NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 8*WHEN A MAN LOVES A WOMAN*C
どういうわけだか、食堂にはいびきが響いていた。
椅子に伏せた黒い塊は静かないびきをたてている。
もうすぐ今日が昨日になろうという時刻に、フラウは戦闘によって食事のタイミングを逃したため、こっそりと食堂にやってきた。
だが、先客がいたようだ。
しかも、最悪な先客だ。
「げ、柴……!」
食事を手に入れたらすぐにでも部屋に戻ろう、フラウが決意しライオンの寝ている横を通るように忍び足をしていると、
奥のカウンターキッチンからなにやら物音がしていた。仲間だろうか。
フラウはこそこそとキッチンの方に駆け寄って台の下を覗き込む。
背中が見えた。
「ッワ!!」
その背中が過剰なほどに反応して一気に振り向く。
黒髪の、アジアンの男だった。
「何、あんた」
フラウがとがめるような目で見るが、男はしばらく驚いた表情をしたまま固まって、ようやく立ち上がった。
「<灰の断頭台>、フランチェスカさんじゃないですか! 奇遇だなぁ、いつも応援してますからね!」
やたら爽やかなのはいいが得体が知れない男にフラウは首をかしげて問う。
「誰?」
「あ、すいません。自分は初対面じゃないような気がして。観測員のカオ・ジャンシュエです」
「チャイニーズ? どこかであいましたか?」
「ええ、一応」
フラウは男の声に聞き覚えがあった。
記憶には、彼の慌てふためく悲鳴がある。
「…………。あああぁっぁぁぁぁぁあ!!」
思わず叫んだフラウは、自分の声に驚き、そして、卓郎が起きていないかと振り向く。
食堂の奥のテーブルの端で卓郎がまだ高いびきを上げていた。
顔を男の方に戻してフラウがひそひそと、しかし焦って早口に答えた。
「もしかして、観測員って、あなた!! アンジェラ先輩の担当の!?」
「はは、はい」
別名、マグダリアで最も不幸な男。
「ご苦労様です」
「え、何でねぎらうんですか?」
「いや、別に……」
その事実に気づかずに一生懸命に働いている彼をある意味皆が尊敬していた。
よくも投げやりにならないものだと。
「ところで、フラウさん、なにしてるんですか? 夜食ですか?」
「そんなところです。カオさんは?」
「猛獣の飼育係ですよ」
「?」
カオはカウンターキッチンから少し身を乗り出して食堂の奥を指差した。
卓郎が寝ている。その前に大きなグラスが空になっていた。
パフェでも入っていたようだ。
「甘いモノが好きみたいなんです。ちょっとイライラしていたみたいだから適当に糖分与えて寝かしておきました」
「…………そう」
カオが猛獣使いに見えた。
卓郎の意外な一面もさることながらこのおとなしそうな男があの卓郎の操作方法を心得ていると思うと世界は常に三つ巴なのだと感じる。
「フラウさん、何か食べます? 僕、料理得意ですよ」
「あ、じゃあお願いします」
断るのも失礼な気がしてフラウは勧められるままになってしまった。
薄暗い中で卓郎が寝息を立て、いつもアンジェラの無理に泣かされている観測員が目の前で料理なんかしている。
「なんだか久しぶりだわ」
「え? 何かいいました?」
「いえ、特には」
自分がやってきたときのマグダリアはこんな雰囲気だった。
戦艦だというのにのどかで、理想的な世界の模型だった。
人種も階級も、老若男女関係なく、皆が生きていた。
それが聖女の船、マグダリアだった。だが今は違う。
何かに怯え、震えるばかりの最期の砦になっている。誰もが自信をなくしていた。
その原因は、ラッセルでも、卓郎でもない。
いつ、帰ってくるのだろう。あの猛々しく、非現実的な女は。
「そういえば、カオさんはマグダリアを去らなかったんですね。観測員の方もかなり船を降りたと聞いています」
「ああ、関係ないですよ」
カオは卵を冷や飯にかけて手で混ぜている。その手つきは慣れたものだった。
「地球に降りて地球軍に頭を下げながら食いつないでいくのなんて僕にはできませんから。
昔の僕なら、それでも安全な一生を送りたいと思うでしょう。でも、もうそんなかっこ悪いこと思えません。
マグダリアからは降りません。観測員も辞めません」
カオは中華鍋に材料を入れ炒めはじめる。
食欲をそそる音と、香りが広がった。
しばらくの沈黙を守ってカオが言う。
「正直、楽しみなんです」
「楽しみ?」
そこで絹のような湯気をあげたチャーハンがフラウの前に置かれた。
「カオ特製、軍艦余りモノ炒飯。召し上がれ〜」
「案外、曲者なんですね、カオさん」
答えなかったことに嫌味をぶつけてフラウはレンゲを手にした。
あまり口にしたことのない中華料理に戸惑いながら口にする。
「…………。おいしい」
いつも配給されているインスタントの食品とは比べ物にならない。
いや、彼女が実家で出されていた食事よりもずっと特別においしいものだった。
「僕、実家が香港の結構大きな料理店なんですよ。小さいころから料理人になると思っていました。でも…………」
今、地球は飢餓の星だ。
人々が料理に専念するような状況ではない。
それどころか、明日食べるものがない地域も多く、彼の家にも戦争による変動があったことはすぐにうかがい知れた。
「料理人が軍艦の観測員だなんて変ですよね。自分も一時期、結構ヤケになってましたから。
でも、ココに来る皆さん、似たような感じなんですよね。そんなマグダリアが今、地球軍の脅威になっているとニュースとかで見ると、
ちょっと嬉しくないですか? こんな僕たちでも世界を変えられるんだって。それにこんな面白いこと途中棄権なんてもったいなくて。
卓郎さんもこれからが面白くなると言っていましたよ、信用性ないですけど」
随分な言い方をされていることに気づかないのか、卓郎に変化はない。
「まぁ、解放軍が地球軍に勝つなんてこと自体、信用性がなかったのに、今では五分五分にまでなっている。そんなもんなんじゃないですかね」
「それもそうね」
フラウは苦笑した。
穏やかな口調なのにあまりにはっきりと言い過ぎるカオの言葉は、どこかアンジェラの言いそうなことだったからだ。
モニター越しとはいえ、あの雄叫びを幾度となく聞かされていたらあの度胸が感染もするだろう。
そんな人間ばかりでも困るけれど。
でも、彼女は帰ってくるだろう。
フラウは再び炒飯に手を伸ばした。
中華もいいかもしれない。
卓郎のいびきは相変わらずで、束の間、フラウは平穏を過ごした。
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