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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 6 *老人と海*A
 どう足掻いても叶わないことがある。
 それと折り合いをつけて生きていくのが人間と言うものだと思って、彼は生きてきた。
 今尚、その考えに変わりは無い。
 だが、折り合いのつけられない、どうしてもあきらめられないことがあったとき、どうなるのだろう。
 ラッセルはその結果にたどり着こうとしていた。
 ”死”という存在が悪魔の囁きだとしても彼には己を売るしか残されていなかった。
 契約が結ばれた。
 それが終末に直結していても、彼には利用されることに恐れは無かった。
 アメリカ、テキサス州の地球軍本部。
 裏切り者と言われ続けてた男が英雄となって帰ってきた。
 一年前の裏切りは客観的に見れば成果を挙げていたのかもしれないがラッセルには関係の無いことだった。
 懐かしいにおいの場所だ。
 鉄と、砂と、血のにおいで思い出すのは厳しい訓練だった。
 その廊下を、堂々と真ん中を行く。
 全ての視線が、懐疑か尊敬の眼差しだった。
 ラッセルは目の前に大きな両開きの扉が見えるまで歩いた。
 その扉にたどり着き、ノックも無しに開くと、薄暗い空間に何人かの影を認めて扉を閉める。
 部屋は無機質な緑色に光でぼんやりと灯っていた。

「長いお出かけでしたね、隊長」

 陽気な声がラッセルにかかる。
 部屋の奥で椅子にどっぷりと腰をかけた薄化粧の青年が、爪を磨きながら笑いかける。
 ラッセルはわけもなく鼻で笑った。

「皆に変わりはあるか?」

 隊長と呼ばれたのは冗談の掛け合いではなく、彼が本当に隊長であったからだ。

「よく言うね、フィリップを殺したのはマグダリアにいたあんただろう」

 薄化粧の青年も鼻で笑いながら答える。そして付け加えた。

「ロフィもアルマもあんたが殺した。自分の部下を三人も平気で手にかけて、本当に大した潜伏よ、ラッセル」

「ハハ、俺はお前を片付けたかった」

 ラッセルが皮肉を言う。薄化粧の青年は舌打ちしてまた爪磨きに戻る。
 ラッセルの下には隊が控えていた。
 彼の裏切りによって解散した隊は、彼の帰還と共に召集をかけられた。
 例外中の例外のケースだ。
 それだけ、ラッセル・レヴヴィロワという男は重宝されていた。

「残ったのはお前たちだけか。翡翠、ユーバー、クライヴ、メイシン」

 光に浮かぶ4つのシルエットがそれぞれ反応した。
 ふぅ、とラッセルは溜め息をついてそれぞれを見る。
 相変わらず、口うるさい翡翠(ヒスイ、ではなくカワセミ)以外、皆、穏やかな顔つきで、ラッセルを迎えていた。

「さて、下準備は整った。俺たちの戦争をしよう」

 闇に冷たい光を帯びるラッセルの目が浮かぶ。
 すでにその瞳が叫ぶ狂気の意味を誰にも判別がつけられないほどに堕ちていた。

                     *             *             *

「まずい……」

 勇気を振り絞ってアンジェラは言った。
 ギオが作る料理はなんとなく味がお粗末だった。マグダリアの食事も格別うまいものではないのだが、アンジェラは自分を誤魔化せなかった。

「しかたねーだろ。キャベツの千切りにまな板が入らなくなっただけでもマシになったんだから」

 それはそれで凄まじい荒っぽさだ。
 そして、彼の祖父はとりあえず栄養が摂取できればいいようで、もくもくと、しかし決してうまそうではないように口に運んでいる。

「よし、そんな事言うなら明日からアンジェラが料理番な! 俺と夜明けの味噌汁で一緒の墓に入ってくれ!!」

「居候の料理でいいならいくらでも。ね?」

 ギオの電波を完全に無視してアンジェラは彼の祖父に同意を求めた。
 老人は味噌汁とコンソメの混ざった液体をすすりながら頷く。
 ついでに、現時点ではアンジェラの脳内にマグダリアへの帰還という項目は無い。

「キッチンでは裸にエプロンが基ホ」

 ズブビー。
 アンジェラは毒電波を最大にして叫ぶギオから目をそらし、味噌汁とコンソメの混ざった液体を派手に音を立ててすすった。
 本当にギオが何を考えているか分からない。
 なんだか気の毒なほどのエキセントリック加減だ。

「あーあ、アンジェラがここに住めばいいんだけどなぁー。なぁ、そんなんは無しなの?」

「無い」

「じゃー、俺がアンジェラについていくのはー?」

 アンジェラは一瞬、間をあけた。
 老人の言葉が頭によみがえる。
 ”ギオを連れて行ってやってくれんか?”
 そんなことはできない。年老いた老人と戦闘機に乗ることを夢見る孫は今生の別れになってしまうかもしれない。
 そんな残酷なことをできるはずが無い、アンジェラが再確認するまでにギオが口を開く。

「おにゃおにゃぁ? 今、考えたよな? いいかもって思った?」

 ばたばたと動いて顔を覗き込んでくるギオに向かってアンジェラは叱るような視線を送る。

「あれ……?」

 何故そんな目で見られているのか、当然ギオは分からずに黙ってしまった。
 気まずい沈黙の中、老人が静かに言った。

「ギオ、彼女はマグダリアのパイロットだ」

「へいー?」

 間抜けな非難の声を上げてギオが祖父に向き直る。

「おい、ジジイ。今何つった? ボケたのか? 老人ホームに入るか?」

「お前のなりたいパイロットじゃないか。連れて行ってもらうといいじゃないか」

 強硬手段に出た老人の言葉にあっけにとられたのはギオだけじゃない。
 アンジェラも次の言葉をうまく吐き出そうと口をパクパクさせていた。

「あーっと、アンジェラ……」

「…………」

「ふ、ふーん。そうなんだ」

「そう、なのよ」

 とうとうお互いに動けなくなったアンジェラとギオをよそ目に老人が酒を飲み始める。今更ながら気まずくなったようだ。

「…………。散歩してくる」

 アンジェラは逃げるように立ち去ろうとした。
 このまま消えよう、そう思ったのがばれたのかギオも立ち上がる。

「俺も」

 逃げるわけにはいかないようだ。
 ちんたらと夜道を歩く。アンジェラは少し足を引きずっているため、なんともスローペースだった。
 しばらくは本当に散歩だった。
 真っ暗な海沿いの町、転々と光る民家に灯火を頼りになんとなく、ぐるりと回るように歩いていた。
 土手沿いの途中の自動販売機でギオがやっと声をかけた。

「なんか、飲む?」

 あまりそのつもりは無かったがここで断ればまた会話が途切れる。
 それはあまりにナンセンスだ。
 アンジェラはうなづいた。
 自動販売機から出てきたスパークリングの紅茶の缶をアンジェラに渡して、ギオはそばにあるベンチに腰掛ける。

「座って」

 そういって隣を空ける彼の目は少しばかり怒っていた。
 尋問がされるのはイヤだが逆らっていても仕方ないのでアンジェラは隣に腰掛けた。

「パイロットか…………」

 ギオはちいさく呟く。
 アンジェラにはうつむいて聞かれたことをうまく答えるしかない。

「俺、パイロットになりたいんだ」

「…………」

 正面から、言ってくるとは思わず、アンジェラは顔を背ける。
 生き生きとしたその目にどんな夢を宿しているか分からない。しかし、パイロットは所詮人殺しだ。
 それと折り合いをつけなければならない。
 その少年に痛いほど冷たい現実は似合わなかった。
 むしろ、海の色をしたその少年を海に飾っておきたかった。

「もう駄目だからな。俺は知っちゃったから。お前がマグダリアに行くなら俺も行くよ」

「絶対駄目だから!! 駄目なんだって!! できないんだよ!!」

 声を殺して叫んだがギオが言葉をかぶせる。

「何で」

「どうして幸せに暮らしている人を戦争に巻き込まなきゃいけないの? マグダリアは……今、傾いている」

 ラッセルという存在が抜けた。
 アンジェラにとってそれだけが脅威だった。
 ラッセルが居なければマグダリアはもうおしまいだ。そう思ってしまうほど彼女はラッセルを妄信していた。
 彼の居ない死地に戻りたいと言うのもラッセルの痕跡を追おうとしているためだ。

「それでも行く」

「死にたいの?」

「違う。生きたいんだ」

 ギオははっきりと宣言した。しかし、アンジェラにはその意味が分からない。そのままギオの言葉が連なった。

「このまま死にたくないんだ。誤魔化しながら生きたくないんだ」

「…………」

「…………。ジジイ、多分俺のことわかってるからあんなこといったんだと思う。アノ人は、よくできた人だよ。いい人だよ。いいじいちゃんだと思ってる。
 でも…………他人なんだ、本当は」

 やっと顔を上げたアンジェラに苦笑してギオが頭をかいた。

「本当はこんなこと言って同情買うの、イヤだけど……アンジェラは強情だから言ってるんだぞ」

「他人って、何なの?」

 声が震えた。
 散々傷つけておいてさらにこの少年の深いところに穴を開けないといけない立場が強烈に痛い。
 ギオの懸命な、そして悲観的な物言いも罪悪感を満たしていく。
 タイミングさえあればすぐにでも謝ってしまいたい。
 アンジェラの思いとは裏腹にギオは努めてあっさりと話した。

「アノ人は俺のじいちゃんの親友なんだってさ。身寄りの無い俺は母ちゃんの実家の爺さんを頼ってこの国まで来たけど、もう、死んでたんだ。
 だから、アノ人に世話焼いてもらってるわけ。家は、俺の実家だけどな、なんつか、やっぱ天涯孤独は変わんないなって。
 俺にとって、二年前の事件以降は皆他人なんだよ、だから、頼むよ。あんたが覚えていなくっても俺にとっては最後の居場所なんだよ」

「…………」

 天涯孤独、という言葉が胸を刺す。
 この時代、誰だってそうだろう。だが、この少年の言ってる意味はまた別だ。
 過去の無いアンジェラだけがギオにとって過去を共有している存在になってる。
 彼は本当は信じていないのだろう、何も。
 彼の過去も、両親の死、アンジェラの記憶喪失によって完全に消えてしまった。アンジェラが記憶喪失だと知って落胆したのもそういった意味もあったのだろう。
 誰かに似た少年だ。過去が無い。
 ギオはアンジェラに思い出すことを期待をしているわけではない。
 それはアンジェラにも理解はできていたが、結果を認めるわけにはいかなかった。

「…………」

 アンジェラは炭酸のきついジュースを一気に喉に流し込む。

「…………」

 すると、不意にラッセル・レヴヴィロワを思い出した。

「…………。ぅう」

 急に我慢していた感情が緩んで泣けてくる。
 背中が丸まって、無意識のうちに封印したはずの嗚咽が口から漏れ出した。
 ラッセル・レヴヴィロワ。
 それが呪文のように戒めるが涙が止まらなかった。

「アンジェラ? 腹でも痛くなったのか?」

 ひざの上に赤い髪をたらしてアンジェラは首を振った。

「何か、嫌なことがあったのか? ごめん、ごめんったら! な、泣くなよ!!」

「あんたがそんなこと言うからよ!! 馬鹿!」

「あー、はー…………?」

 困惑するギオを放っておいてアンジェラは立ち上がった。
 そして何をするかと思いきや、まだギオの座っているベンチの端を持ち上げる。

「ンのわッ!!」

 簡単に転げ落ちるギオ。
 彼が路上に転げ落ちている間にアンジェラは自動販売機の近くにまでベンチを引きずった。
 プラスチックの腰掛と背もたれ、鉄パイプの簡易なベンチだが、そう簡単に持ち運びできる重さではない。
 ないはずなのだが、アンジェラはその両端をつかんだまま足に力を込める。痛みを感じるほど彼女は冷静ではない。

「るぁッセル・レヴヴィロワーーーーーッッ!!」

「オウワーー!! 止めーッ!!」

 振り上げられ、ジャイアントスウィングをかけられる簡易ベンチ。止める声も無力なギオ。そして、情緒不安定で奇行に走るアンジェラ。
 理想的なラインを描いてベンチの足が自動販売機の液晶を貫いた。
 後はもうあっけなく、ベンチも自動販売機もファンタスティックな音を立て、土手に落ちていくだけだ。

「…………」

 道には肩で息をしながら泣きべそをかいているアンジェラが残った。
 ギオはそれを慰めるほど勇敢ではない。

「あの野郎、散々人をコケにしといて…………」

 ギオの行方の無い好意は自分がラッセルに向けていたものと同じだと気がついたアンジェラは暴れずには居られなくなったのだ。
 迷惑で、悲しい好意だ。
 自分がそんなことをラッセルにしていたと思うと情けなく思う。目の前の少年には悪いが、アンジェラには軽蔑したい行為だった。
 それでもラッセルは彼女を抱いた。それが、また笑えない冗談なのか哀れみなかはラッセルにしか分からない。
 そして、裏切った。いや、裏切ったことは大した問題ではない。結局アンジェラの思いにイエスもノーも残さなかった事が人を馬鹿にしているとしか思えない。
 アンジェラはギオに目を向けた。
 まだ情けなく転がっているギオが自分と重なった。

「ど、どうした?」

 おびえたギオにやっと言葉をかけられて一息つくとアンジェラは特に何か聞かれたでもないのに頷く。

「なんだよ……?」

「忘れる」

「……ん?」

 ギオが立ち上がり顔を覗く。
 脱力したような、安心したような彼女の口からもう一度、忘れる、と言葉が漏れた。
 ギオをきっかけに、アンジェラはラッセルを敵だと、ようやく判別した。
 彼女の呪いの様な司令官への妄信は、思いのほか簡単に崩れてしまった。
 呪いを解いたギオが彼女の袖を子供のように引っ張る。

「一緒に、行っていいですか…………?」

 言い聞かせるような口調が憎たらしく思えた。
 だがアンジェラは答える。

「知らないんだからね」

 とにかく、この見知っているはずだが記憶には無い、しかしどこか自分に似ている少年の意志を妨げることは無駄に思えた。
 自分がラッセルを守るために身を捧げると同じように、彼も本能のように唯一のありどころを求めているだけだ。
 己の家を探すが如く。

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