NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 9 *悪魔を憐れむ歌*A
遠く軍歌が聞こえる。
淡く吹奏の音が風に乗って部屋まで届いていたようだ。
窓からは箱の行進が見えた。
棺が担がれながらゆっくりとどこかへと去っていく。
日曜の朝はこうして始まる。
死んだ軍人の葬儀から休日が始まる。
「人はどうして死ぬのに争うんだろうね」
窓からその光景を眺めながらレイジが車椅子の上で呟いた。
その向かい側では、アリアがりんごを剥いている。
「そうですね」
アリアは窓の外には目を向けず、ただレイジだけを見つめて微笑んだ。
「死体を敬って魂を敬ったことになるのかな」
レイジはそんなアリアの熱視線に反応もなく特に感情を持った風でもなく葬列を高い窓から見下していた。
「わかりかねますね」
穏やかにアリアが意見をあわせる。
「でも……」
アリアがやっと葬列に目をやった。
そして、レイジはやっとアリアに目をやった。
「ああでもしないと、苦しいの。死んだんじゃなくて、どこかに旅立った、それなら送り出せそうですから」
「どこにいくのかな」
「天国ですよ」
「どうして?」
「神様がお呼びになるから、と一般的には説明されるでしょう」
「それで納得するの?」
「どうでしょう」
アリアが微笑む。
少し頬を赤らめた表情に少し寂しげな目をした。
「大丈夫だよ、アリア。神様は、もう飼い慣らしたから」
レイジも同じような微笑を返した。
だが、それには嘲笑も混じっていた。
* * *
「♪んは〜るばる〜来たぜ、は〜こだてゴボフォ!」
再びアンジェラの裏拳が唸った。
「いてえな! 何で殴るんだよ!!」
「何でかしらね」
ギオに取り合わずにアンジェラは遠くを見つめる。
まだ狭い車内で四人も詰まっているわけだが今の一撃はそれとは関係ない。
「あんた、本当にいくつよ。16ってウソでしょ」
「僻み? 若さに対する羨み? まさか、アンジェラ、俺の美貌を妬んでいるのか!?」
アンジェラが眉間に深いしわを作るとタイミングよくマディソンが口だしする。
「わしの生まれるずっと前の歌じゃぞ」
「わかってないなぁ、ジャパニーズ・エンカは海の男の歌なの」
「じゃあハコダテってどこよ」
「そりゃ、あれだろ…………。神奈川県」
ギオは日本の地名は神奈川県と豊後高田しか知らない。
「ふーん」
納得した、というかどうでもよかった。
思いっきりそんな感想を顔に現してアンジェラは健康食品を口にした。
食事のできない環境にあろうと腹は減る。
狭くともアンジェラは食事だけは取るべきだと言い張って狭い車内に食べ物を広げた。
それもすぐさま、彼女の口に持っていかれ、喉を通り、お腹に収まる。
咀嚼をしつつ、アンジェラは運転席前のレーダーを覗いた。
もうマグダリアの近くに来ている。
久々の帰還となる。第一声に何を言えばいいのか悩むところだった。
* * *
鉄槌が鳴った。
閉廷の合図にラッセルは溜め息をつきながら被告人席から立ち上がった。
ラッセルの裏切りを形ばかりに許した軍法会議と裁判をこなしていい加減に飽き飽きしている彼にとってやっと解放された瞬間だったが、
どうにも、相変わらず、身体が言うことをきかない。
重い身体を引きずって両開きの大きな扉をくぐると爽やかな声がかかった。
「お疲れ様です、長かったですね」
「待ってたのか?」
「いいえ、長くなるのは判っていたので地下食堂でクリームパン二つ食べてきましたよ。野球見ながら」
「ああ、そう」
半眼のラッセルを出迎えたのは栗毛の青年だった。
ラッセルの部下の一人、ユーバー・フォン=レーベンクロイツ。
ラッセルの部隊、SS(SACRAL SOLACE)隊の最年少パイロットだ。
愛嬌のある栗色の大きな目に光を灯した好青年で、女性職員から黄色い声援を受けることも少なくない。
「あ、ラッセル司令官長、眼鏡なんてかけてましたっけ?」
「俺も年だからな」
小難しい書類を渡されてラッセルは久しぶりに眼鏡をかけた。
学生のころはつけていたが、軍隊に入ってやめてしまった。
レンズ越しに見える世界が予想以上にはっきりとしていて、見たくないものまで見えてしまうのではないかと不安も感じたがそんなことは一切なかった。
「そんなことないですよ。これからうちの管制室に戻るんですよね? ご一緒しますよ」
ユーバーの声に現実に引き戻される。不安を悟られないように簡単に返事をすると、ユーバーは口元に手をあてて笑った。
女性ならそれでイチコロであろう柔らかな微笑みにラッセルは視線をそらした。
子供と思いきや、人の心情を見抜くのがうまい男だ。
「変わりましたね、司令官長」
そうかもしれない。
だがラッセルは否定して先を急ぐ。早く、次の仕事をしなければ。
仕事をしなければ思い出してしまいそうだ。
冷たいロシアの風、暖かな春風のような”カナコ”。
そして、あらぶる夏の嵐、アンジェラ。
いつだって自分に言い訳をしていた。間違いだとわかっていたから言い訳をした。
しかし…………。
戦い続けなさい。
自分の言葉で自分を叱咤する。
もう、全てに嘘を突き通すしかない。
冷徹な司令官長を演じるしかない。
「何があったんですか? マグダリアで」
ユーバーの言葉になんと返事をしようか考えると、一つだけ言葉が浮かんだ。
「楽しかった」
「え?」
冷たい銀の廊下を早足に進む。
「司令官長、丸くなりましたね」
「なんだ、その言い方。太ったみたいだからやめろ。角が取れた、というんだぞ」
「あ、そっか。失礼。でも、僕の印象と今のラッセル司令官長とはギャップがあるんですよ」
「ほう」
「一年前までは結構、びびってましたから。はっきり言って心配です」
ラッセルがSS隊の管制室の扉に手をかけたときだった。
「マグダリアに情が移ったんじゃないかと」
「…………。まさか」
「そうですか。なら安心です。僕はフィリップもアルマもロフィも殺した司令官長を尊敬していますから」
「…………」
静かで、しかし血の気の多い青年にラッセルは答えずに扉を開いた。
暗い空間にモニターの緑の光が浮かぶ大きな部屋に翡翠がまじめな顔をして書類をめくっている。
やってきた二人に気がついて、しかし翡翠は書類から目を離すことなく口を開いた。
「あら、オカエリ。重役の爺どもは納得した?」
早速皮肉をたれて翡翠は書類をめくる。
分厚い紙の束は恐らく、彼がラッセル不在時に任されていた観測部の資料だろう。
ふざけてはいるが器用な翡翠はことごとく仕事をこなし、さすがはラッセルの部下と称えられていた。
ラッセルがさらに一年間帰ってこなかったらSS隊は翡翠の管轄となる予定だったがその夢も虚しく消え、彼はラッセルを嫌悪している。
そのため、その言葉に何度も反論したが結局はラッセルの部下に戻ることになってしまった。
もともとそれほど仲は悪くなかったが翡翠はどうにもラッセルに敵意を持っている。
「耳が遠くなければ話は聞いていただろう。これで俺は正式にSS隊の司令官長に戻ったわけだ。よろしく」
「本ッ当にうざったい野郎だわ、アンタ。マグダリアの皆とは仲良くやれたの? 嫌われていたんじゃない?」
「さぁな」
ある意味、正解である意味、不正解。
ラッセルは恐れられていたが信頼はあった。
「まぁまぁ、翡翠先輩も邪険にしないで。管理職よりもパイロットに戻りたいって言ってたじゃないですか」
「それとこれとは、ちょっと違うの」
ラッセルには嫌悪丸出しだが、ユーバーには猫なで声で答える翡翠。
「気持ち悪い」
ラッセルが薄暗がりに向かい心底にやけて嫌味を呟いた。
ユーバーには聞こえていただろうが彼は慌てて話を切り替える。
「あ、あのぅ、あ、そうだ! 現在状況の報告をしましょうか!」
「そうしてくれ」
これ以上翡翠に付き合っていても仕方がない。
お互いにそう思っているだろうことは十分にわかっている。ラッセルは奥の席について溜まりに溜まったSS隊の報告書に目を向ける。
マグダリアでは考えられないほどの堅い文章で同じようなことが延々と書かれていた。
唯一つ、目を引く報告があった。いや、報告に紛れ込んだメッセージだ。
ユーバーの説明を無視してラッセルは何気なくメールを開く。
いつもの趣味の悪いアニメはない。
報告書と同じ作りの中に、簡潔に書かれていた。
”ヒュプノスに惑わされるな”
ヒュプノス。ギリシャ神話の、双子の神の片割れだ。
”眠り”を司り、タナトスつまりは”死”という兄弟を持つ。
これが”死”からのメッセージであることは判っているが”眠り”とはなんなのだろう。
”死”の兄弟。似ている、しかし正反対の兄弟。”死”が人として確かに存在するならば”眠り”も存在する。
それが敵だ。
ラッセルは顔をあげた。
説明を続けるユーバーと、一寝入りしている翡翠。いや、それだけではない、地球軍には何人もの人間が出入りしている。
あれだけ脅威を誇った”死”の兄弟、”眠り”。
今のラッセルに”眠り”は必要ない。安息は敵だ。”死”を妨げられてはこれまでの計画が無駄になってしまう。
”眠り”。
なんと恐ろしい響きなのだろう。
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