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繚乱のドラグレギス
第二節<シュラマナ旅団> 途方
 丸みのあるレンガの並んだ道を少女の荒い呼吸と急いたステップが走った。
 爛々とした月の下、入り組んだビルの街、夜のクレバスのような狭い道を通り抜け、少女は亜麻色の髪を靡かせ振り返った。
 一つ、二つ、三つ。影はまだついてくる。
 本当は両手に抱えた荷物なんて投げ出して全力疾走してしまいたかったが、せっかくの資金で買い集めた雑貨や食料、薬品を手放すわけにいかなかった。
 少女の服装も無防備で丸腰な上に短いフリルのスカートをはいている。
 派手ではないが、すさんだこ街の端では目立ち、少女は後悔した。

「お嬢ちゃん、どうして逃げるのかなぁ」

 男たちの下品な笑い声がビルの合間を縫って追いかけてくる。
 廃ビル群の通りに入ると、ヒュオ、と口笛が走った。

「可愛い顔して誘ってるのか?」

 もう少しだ。
 息を切らしながら少女は狭い通路を抜けようとした、その時だった。

「きゃ!」

 どすん、と目の前に現れた壁にぶつかって少女は尻もちをついた。
 見上げるとそれは白髪混じりの初老の紳士だった。
 頼りなさげな老人であるが少女は荷物を必死に抱えながら助けを求める。
 すると老人はにんまりと笑い手にしたステッキを少女の顎の下に突き付けた。

「これはこれは。いくらで売れるだろう」

 人買いだ!
 少女は素早く立ち上がろうとしたが背後にはもう足音が迫っており、振り向いたときには右手を掴まれていた。
 
「っいたい!」

「”いたい”、だってよぉ! 可愛いじゃねぇか」

「こらこら、お前達。商品に傷をつけてはいかんよ」

「ちょっとくらいいいだろう」

 どさっと落ちた紙の袋からは包帯と傷薬が散らばった。
 少女は左手をそれに伸ばすがその左手も一緒に壁に押し付けられて半宙釣りになった。
 背中に冷たいレンガの感触が走る。

「誰か! 助けて!!」

「人がいるわけないだろう、バカな娘だな」

 望み薄なのはわかっていた。
 自分たちだってここに人通りがないからこそねぐらにしているのだ。
 それでも少女が叫び続け、男たちが嘲笑する。
 一世紀前からテラは資源問題を抱え、とうとう人間の住める環境が限られてきた。
 一部の都市以外の場所は辺境地帯と呼ばれ、電気もガスも通らない不毛の土地となる。
 残った都市部に人々は集まったが、その上でも貧富の差が激しくなる一方で
 富豪層が都市に集まり、一定の生活水準が保てない人々は辺境に追いやられていく、そんな場所だった。
 つい数年前、テラ統合政府軍は以前からあったマキナ論争をきっかけに宇宙コロニー軍モルガナへの攻撃を発表。
 地球からのインベード計画はモルガナが作り出したマギカマキナの存在によって完全に返り討ちという醜態に終わるはずだった。
 しかし今日までにもテラ軍は敗北宣言の兆しを見せず、新兵器の開発などと言う不穏な噂ばかりを煙の様に巻き上げていた。
 治安は乱れ、人の心はすさんでいった。

「助けて!」

 その時だった。
 ドシャッと少女の腕を掴んでいた男の上体が崩れる。
 しゃらん、と軽やかな音が鳴ったと思ったらその男の身体は吹っ飛んで人買いの老人を巻き込んでゴミの山に突っ込んだ。
 みつあみになった濃紺の髪が優雅な軌道で背中に落ちる。
 春の花の香りが少女の鼻を掠めた。
 青年だった。
 いや、痩せて頬が少しこけているが異国風の容貌をした、少年だか青年だか微妙な年頃の男の子だった。

「あ、ありがとう……」

「礼はまだ早い」

 冷たく返して彼は残り二人の巨漢の男たちを見やる。
 同時にかかってきた男たちの攻撃をさらりと受け流し腰に刺していた剣を鞘ごと構えるとその柄で一撃、
 ハイキックで一撃とあっという間に悪漢を叩きのめしてしまった。

「……強い」

 少女の呟きを余所に男は彼女の紙袋とその中身を拾って前に突き出す。
 だが、少女はその荷物を取らずに彼の手をとった。

「すごい! すごい! あなたってメチャ強いのね!」

「……テラの重力が緩いだけだ」

「…………? 言ってる意味がちょっとわかんないけど、ねぇお願い、一緒に来てくれる?」

 少女の手を払うと男はもう一度同じように荷物を突き出した。
 黄金の装飾品に布を何重にも重ねた服装。
 帯剣なんて物騒なものをぶら下げておりまるでおとぎの国から迷い込んだような場違いな格好だったが
 少女は気にせず彼の手を強引に掴んで大通りに引っ張り出した。
 ちらほらとビルの窓に明かりが灯っており、かろうじて人間が住んでいる事がわかる辺境との境目の地域だ。
 だが、そこまで出ると少女は足を止め、安心した様に胸を撫で下ろし呼吸を整える。
 くるりと勢いよく振り返るとさっきの悲鳴を忘れたかのような明るい笑顔を見せた。

「私、アリサ。アリサ・カーマイン。あなたは?」

「…………」

 男は荷物を持たされたまま視線を足元に向ける。
 そして一度天を見上げると、溜息の末ようやく名乗った。

「アギ……」

「アギ……? アギ、何? 名字は?」

「……ないよ」

「ないって、あなた!」

「…………」

「……そう、本当に無いのか……言いたくないのね。
 まぁいいわ、私そういうの気にしないから。とにかく、もうちょっと付き合ってちょうだい」

 そう言ってアリサは道の奥を指し、やっぱりアギに荷物を持たせたまま軽いステップで先を行ってしまう。
 渋々、といった調子でアギも彼女の後についていった。

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