繚乱のドラグレギス
第一節<始まりの前夜> 守る者、守られる者
その夢の中で、アギはこれが夢だという事に気がついていた。
白くかすむ柔らかな宮殿内のオアシス、日差しの中で数年前に亡くなった母がまだ小さな自分に歌を聞かせてくれていた。
異国の歌で、その意味を教えてもらわないまま母は他界した。
まどろみの中できいたその歌を、アギは母が死んだころに恋しさのあまりに何度も見た。
ここ一年は全く見ていなかったはずだ。
自分の中に残っている未熟さや甘えに対する回訓なのか、それとも決別の表れなのかわからないままアギは、気がついて目を覚ました。
アギが気がついたのは鐘の音だった。
甲高く何度も何度も鳴り響く音はアラートだ。
上体を起こして部屋の窓を見上げると星明かりと夜明けの黎明の中、巨大な黒い影がいくつも蠢いているのが見えた。
不規則に動き回っては街の方向に降りていく。
胸にぞわりと気持ちの悪い感触が芽生え、アギは跳ね起きて服を着替えながらさらに窓から様子を伺った。
街では煙が上がり、宮殿内では兵士たちが巨大な鉄の塊を前に絶望していた。
「アギ!!」
意識が遠のきかけていたのを呼び戻したのはラエトリトの声だった。
振り向くとドアを開けはなった彼は分厚く思いアーマーを纏っている。
「説明している暇は無い! 脱出する!」
「ラエトリト!」
ラエトリトの後ろには部下が数名ついていた。
「父上は……!?」
「我々とは別に脱出経路をとるご算段だそうだ。
俺たちは騎竜で西に向かう」
そういってラエトリトは部下に合図した。
すると部下の一人がはアギの帯剣を部屋から持ち出し、彼に恭しく差し上げる。
廊下の奥からは怒号か悲鳴かが聞こえてくるというのに、異常な光景だった。
奪うようにしてアギは帯剣を取り腰に刺すと、ラエトリトに頷いた。
「命に代えても王子をお守りしろ。俺が先行する! ついてこい!」
剣を抜いたラエトリトと共に彼の部下たちも剣を掲げ応答する。
先行する重装備のラエトリトは走りながらアギにようやく状況を説明した。
「つい先程、コロニーポートが無断解放されていたのが発見された。
その数分後にマキナがテルティウの空に侵入してきた。
連中が一体何者かはわからん――ああ、マキナというのはからくりの鎧の事だな――だが、マキナはテラで作成される兵器。
テラニーズの軍勢が攻め込んできたと考えて間違いないだろう」
「しかし、ラエトリト! テラがどうしてテルティウを!」
宣戦布告を受けていたのはプリームのはずだ。
「それは俺にもわからん!」
そのまま走り裏の塔を抜けて騎竜小屋に入るとすぐ、爆音と振動が響く。
「アギ! 足を止めるな!」
爆音に気を取られて振り向いたアギと目が合ったのは白い滑らかな形状の鎧を着た敵兵――彼が構えていた銃剣だった。
「!」
次の瞬間、あらゆる音が交差していた。
アギの目の前にはラエトリトの部下が立ちふさがり彼の頭が爆ぜていた。
耳元では重い破裂音が響いて敵兵が後ろに倒れていく。
敵兵を打ち抜いたのはラエトリトのピストルだった。
「……!」
「アギ! しっかりしろ!」
アギの腕を強引に掴み、肩を揺さぶると彼ははっとなって、しかし視線は倒れたラエトリトの部下と外の敵兵に向かう。
「お前はお前の身を守る事だけを考えろ。いいな」
「だけど……!」
「国政とは!! 主君あってのものだ! アギ、お前は園王の後継者だ!
お前は国そのものである事を自覚しろ。お前はもうすぐ、大人だろう?」
「…………」
その言い方が子供扱いなのだが、アギはラエトリトと自分の差が圧倒的である事を知って二の句が出なかった。
彼に言われるがまま騎竜に乗り込む。
「隊列崩すな。敵のマキナが気がついても応戦は不可能だ。突破する」
ラエトリトの無茶な注文に部下たちは了解し、騎竜小屋を飛び出しまだ仄暗い西の空に突き進んでいった。
アギを中心とした十字の隊列、今度アギは遅いように感じながらもぴったりと先頭の騎竜についていく。
振り向くと砂漠の中の瑠璃色の宮殿から煙が上がり、蠅の様なマキナが街の上で飛び回っていた。
そして朝日が照らし出していたのはコロニーの天を支えていたオゾンフィルターを突き破ってその腹を見せている巨大な戦艦だった。
「な、何だあれは!」
「落ち着け!」
右手側についたラエトリトは暗い西の空を見つめながら言った。
視線を前に戻すといつもの明けきらない砂漠が広がっているし、空気も澄み切っている。
世界の西半分は正常で、しかし東半分は見てはいけないものになろうとしていた。
「アギ。今から俺が言う事をよく聞くんだ」
ラエトリトがそんな事を言うのでアギはさらに気が滅入った。
今は何も考えたくない。だが、ラエトリトは一方的にテキパキと喋りはじめていた。
「”西の果て塔”に空を渡る船があると聞いている。古い伝承だが、我々がここから脱出する手立ては他にない。
意味がわかるな、アギ。テルティウを出る」
「待ってくれ、ラエトリト! 俺はテルティウの王子だ!
第一王子アギ・ヴァイシュラヴァーナ・テルティウだ!
この国を出るくらいなら奴らと戦って死ぬ!」
そんなアギの想いをあざ笑うかのように不安を掻きたてる重低音が追尾し始めた。
マキナだ!
全身を鉄板で纏ったような5メートル強の兵器である。
おもに人型であらゆる武器を扱えるように指の先まで再現されている。
巨大な鉄の塊であるにも拘らずテラが得意とする科学力で浮力を得て、飛行、ものによっては潜水まで行えるという代物だ。
生身の人間が戦って勝てる相手ではない。だからラエトリトも反撃を諦めたのだ。
鉛色のマキナが彼らに狙いを定め間髪いれずに光の矢を放った。
反射的に竜を旋回させたアギだが、光の矢は彼の左を飛んでいたラエトリトの部下に直撃し射抜かれたそれは竜もろとも回転しながら眼下の砂漠に落ちていく。
「稲妻よ!」
後方を飛んでいた術師が片手で印を結びその指先をマキナに向けると青白い雷光が鉄の巨人を撃った。
「ぎゃああああぁぁぁぁ!」
巨人の中から聞こえたのは女の悲鳴で、声と共に砂漠に墜落し煙を上げた。
一人、また一人と護衛がいなくなっていった。
残りはラエトリトと先頭、後方の二人だけだ。
西の塔が舞い上がる砂の中に見えてきたが東からはカラスの群れの様な大群が向かってくる。
迷っている暇は無い。
アギは頭を振り払った。すると、昨日のラエトリトの言葉が頭に残っていた。
お前は竜に乗って真っ直ぐ進めばいい。
手綱をぐっと握りなおし、アギは歯を食いしばりながら振り向かぬようにした。
「よし。高度を上げろ。最上階まで一気に上るぞ!」
塔にたどり着くなり、その黒ずんだ壁にそい竜を腹ばいにして上昇してく。
ある程度の階層を上るとラエトリトの合図で魔術師がそこに炎の玉を撃つ。
ガラスの壁は粉々になり、アギ達はそこから竜ごと入る。
竜を降り見回すも、中は閑散としていて、古い塔であるには変わりないが年代を感じさせる壁画などは一切なかった。
「園王様が仰っていたのは、ここの事でしょうか」
ラエトリトの部下がそう言い、アギははっとなった。
「そうだ! 父上は! 父上もここに向かっているのか!?」
するとラエトリトがポケットから何か取り出しアギに刺しだした。
竜の鱗が虹色と赤に煌めく質素な首飾りだった。
それを見るなりアギから表情そのものが消える。
それは紐がちぎれ、赤く血に染まった園王の証だった。
「……すまん、アギ。園王様は足を患っておられた。
俺が駆け付けた時には敵兵に囲まれて、動かぬ足を引きずりながらお一人で戦っておられた……すまん。
俺たちも、これが精一杯だったんだ」
ラエトリトはアギにその首飾りをつけ、その前にひざまずく。
彼の残った二人の部下も同じように片足をついた。
「新園王アギ、万歳……」
呼吸するのがやっとだった。
華やかで、穏やかな時代を期待していた。
だが、アギの目の前には最早、隊とは言えない戦士が三人と荒廃した廃墟の光景だった。
まぶしい朝日が東の空から差し込み、首からさがったネックレスは赤くきらめく。
頬に暖かいものが流れてアギは膝を折り床に両手をついた。
ぽたぽたとリノリウムの床に涙がこぼれる。
「隊長、朝日の中に敵勢が」
「……時間が無いな。急ごう。お前達は装置を頼む」
「はっ」
アギの腕をぐっと掴んで力任せに立たせようとしたラエトリトにアギはいきなり掴みかかって叫んだ。
「どうして俺だけ!」
「それがお前の使命だからだ!! よく聞け、アギ!
俺は近衛隊隊長としての使命を果たす。お前は王としての使命を果たせ。
お前は我らがテルティウの王。お前が生き残ればテルティウは終わらない」
「だけど、俺には――」
はっきりしないアギの言葉をラエトリトの部下が割いた。
「エネルギーを確保しました! 中央のポッドから脱出できます! ご準備を!」
ラエトリトはアギの腕を強引に引き四本の柱で区切られた円間に入る。
その隅で部下たちはおぼつかない手つきで機械を操作していた。
足元には絢爛な絵が描かれており、幾何学的な模様の中に人物や動物が描かれていた。
その中央からすっと筒状の塊が突き出す。口を開けたそれはまるで棺のようだった。
ほぼ同時に窓辺からモーター音が聞こえる。騎竜が吠えていた。
朝日が遮られてマキナが銃を構えている。
「アギ! 入れ!」
ラエトリトは言う前にアギを筒状のポッドに押し込み戸を閉める。
ガガガガガッ!
マキナが放った銃弾がラエトリトの部下の魔術師の背中を貫いた。
「隊長、座標が定まりません! 初期座標はテラかと思われます!」
「構わん! 俺が時間を稼ぐ! ポッドを発射させろ!」
「はっ」
ラエトリトは前に出てマキナの注意を反らした。
覗き窓からラエトリトの動きをみたアギは今までの稽古が全て戯れだった事に気がつく。
彼は武人で、父からその座を継承したと言えど、隊長に相応しい力の持ち主だったのだ。
「ラエトリト……!」
ポッドの中でアギが叫んだ瞬間、ラエトリトの左肩から血の柱が迸った。
しかし彼の敏捷な動きは止まらず、自分たちが破壊して入ってきた穴の前で飛翔するマキナとどんどん距離をつめていく。
ピストルでマキナの関節が打ち抜かれバランスを崩す。
さらにそこにラエトリトは懐に忍ばせていた爆薬を投げつけ柱の後ろに身を隠した。
次の瞬間には爆風が通り抜けマキナの破片が床や壁を削る。
人の身でありながらマキナと渡り合う力量をラエトリトは持っていたが、装備はもう尽きている。
敵がそれを知っているように今度は二体のマキナが入り込んできて銃を乱射した。
「ご、はッ!」
機械を操作していた部下に銃弾が当たる。
だが、彼は倒れる前に目の前の大きなレバーに手をかけ、身体が崩れると同時にそれを引いた。
すると、アギが入れられているポッドの下のボタンが赤く点灯する。
ラエトリトがいる柱の影からボタンの位置までやや距離があった。
マキナの注意を反らさなければハチの巣だ。しかし左肩は骨を砕かれ意識が持っていかれるのは時間の問題だった。
考えた末にラエトリトは指笛を拭いて竜に撤退の合図をした。
竜達はは命令通りに翼を広げ、マキナの視界を遮ると同時にラエトリトは飛び出した。
ガガガガガッ!
竜が攻撃されその悲鳴が上がる中、ラエトリトが赤いボタンを押すと異国の言葉でのカウントダウンが始まった。
「ラエトリトーッ!!」
ポッドの中からアギの叫び声が聞こえてラエトリトはポッドの覗き窓を叩いている彼に微笑みかけた。
「アギ、お前は竜に乗って真っ直ぐ進めばいい」
互いの声がくぐもってよく聞こえなかったが、アギはポッドの扉を叩く手を止め無理やりに頷いた。
同じようにラエトリトも頷く。
カウントダウンが終わり、その瞬間にポッドがぐらついて、一気に床下に落ちて行った。
残ったのは奈落にでも続いているんじゃないかと思えるぐらいに深い穴だ。
そしてラエトリトは朝日の中に輝くマキナと睨みあった。
左肩の傷で最早戦う気力も力もない。この状態でどうしろというんだ。
黄金色の美しい風景の中、とてつもないさわやかな絶望だった。
*
その夢の中で、アギはこれが夢だという事に気がついていた。
白くかすむ柔らかな宮殿内のオアシス、日差しの中で数年前に亡くなった母がまだ小さな自分に歌を聞かせてくれていた。
異国の歌で、その意味を教えてもらわないまま母は他界した。
だが、この時の夢には父王やラエトリト、身の回りの世話をしてくれていたばあやや侍女、遊んでくれたりもした兵士たち。
テルティウのあらゆる人たちが小さな自分を囲んで微笑み穏やかに歌っている。
しかしその光景は切り取られた絵の様にどんどんと遠ざかっていき、白い幸せな絵はだんだんと黒い虚空に飲み込まれる様に遠ざかって行った。
いかないで!
手を伸ばしてもそれは追いつきそうもない速さで小さくなってとうとう消えていった。
自分は真っ暗な寒い闇の中で一人になったのだ。
目を開くと、そこは暗くて寒い――宇宙だった。
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