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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 16 *恋は焦らず*A

 歩で前線を固める。
 玉将を逃がす。
 桂馬で攻める。
 香車で角を奪う。
 将棋盤の上で駒が小気味いい音を立てて争う。

「王手」

 あくまでも静かな、しかし自信たっぷりな声でマディソンは告げた。

「参りました」

 三十秒考えて卓郎が返す。
 言った後もどこで間違えたのか盤上を睨んで考え直した。

「お前さんと将棋を指すとどうにもコンピュータとやっているようじゃ。
 先が読めるんじゃよ」

「…………」

 艦内デッキで将棋盤を広げる二人の後ろでは整備士たちがわらわらと作業している。
 どこから持ってきたのか、将棋盤は黒い大理石で相当お高いことが一目でわかる。

「とはいえ、これで一勝五敗じゃわい」

「読まれるならこれからいくらやってもあんたの勝ちだろうな」

「お前さんは堅いのう、もう少し相手を欺くことを覚えたらどうじゃ。
 真っ正直なのはいいことじゃが少しは切り捨てることを覚えんか?」

「…………。よく、言われたよ、”善行が必ずしも最善の結果をもたらすとは限らない”と」

「その通りじゃ」

「分かってはいるが、それは押さえられるものではない。
 俺にとっては、正義こそ本能だ。それに本当の意味で逆らうことが出来ない」
 
 言葉にはせずに胸に秘める。
 ラッセルとは戦いたくない。
 アンジェラに殺させたくない。
 だが、彼はそれを望んで、彼女はそれを受け入れた。
 それを見守るのが役目なのだ。

「俺には酷なのかもしれない……」

 卓郎のぼやきに整備士の呼び声が重なった。

「マディソンさん、ちょっといいですかー!?」

「なんじゃなんじゃー?」

 ひょいひょいと向かっていってしまうマディソンが卓郎の言葉をきていただろうか。
 聞かれていないことを願って卓郎は見送った。
 将棋盤に目を戻す。

「コンピュータ、か」

 イレギュラーに弱い自分にはうってつけの戒めの言葉なのかもしれない。
 
「猛烈に困ったの」

 マディソンの声に顔をあげる。
 マディソンがなにやら戦闘機の改造を行っていることは卓郎も知っている。
 むしろ、興味があった。
 そのマディソンが珍しく、勢いを弱めて頭を抱えているではないか。

「どうかしたのか?」

 と、参上すると、マディソンは難しい顔をしながら聞く。

「ゾディアック・ブレイズの所有権は誰にあるんじゃ?」

「は?」

「どうにも、新しく取り付けようとしているMエンジンがプリマテリアに拒絶されとるらしいんじゃ。
 Mエンジン自体もプリマテリアを装備しろということなんじゃろう。じゃが、プリマテリアはそうそう、簡単には手に入らんじゃろうて」

「ゾディアック・ブレイズを解体して、今、使用している機体にのみ、改良を加えようというのか?」

「そのつもりじゃが、都合悪いかの?」

「戦力的に見ても今更数で勝負をしようとは思わない。能力の底上げは最優先事項だ。俺は賛成する。
 ただし、所有権は元・艦長の万条目豊にあった。遺産の授与が行われているなら自動的にそれは一人娘に受け継がれているだろう……」

 全員が卓郎に合わせるように呟いた。

「万条目トリコ……」

 説得に面倒な相手だ。

                   *            *            *

「…………」

 普段陽気なトリコが完全に表情を失っている。

「おい、まずいんじゃないか?」

 卓郎がマディソンに耳打ちする。
 真正面から要望を伝えたがあまりいい返事はもらえなさそうだ。
 さすがに、父の形見である。
 完全に呆れているトリコは相変わらずに医務室にこもりっきりで仕事をしていたのだが、もう何分も言葉を発しない。

「まずかったかのう」

 冷や汗を浮かべ卓郎に同意を求めてマディソンは逃げるような姿勢をとった。
 卓郎もいざとなればその場を離れてしまう人種である。
 互いに意志を確認し、あとは逃げるきっかけを見つけるだけ、というときに先に動いたトリコ。
 ヌっと立ち上がって薄情な両人を腕組見下ろす。

「条件があるわ」

「何?」

 予想外の答えに警戒した返事を返すマディソン。
 だが、次にトリコは卓郎に向かい合った。

「あんたはまだ自分自身について白状していない。それを洗い浚い喋ってちょうだい」

「…………。そうやってまた俺をイジメル……」

「なら、解体は許さない」

「…………」

 黙る卓郎にマディソンは身を翻し、トリコについた。

「そうじゃ! お前さんの正体についてで不信感が募っては仕方ないじゃろう!!」

「都合いいな」

「当然じゃ」

 どうせ、トリコは全貌を知らないと集中できない質なのだろう。
 どうせ、マディソンは自分の好奇心さえ満ちればいいのだろう。

「…………」

 もう一度、現状を確認する。
 これ以上言ってどうなることはない。
 ただし、更なる混乱を招くだろう。

「…………」

 そして、彼は考えた末に。更なる提示を求めた。

「俺と、契約するなら教えてやれる」

「契約?」

「俺がラッセルは結んだ契約と同じ、”死への衝動”だ。簡単に言えば、幸せを不幸に変換し、その分、運命を捻じ曲げる」

「え……、それは……」

 どもったトリコに卓郎は首を振った。

「あれは特殊な例だ。そうだな、これは悪魔契約だ。ちょっとけつまずく程度でもうまく使えば世界を滅ぼせる。
 俺は、今、少しでも不幸が欲しい。人々の不幸、嘆き、憂い、それを喰らい続けた生き物だ。だからこそ」

「なるほどね……」

「俺に結束を委ねてくれ。悪いようにはしない」

 表情は硬いが目でよくものを訴える男だ。
 トリコは久々にその銀の瞳に見とれてすぐに顔をそらした。
 いつもと同じだ。
 彼の瞳の奥には誰かを特別に思うような輝きは無い。
 何に向けようとも抑えきれないような熱狂的な使命感、贖罪、悲痛。
 作り物のような整った顔に人間の弱さも醜さも宿した男だ。だからこそ、心奪われる。

「いいわ」

 興味がある。
 昔と変わらずに、もっと知りたかった。
 どうしてそんな顔をしているのか。自分には力になれることはあるのか。
 あなたは孤独ではない。そう伝えたい。

「わしゃ、ぱあす」

 雰囲気をぶっ壊すマディソンの声。
 トリコの攻撃的な視線もよそにマディソンは背を向けた。

「わしまで悪魔に魂うっぱらう必要もないじゃろ。わしはなくてもいいってことじゃ。
 契約成立ということでわしはゾディアック・ブレイズの解体作業に入るかのう」

「…………。それがいいわね」

 年相応のしわを眉間に集めてトリコは答える。
 彼なりに気を遣っていると思いたい。
 だが、マディソンのことだ。卓郎が小難しいことを考えている間、ずっとゾディアック・ブレイズのことを考えていたに違いない。
 作業に戻りたくてうずうずしていたのは目に見えている。
 早速飛び出したマディソンを横目にトリコはやっと苦笑した。

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