったのを見送ると。ラッセルは壇上を降り、自らもリヴァイアサンに乗り込んだ。
中ですでに待機している観測員たち。
そして、出迎えたユーバー。
「司令……、総督、とうとうですね」
「嬉しいか? ユーバー」
「もちろんです」
「ならばお前の満足するように暴れるがいい」
「そうさせてもらいます」
先陣を切る役目をし志願したユーバーは出撃式典の前からリヴァイアサンに乗り込んでいた。
そして、艦内サポートの翡翠も副司令席についている。
「先陣がマロンちゃんなら、出番、無いかもね」
翡翠がおどけた調子でラッセルに言う。
そんなバカなことがあるほど<天使の顎>は甘くない。
そう反論したところで何になろう。ラッセルは同じように同意して意見をあわせた。
「じゃあ、僕はデッキで待機しておきます。それではラッセル総督、僕の活躍、祈っててくださいね」
「ああ」
いつもどうりにユーバーが背を向けてゆく。
あの少年に<天使の顎>の、アンジェラ・バロッチェの真の恐ろしさがわかるのだろうか。
「ちょっと、ラッセル」
翡翠の言葉にラッセルは現実に戻される。
「なんだ?」
返事を待ちながら司令官席に腰を落ち着ける。
だが、その続きが返ってこない。
「何かあるのか?」
もう一度聞くと翡翠が振り返りざま、溜め息をついた。
「どうしてユーバーに先陣切らせたの?」
「奴が志願したからだ。他に何が……」
「誤魔化すんじゃないわよ」
「さて?」
「SS隊で一度に、しかも相手が弱ったところに突っ込めばいいじゃない。どうして戦力分散するのよ」
「長期戦を行ってもエネルギーの無駄だろう? 資源開発は現在の問題ではないか?」
「言い訳がましいわね。いいわ。<天使の顎>が顔を出したらあんたの反応をたっぷり観察してあげる」
「…………。そりゃあどうも」
正直、まずい。
ここまできて、戦況が傾いているとはわかっているものの、地球軍とレジスタンスだ。
差がありすぎる。
しかし、<天使の顎>ではこれまで信じられないようなことが幾度となくおきてきた。
数なんてものはアンジェラがねじ伏せる。
あの船には超えがたいものがあるのだ。
* * *
トリコには犯人の目星がついていた。
アンジェラたちがまじめに貯蔵庫をいじくっている間、彼女は食堂に戻る。
まだなにやら言い合っている卓郎とカルヴィンはつかつかやってくるトリコに気がついてきょとんとする。
「たー、くーろーぅッ!」
「あ、バレた」
急にカルヴィンを盾にコソコソとし始める卓郎。
虚しく盾のカルヴィンに見限られ、トリコにネコの子でもつかむようにコートの襟首を持ち上げられる。
「”運命機構”ってのは納豆パーティーも開けるのね」
「本当、すいません、本当。ちょっと冗談が過ぎました」
「お前ーッ!!」
状況に気がついたカルヴィンが怒涛の唸りを上げた。
「俺に謝らせておいてそれか! またそのオチか! 何度目だ、こういうの!」
「何度目だと思う?」
「聞くな!」
一方でトリコが空の冷蔵庫を開いた。
座れば大人一人が十分入れるスペースである。
「ちょっと貯蔵されてなさい」
「なんか、キムチ臭いんだけど」
とはいつつ、状況を把握しているのか卓郎は無抵抗で冷蔵庫に納まる。
戸を閉めてまた別の冷蔵庫を戸の前に配置すればしばらくは出てこれないだろう。
「…………」
マグダリアの切り札としての卓郎に対し、地球軍はあのラッセルだ。
「…………」
こういうのはどこの誰に文句を言うべきなのだろう。
「…………」
まあ静かになってこれはこれでいい。
「仕事に戻るか」
トリコの疲れた溜め息に押されてカルヴィンも司令室に戻る。
卓郎のことだから数時間閉じ込めたくらいで文句を言うことも無いだろう。
司令室に入った途端、電子音が部屋いっぱいに響いた。
「なんだ?」
「通信です」
観測員の一人が言う。
「開け」
「了解しました」
数秒の操作の次に聞こえたのは耳障りな高笑いだった。
『あヒャーひゃはっははははははっはっははははっは!!!』
「ははー?」
正面のモニターに映し出された白い軍服は地球軍のものだ。
それにはっとなってカルヴィンは難しい顔をする。
「…………お前は」
しかも通常の地球軍の軍服とは違う。明らかに特別階級のものだ。
栗毛の青年の胸に光る勲章の数は片手では収まらないほどだ。
『アロー、残党諸君!』
挑発的な言葉だが元々部外者のカルヴィンは素直に受け取りそのまま流した。
「貴様、わざわざ宣戦布告か?」
落ち着いた態度でカルヴィンは応答する。
卓郎の今までのミラクルな発言に比べればまだまだ話が出来るだけマシな相手だ。
『そうさ、これから君たちをデブリに変換してさっさと帰ろうという予定だよ。
もう戦争やってるほど暇じゃないんだ。ブっ潰れやがれ、チョビヒゲども!』
「チョビヒゲ!?」
驚いて思わず鼻の下に手を当てるカルヴィン。ちゃんと今朝剃ったはずだ。
『二時間後にはそっちにつくよ。精々準備して泣かされるのを待つんだね!!』
「何!?」
まだ鼻の下に手を当てているカルヴィン。
『下等生物は下等生物なりに泣き叫べ!
ひゃあはっはははははははははっはっはっはははははははッ!!』
またしても三段笑いで通信を切ってしまった地球軍の青年。
何でもいいがカルヴィンはまだ鼻の下に手を当てている。
「二時間後といいましたね」
カオが静かに繰り返した。
「そうだな、十分だ! 警戒警報!」
「了解」
「あの高笑い小僧に礼儀作法を教えてやる」
カルヴィンはすでに暗転したモニターを睨んだ。
ちなみに、手はまだ鼻の下だ。
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