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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 2 *秘密の花園*B
 暗闇を見つめると何か見えるような気がした。
 話題もなくなってトリコもフラウも沈黙を連ねている。なくなっているのは話題だけでない。
 酸素も着々と減っている。空気が重たい。換気扇はあるが止まってしまっているために役目を果たしていなかった。
 眩暈を覚える中そっと意識を沈めアンジェラは暗闇と見つめあっていた。
 …………私の記憶を返して。
 そう念じればいつも返ってくるのは三つの場面。
 白い炎、花咲く岬、海の匂い。
 それだけはいつでも同じように再現される。行ったこともない地球の風景だ。

「それだけ? それだけなの!?」

 アンジェラの急な怒鳴り声に空気が固まった。

「アンジェラ、あんた疲れてんじゃないの?」

 冗談抜きにトリコが優しく声をかけた。

「ちょっとぼんやりしてたから。うん、そうかも」

「…………。無駄だろうけどラッセル司令官長に休暇作ってもらいなさい。ドクターストップならいつでもかけてあげるから」

「ったく、お節介な女だわ…………」

 とはいいつつ親切が目の奥を熱くさせた。
 それと同時にラッセルの冷酷な言葉も思い出す。
 ”弱音を吐いて、嗚咽を垂れ流して楽になるならいくらでもどうぞ。そのかわり、あなたは戦い続けなさい”
 ひどい言葉だった。
 しかし、どうして今思い出したのだろう、そう考えればすぐに答えが見つかる。
 今、アンジェラはラッセルの言葉を借りて自分を叱咤した。
 優しくされ、少しだけ休もう、そう思った途端に自身に叱咤された。
 戦い続けなさい。
 それはアンジェラ自身の言葉でもあったのだ。
 辛い。
 弱音すら押し殺し、アンジェラはお節介を焼くべき後輩に声をかける。

「フラウ、気、失わないでよ」

「問題ないわ、それは。トイレ行きたい」

「そうよね」

 ある意味大ピンチのフラウに気の抜けた返事をし、ほうっておくことに。
 それから何分もしないとき、エレベーターが派手に揺れた。叫ぶ間もなく天井がノックされ、呆然とする三人。
 その間に天井の換気扇に蓋がはずされ、明かりが差し込む。
 眩しさに顔を背けると呑気な声が上から降ってきた。

「みーつけた」

「卓郎さん!!」

 トリコが歓喜の声を上げる。トリコの想い人、兼アンジェラのストーカー、卓郎だ。

「熱いですねえ、この中。アンジェラ、懐中電灯投げるよ」

「う、うん」
 
 地味なオタク整備士で通っている淡々とした卓郎の調子が頼もしかった。
 そんな彼にやっぱり見惚れているトリコを懐中電灯で集中攻撃するも通用せず、アンジェラは顎の下にライトをあてて変な顔をしてフラウに見せる。

「先輩、私からも休養をお勧めします」

「ヒドい」

 そのライトの光がが卓郎の顔を掠めた。

「…………?」

 暗視スコープをしているようだった。そんな便利なものがあるならもっと早く整備班が助けに来てくれていいのに、とアンジェラはムッとする。
 卓郎はいつもののんびりとした口調はそのままだが手早く換気扇を外しロープを投げた。
 フラウ、アンジェラに続きトリコがロープをよじ登るが軍医に他ならない彼女は上りきれずにいる。

「卓郎さーん!!」

 右手を伸ばすトリコ。

「ご指名されてるわよ」

「はははは」

 苦笑しながら卓郎は左手を差し伸べ、案外逞しいのかヒョイっと
 トリコを引き上げた。

「ありがとう、卓郎さん……」

「どうイタメシまして」

 結局感動的な再会を果たしたのはトリコだった。
 もっとも、卓郎はそうは思っていないだろうが。
 梯子を上ればすぐ三階につく位置で止まっていたようだ。やっと予備電灯がついた三階に逃れ、フラウは一目散にトイレに駆け込む。
 彼女の小さな戦いは無事に勝利を収めたらしい。
 三階のエレベーター前を整備士たちが駆けずり回っているが誰一人として暗視スコープはしていない。
 卓郎の私物だろうか?
 そう思って卓郎の顔を見ると、そんなものはつけていなかった。

「何?」

「何でもない」

 いつも通りにへらへらとした笑顔があるだけだった。
 やっぱり気になる。何かがおかしい。
 アンジェラが再度、卓郎に声をかける。

「ねぇ、あんたさっき……」

 続きは轟音にかき消された。

「!?」

 さっきまで乗っていたエレベーターが落ちていったのだ。
 獣の雄叫びのような破壊音が響いてまた静寂が訪れる。

「ささささささっきまであれあれあれあれあれあ」

トリコが腰を抜かしてへたり込む。

「…………」

 アンジェラも驚愕していたが次第に疑念が生まれた。
 卓郎の淡々とした態度、いつもは絶対に見せない一級の腕前。
 彼はエレベーターが落ちることをあらかじめ知っていたようだった。
 疑念の視線を彼に送ると、卓郎は調度前髪をかきあげているところだった。
 短い眉、雪降る深遠のような銀の瞳、不気味な薄笑いを浮かべる唇。
 こんなに鋭い印象の男だったか、その顔がゆっくりとアンジェラに向き直って口だけが動く。

”戦い続けろ”

「…………なんですって!?」

 にらみ合うには短い瞬間だった。

「軍医、ラッセル司令官長が! 司令長室で!」

「!!」

 トリコより先にアンジェラが駆け出す。
 司令長私室に向かう間も卓郎の不適な笑みが頭に残っていた。

「ラッセル!!」

 司令官長私室の中央で口と鼻からどす黒い血を垂らしてラッセルが倒れている。
 悲鳴を上げるよりも早く目の前が真っ白になった。
 最後の一瞬、またも卓郎の笑顔がよみがえる。


                      *            *            *

 真っ白な天井が見える。
 何本ものコードが体につながっていた。
 喉の奥にまでチューブが入れられている。
 何か聞こえた。

 …………テロメアが減少していない。ネオテロメラーゼが作用しているようだ。
 私の研究は成功した。私は間違ってはいなかった。
 ”フェニックス・フォーチュン”の誕生だ。

 全身が焼けるように熱い。
 皮膚が酸素に焼けている。
 また、別の声がする。

 …………助けて、父さん。

 か細い悲鳴はすぐ隣から聞こえて、激しい絶望を呼んだ。
 とても悲しい。
 とても苦しい。
 とても恐ろしい。
 とても愛しい。
 とても嬉しい。
 とても、死にたい。

                      *            *            *

「顔くらい洗いな。ひどいよ」

 トリコが冷めたコーヒーをすすって笑った。
 地球なら気持ちのいい朝日の時刻だ。

「洗面台にタオルもあるからそれ使ってちょうだい。嫌なら自分のとこからもってきなさい」

 アンジェラは何も答えずに医務室の洗面台でジャブジャブと顔を洗う。
 ぬれた顔のまま鏡を覗き込むと本当にひどい。
 目は真っ赤に腫れ、寝癖はついている。唇はガサガサで色が良くない。
 棚のタオルで顔を拭きつつ隠しつつアンジェラはトリコに物言いたげな表情をした。
 黙っているとトリコが気づいて口を開く。

「シャンとしなよ。あんたが心配するようなことは何もないから」

「…………」

「…………。あの後、二回吐いて熱出した。今は睡眠薬で眠ってる」

「いったい何があったの」

「さぁね。過労は散々注意してたけど何か別の要因があるかもしれないわね。とにかく、命に関わるようなことはないわ、今のところ」

「…………」

「奥の個室よ」

「ありがとう」

 重い足取りのアンジェラをトリコはコーヒーをすすりながら見守った。
 それにしてもまずいインスタントコーヒーだ。
 ノックもなしにアンジェラは個室にすいこまれた。

「ラッセル」

 眠っているのだから返事はない。
 日ごろの抜け目無い態度が想像できないほど安らかな寝顔だ。
 少し疲れているのか目の下に隈ができている。いつもなら気がつかなかった。
 働きづめでまともに寝てもいないだろう。
 彼は、戦い続けていた。弱音を吐いて、嗚咽を垂れ流すこともなく。
 そんななかの、人をおちょくった笑顔を思い出すと随分と優しかった気がする。
 人前では絶対に泣かないと決めていたアンジェラだが思わず涙がこぼれた。
 情けなく弱音を吐いて、嗚咽を垂れ流すのはこれで終わりにする、そう決意しながら青白い爪をしたラッセルの手を握る。

「私、戦うよ。守りたいの、あなたを」

 わずかに手を握り返された気がした。

「カナコ…………」

 ラッセルが呻いた。
 昔の女の名前だろうか。
 それでもいい。
 アンジェラは冷たい彼の手を両手で包んだ。


                     *            *            *


 あのまずいコーヒーメーカーはどこだっただろう。
 もう二度と注文なんかしてやるものか。
 トリコはコーヒーの水面を睨んだ。
 水面からも自分がにらみ返している。

「…………」

 カップを下ろしおもむろにポケットの中から大きなロケットを取り出した。
 開くと三人の男女が写真の中で笑っている。
 ラッセルが運び込まれたとき落ちた拍子に開いたのだ。ついそのまま拾ってしまったが恐ろしく厄介な代物だった。
 写真の男女のうちの一人はかなり若いがラッセル本人だろう。歯を見せて笑う健康的な好青年であるのが可笑しい。
 そこまでは問題ない。
 ラッセルの腕に抱きついて清楚に微笑んでいるのは間違いなくアンジェラだった。それも、今と寸分たがわぬ姿で。
 そしてもう一人、ラッセルと肩を組んだ童顔の青年はアンジェラによく似ている。姉弟だろうか。
 ロケットの蓋には”2187年 バーキー大学の岬で”と彫られている。
 12年前の写真に何故アンジェラがラッセルと写っているのか……。

「…………。アンジェラ、騙されちゃ駄目よ。そいつはあんたの過去を知りながら隠してる……」

 呟けはするものの本人に面と向かってはいえない。
 もしかしたらラッセルの報復があるかもしれないし、何よりアンジェラが落胆するところは見たくなかった。

「…………」

 首は突っ込むと危険だ。
 しかし、もう十分危険だ。
 トリコはパソコンの前に座りなおし”バーキー大学”を調べる。
 すると、いくらでも出てきた。
 それがすべて、二年前の事件を示していた。

 ”2196年、USA カリフォルニア州 モントレーにあるバークヘンズマン大学(通称バーキー大学)は研究施設からの出火、爆発により
 多数の学生、研究員を死亡させ、多くの研究の成果を灰にした。(中略)当時の研究施設の責任者は遺伝子工学の第一人者ソウジ・マクレーンであり、
 焼け跡から彼の遺体の一部も発見された。警察本部ではソウジ氏の何らかのミスが出火原因と発表したが彼の崇拝者であるバイオテクノロジーの研究者は
 「彼ほどの人間が操作ミスなどありえない」と口をそろえている。真相はマグネシウムの白い炎に包まれたままである。”

「戦争直前の話ね……」

 トリコは戦争が始まるまで「国境無き医師団」としてミャンマーの奥地で活動していた。
 パンダと戯れるほど暇だったがとにかく通信機器の不調は笑うしかないほどで、その時代の情報に彼女は疎い。
 パンダは可愛かったが今思えば大事な20代をパンダと過ごしてしまったと後悔がある。
 軽くつけを払わされた気分になった。

「ラッセル・レヴヴィロワ……。一体何をたくらんでいるの…………」

 パソコンの画面を他の記事に切り替える。
 すると、事件前の記事か呑気にも写真のバックになっている岬が紹介されていた。
 桃色の花が一面に咲いている。その奥には海が広がっていた。

「アンジェラ・バロッチェ…………あなたは誰…………?」

 もう一度ロケットを開いてそこに写る赤毛の女を見つめた。
 上品な淡いピンク色のワンピースと大きな帽子がよく似合っている。
 写真の中で三人とも不幸なんて知らないように笑っていた。

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