NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 4 *Pretty Women*A
「司令官長に抱きつかれたぁ!?」
今日も今日とてマグダリア。戦争中でも能天気であれば平和に過ごせる戦艦だ。
その食堂でトリコが叫んだ。
目の前には意気消沈気味なアンジェラが食欲なさそうに溜め息をついては牛丼をかきこむ。
「セクハラで訴えるか、快くその相談に乗るかしたんでしょうね」
トリコが箸を突きつける。
困ったときの悪友頼み、アンジェラはすぐさま昨晩のことをトリコに持ちかけた。
普段は足の引っ張り合いをしている二人だがいざとなると共同戦線を張る仲だ。
「ううん」
アンジェラはテーブルに備え付けられた紅しょうがのタッパーを開け、丼がピンク色になるまで紅しょうがを乗せていく。
もはや牛丼ならぬ、紅しょうが丼だ。
「ううんって、あんた」
言葉を濁しながらアンジェラの表情を伺う。なんだかうまくいかなかったようだ。
叫び疲れてトリコは相変わらずあのまずいコーヒーを口にする。
「逃げちゃった。突き飛ばして」
アンジェラの予想外すぎる発言に左にコーヒーをブースト噴出するトリコ。
運悪くそのコーヒーを全身で浴びるカルヴィン。
「あああああああああああああああああああああああんた!!!! やっちまったね!!」
男性に縁のないトリコですら最悪な反応であることは理解できた。
一方でカルヴィンには気づいていない。
「…………。おい」
「どうしたの!! そういうときに何でいつもの強引さが出ないの!」
トリコの身振り手ぶりは言葉を重ねるごとに大げさになってゆく。
余程、興味があったようでがっくりと肩を落とした。
「いつもの冗談かと思ったんだもん!」
反論しながらピンク色の牛丼をかきこむアンジェラ。
カルヴィンが鼻先からコーヒーを滴らせながら唸る。
「おい」
だが抗議の声は虚しくトリコにかき消された。
「そんなの言い訳になんないでしょ!!」
「わかってる……。はぁ、どんな顔して話せばいいかなぁ……」
「おい!」
「ラッセルの反応にあわせたら? 案外けろっとしてるかもよ?」
「気まずい……。気まずすぎる……」
「おいッ!!」
やっとカルヴィンの声に気がついたかアンジェラとトリコは顔を向けた。
「怪奇! 顔面からコーヒーを噴き出す男!!」
アンジェラが悲鳴を上げ、トリコが笑う。
暴れるカルヴィン。それを取り押さえようとして逆に巻き込まれるだけに終わる卓郎。
傍観だけして逃げるように去っていくフラウ。
これがマグダリアの日常の光景となっていた。
雑多で、不規則で、世界の模型のようにあらゆるものが詰まった平和な戦艦。
それが崩されようとしていた。
* * *
司令官長私室。
ラッセルは古い映画のレコードを聴きながらロケットの中の写真を片手にまどろんでいた。
熱のこもった人間らしい笑顔の自分が別人のようだ。
激しく音割れした優しい、感動的な音楽は映画”エデンの東”のテーマだ。
このように穏やかに終わるはずのない自分の人生は、いつ狂ってたどり着いてしまったものなのだろう。
”死”と接触したときか? いや、違う。
マグダリアに乗り込んだ時か? それも違う。
戦争がいけなかったのか? 原因はもっと具体的だ。
「”カナコ”……お前がそうさせたのか?」
虚空に呟いても返事はなく、かわりにパソコンが奇怪音を放った。
セットしたはずもない、子供の笑い声だ。
ラッセルは気味悪がることも無くすぐにパソコンを開いた。
メールだ。
コミック調の動物のキャラクターがチェーンソーやら大槌やらを振り回し面白おかしいBGMの中殺しあっている趣味の悪いアニメが再生され、
中央にメッセージが表示された。
”鳩の巣は鳩の帰る場所”
それだけだった。
「…………」
それだけでラッセルは理解できた。
”死”がもうすぐ顔を出す。
”エデンの東”が高らかにエンディングへと向かっていった。
* * *
「ほう。アンジェラは司令官長にお熱なのか」
「そんな感じ」
艦内デッキの階段に卓郎とカルヴィンは腰掛けながら世間話に浸っていた。
秋水は何とかなったが未だ壊れかけのアリエスの前で整備士たちがあわただしく動いている。
卓郎が音を立てながらシェイクをすすった。そのシェイクはガムシロップが三つもカスタマイズされ、もはや常人が口にできる代物でなくなっている。
カルヴィンはそんな光景に目をそらした。見ているだけでお腹いっぱいになる。
「あの<天使の顎>も女だったとはな」
「だからこそ怖いんだよ」
卓郎らしからぬ言葉だったが付き合いの短いカルヴィンは気がつかない。
「この艦の女の人は基本満遍なく皆、強いからね。無難にほっとくほうがいいよ。唯一飼いならしてるのがラッセル司令官長だけだもん」
「……確かに」
とは、言いつつこのまま被害者でいるのは面白くない。
さりげなく考えをまとめるカルヴィン。
まず、あのフラウという娘、あれはなんだかんだ言ってラッセルよりもアンジェラに信頼を置いていると見える。
そして、そのアンジェラはトリコとつるんで強敵となっている。
何より、そのトリコが痛い。
カルヴィンは一種の女性恐怖症だった。
母親の訓練の名を借りた摂関なんだか、摂関の形をとった訓練なんだか今も理解できない木刀による連撃が原因らしい。
というかそれしか思い当たらない。
以来、年上の女性に対してたじろいでしまう。
そして、トリコは艦唯一の軍医。艦唯一の年上の女性だ。
アンジェラは生物学的に脅威だが人間、慣れればライオンとだって共同生活ができるはずだ。
だが、トリコだけは最終的に逆らえそうに無い。
そこが問題だ。連中を見返すのにはトリコという高い壁が待ち受けていたのだ。
「地獄だ」
思考の迷路にはまって思わず本音を漏らすカルヴィンに卓郎は苦笑するしかない。
「住めば都こんぶだよ、カルヴィンさん」
間違ってるし慰めにもなってない。
卓郎はぽんぽんとカルヴィンの肩を叩いたが元気は出してもらえないようだ。
「そいや、何でお前みたいなもやしがこんな危険な艦で整備士なんかやってんだ? 正義に燃えてるって面はしてねえよな」
「はははは、してないね」
あほ面を認めて卓郎が苦笑する。だが、次の瞬間、彼の表情は別人のようだった。
「導くためだ」
言葉を詰まらせたカルヴィン。
銀色の双眼は夜のように深く、星のように眩しい。獅子の目だ。
「……何モンだ、てめぇ」
声を潜めて問うカルヴィンに答えずに卓郎は立ち上がる。
その背中が語るのはも亡者の、そして猛者の陰影だった。
腹の底から存在を否定したくなるような陰影だった。
* * *
そのエンドロールはいつ見ても感動的だ。
もう割れてざらついた”エデンの東”のテーマが流れ、物語は終わる。
ラッセルは司令官長私室の奥にあるプライベートルームにこもっていた。
気分が滅入ると自室でこうしてモノクロフィルムやら有名な映画を鑑賞して過ごすのが彼の習慣だ。
セピアの家具、几帳面に保管されたレコードと1900年代のレコーダー、それが彼の人格の一面をあらわしていた。
柔らかな光の暖色灯、毛足の長い絨毯。まどろんでしまいそうな空間で彼は古い型の液晶に目を向けていた。
優しさ、悲しみ、憂い、情熱、そして確かな親愛。そのメロディーは穏やかだがあふれんばかりのそれらに満ちている。
そんな女性がいた。しかし、彼女はもういない。
エンドロールが流れ切って映画を映し出した液晶は自動的に電源が消える。映画の間に寝入ってしまうラッセルが自動で落ちるようにセットしたものだ。
だが今回は、その後もラッセルは液晶を睨み続けた。
部屋の前に誰かいる。
”死”か?
ラッセルは硬直半分、集中半分で身構えていた。
やはり、引き金はアンジェラとの接触なのだろう。ほぼ確信していたからにはあまり驚きは無かった。
だが、いつもと違うのは暗闇からではないということと、こんなにこそこそと近づいてこないということだ。
ご丁寧に司令官長私室をノックしていたのを彼の耳は捕らえていた。
それがやっと司令官私長室に忍び込んできて、私室の前で止まっている。
挑戦か?
ラッセルは本棚に隠してあった儀礼式用の銀のデリンジャーを構え、扉の横に立つ。
管理職とはいえ、彼も軍人だ。
一気にドアを開け放ってデリンジャーを出口にむける。
鷹のようなラッセルの目が捕らえたのは状況が飲み込めずただただ目を丸くするアンジェラだった。
「…………」
「…………」
状況が飲み込めないのはラッセルも同じでとにかく長い沈黙が流れた。
三十秒ほど、たっぷりと呆けあってやっとラッセルがデリンジャーをおろした。
「わ、私一人だよ」
「そのようですね」
「…………一応、ノックはしたんだけど。返事無かったから」
「…………」
「この前、倒れたばっかだし……」
「…………」
「心配になって入ってきちゃったっていうか……」
「…………」
「怒ってる? …………よ、ね」
そうかもしれない。しかし、ことがことだ。
ラッセルはふとアンジェラの言いたいことに気づいていつものように軽薄にからかう気にはなれなかった。
そうすると今度は言葉が出なくなってしまう。
もとよりくだらないジョークは口下手を隠すためのもので自分は会話が苦手だったことを思い出し、ラッセルは自嘲した。
それを何かと、アンジェラは顔を上げる。
ぎこちない笑みを浮かべるラッセルと視線が通い、何気なく寄り添えばすぐに吐息が重なった。
審判の時が近い。
* * *
もう騙す必要はない。
もう内部から突き上げる衝動を抑えなくてもいい。
もう身を潜め、闇に紛れることも無い。
作業服のツナギを脱ぎ、その傷だらけの身体を晒す。
刀傷、弾痕、火傷。あらゆる勲章が細いがそれでも無理矢理鍛えたような身体を飾っていた。
そして、手の甲に残った刺し傷もその一つだ。
黒衣を纏い刀を腰に差すと、彼は眼鏡を外して髪を掻き揚げる。
その銀の瞳があらわになり、銀河のように輝いた。
鋭く整った顔立ちの黒衣の青年は両耳に血色のリングを下げていた。
「我々は踏破しなくてはならない。未来永劫、戦い続けぬために」
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