繚乱のドラグレギス
第五節<偽る者> いらだ ち
「あの……ブラフマーに触っていいですか」
「アギに聞け」
「…………」
極力話しかけないようにしているのだろうか、そう思うとアギはモアにいい表情は出来ないし、それを見てモアも眉間にしわを寄せた。
「あの……いいですか?」
「好きにしたら」
「……はい」
モアは深刻そうな表情でブラフマーに向かい、ビニールシートをくぐる。
少し彼女の態度に不安に思ったがアギはリカオンの声に振り返った。
「お前……ほんとすっとぼけてんな」
「俺が? どうして?」
「ホント、ガキだな……モアは嫌いとかじゃなくて、お前の事を認めたくねぇんだよ。
ブラフマーに乗る気満々だったワケだからな。お前がアートマンのお導きとやらをぶち壊しちまったんだ。
俺はそういう割り切れねえものは信じてないが、あいつにとっては命を賭してここまでくるに値する理由だったんじゃないのか。
それをお前、あっさりブラフマー乗っ取りやがって」
「いや、あれはリカオンが……」
「あ? 俺がどうしたって? ともかく、俺たちは命預け合う仲間だ。上下関係なんてまっぴらごめんだ。
俺やニックスやアリサ相手ならいいが、相手は女だ――」
「リカオン、妹は女性のはずだ」
「――取扱いに注意しろ。あ? アリサ? あつはいいんだよ。ハートは少年だ」
「……なんか、物凄くわかった気がする」
「ほーん、そうか」
リカオンはフォンパッドを操作しながら答え、そして眉を捻じ曲げた。
「なんだこりゃ……モルガナの王族に賞金か……」
「な……」
「ニュースだよ、ニュース。速報。ま、こんなゴシップはよくある。いちいちびびんな」
胸がずきんと痛んだ。
何でもないことのように言ったリカオンだが、自分がその王族だと知ったらどうするだろう。
大変な金になるんじゃないか。
むしろ、いないほうがシュラマナの為なんじゃないだろうか。
こんなに良くしてもらった人たちに迷惑はかけたくなかった。
さらにフォンパッドをいじってリカオンが表情を明るくする。
「お、前金にしちゃ随分な額が入ったな……こりゃブラフマーを売ればもっと弾んでもらえるんだろうな」
「……ブラフマーを売ったら、モア」
「あいつもセット販売しちまおうか。イイ体してるし、高値がつくんじゃねぇのか」
確かに出るところは出るといった尼僧にあるまじき体つきをしている。
ちらちらとアギもそのことは頭をよぎっていたのだがいざ言われると恥ずかしくなり、しかしすぐ水を浴びせかけられたかのように背筋が冷たくなった。
自分もモアもそんな瀬戸際なんじゃないだろうか。
「リカオン、人を売るのか……?」
「冗談だって。アギ、お前頭硬いんじゃないか」
まったくこれだから生真面目なモルガニーズは、と頭をかいてリカオンは簡易寝袋を広げてそこにもぐりこんだ。
そうではない、本当に聞きたいことは……。
「じゃあ、俺は寝るからな。火は消すなよ。モアがブラフマーに余計なことしてたらすぐ起こせ」
「……リカオンだって、モアの事、疑ってんじゃないかよ」
返事はなく、数分して豪快ないびきが上がり始めた。
自分も体が重たくてしょうがないのに。
理不尽を感じながら、もう一度空を見上げる。
一週間前はテルティウの、あの香の匂いで満たされた寝室でゆっくりと眠っていたのに。
そして一昨日は廃ビルの中で何も考えられないまま生きていた。
ようやくシュラマナの面々に出会いソファの上、そして今日は荒野で寝ずの番。
「……どうなってんだよ、本当に」
目の前の風景が現実であればある程、今まで辿ってきた幻のような数日が色の濃さを増していく。
父、そして兄のように慕っていたラエトリトの事を考えようとすると思いはそこで行き詰まった。
それ以上考えてしまって、自分がどうなるかわからなかった。
とにかく今、テルティウがどうなっているのかを知りたい。
早く大きな都市にたどり着いて、詳しい話を聞いて、それから、それから――。
かくん、と頭が垂れた勢いでアギは我を取り戻し、眠気が体の隅々まで浸透していることを悟った。
いかんいかん。
首を振り払いながら周囲を確認する。
それほど時間はたっていないはずだがモアの姿がまだない。
ブラフマーにも動きがないし、一体何をしているんだろう。
ビニールシートに近づいて呼びかけても返事が無く、アギは寝袋を持って胡坐をかいたブラフマーの下に入った。
あの狭苦しい操縦席かと思ったが、モアはブラフマーの足の付け根に座って頭をその胴にもたげていた。
彼女は死んだ魚のような目で静かに泣いてそっと左手をブラフマーにあててまるで子猫でも撫でるようにしていた。
憐れんで慈しんでいるようだった。
何故彼女がブラフマーにそんな感情を抱くのかは分からないがモアは少なくともブラフマーを兵器だとは思っていない。
少しずつ歩を進めるとかける言葉も考えていないにも拘わらず、モアが顔を上げる。
はっとなってアギとモアの視線が互いを貫き、押し負けたかのようにモアはわずかに視線を外した。
「あ……」
彼女はコートで顔をごしごしぬぐいコートに口元をうずめて何かをこらえる。
この泥棒猫。
そんな言葉を叩きつけられるような気もしたがアギは片手にぶら下げた寝袋をつきだす。
女の子扱い――ん? そんなこと習った記憶が無い。
無骨な父と無骨な近衛隊長と無骨な兵隊どもとは散々接してきたが、その他女性と言えば髪を結ってくれた老婆、もうちょっと範囲を広げて竜だけだ。
「…………」
寝袋を突き出したままアギは考え沈黙してしまい、他に適当な言葉を取り繕うこともできなかった。
「……ありがとうございます」
寝袋を受け取り、抱きかかえたままのモア。
そして彼女の視線が申し訳なさそに力を失って、それでも恨めしいのは変わらないのか視線を合わせようとしない。
それでもおずおずと口から懸命にはきだした言葉は、アギにとって心臓を跳ねあがらせるほど衝撃的だった。
「あの……ラエトリトという方をご存じですか?」
「な……なんだって。ラエトリト・ヴィルパクシャ……!?」
「あ――はい」
ようやく身を前に乗り出すようにモアがアギの顔を覗き込む。
だが、アギはリカオンに言われたことをすっかり忘れてモアに掴みかかっていた。
「会ったのか!? どこで!!」
「苦しいです……!」
「ラエトリトと、どこで会ったんだ!!」
「くるし……」
モアのコートの襟を掴んだ手を彼女がぺちぺちと叩く。
そこでようやくはっとなってアギは自分の粗暴さと女の子のか弱さに溜息をついた。
どうしてか素直に謝れず、それよりもラエトリトの事が聞きたくでモアに同じように乱暴に問い直した。
「ラエトリトとどこで会ったんだ」
「サーダナ研究所です。牢屋ではたくさんの捕虜達がいて、私はそこでラエトリトさんに会いました。
ひどい傷を負っていて……ラエトリトさんは何か、実験の対象になる為に別の部屋に連れていかれました。
その後は……わかりません。アギくんを……濃紺色を三つ編みにした男の子を探していると言っていました」
男の子。
その単語が引っ掛かってアギの口調はさらに乱暴になった。
「他に、会った人間はいないのか!?」
「……名前を聞いたのはラエトリトさんだけでした。彼も多分一人だったんだと思います」
「…………」
ラエトリト。
生きていた。
生温かいものが体を駆け巡った。
驚きというか安堵というか。
サーダナ研究所に彼がいたのかと思うと悔しいが彼がテラに来ていた事にひとまずは安心した。
そしてそれはすぐにモアの”実験の対象”という情報を消化した頭が不安という形に変換した。
何の実験なのだろう。
捕虜を、自軍の人間ではない者を遣うということは命に拘わるような実験なのかもしれない。
力が抜けてその場に座り込んだアギにモアは寝袋に顔を押しつけながらくぐもった小声で言い訳する。
「アギくんとゆっくり話すタイミングがなかったから……」
「だからその”くん”ってのやめてくれよ、子供じゃないんだ」
「子供じゃないんですか……」
ぼやくように言ったがモアの声は確かにアギの耳に届いていた。
妙な沈黙が流れる中、そっとモアが寝袋を下げアギの様子を盗み見る。
アギは何か物思いにふけったような表情でうつむいていたが、ふと顔を上げて今度は彼から問うた。
「お前がサーダナ研究所で歌っていた歌は、なんていうんだ?」
「わかりません……」
「自分の事なのに、分からない事だらけなんだな」
「…………」
モアの表情が哀れっぽく沈んでアギはまた自分が優しくなかったことに後悔した。
彼女は何度も自分の事が分からないと言っていた。
それはきっと、自分がモルガナの事を問われるのと同じ気持ちなのだろう。
彼女はまるで、数日前に廃墟の中で路頭に迷っていた自分のようだった。
どこにもいけず、行く先もなく、進む気もなく。
「悪い、俺もテルティウからの難民で、ついこの間リカオンに拾われたんだ。
どうしたらいいかわからない。ただ、とにかく、足を止めたら二度と進めなくなるような気がしたんだ。
別に、俺は兵器とかが欲しいわけじゃない」
するりと本心が出て、アギ自身ですら不思議に思った。
モアはぼさぼさになった髪を整えながら言う。
「お言葉ですけど、私も兵器が欲しいとは思ってません」
「……あのなあ……! あれは全部、リカオンのせいで……!
俺は別にモアが考えていることやアートマンの導きなんて分からないんだ、仕方ないだろ。
だいたい、そんなアートマンなんてわかるのはお前だけじゃないか!」
「……そうですよね。私が、皆さんと違うのがいけないんですよね」
そう言って彼女は引きつった作り笑いを浮かべアギに見せつけると溜息をつき、また寝袋に顔をうずめる。
「……大嫌い」
「…………」
絞り出したその言葉に怒りよりも罪悪感を覚えてアギはたじろぐ。
それほど彼女の下手な作り笑いは強烈だった。
何故か、今のモアの姿が、数日前の廃ビルで震えていた自分と重なり胸に乾いてがさがさした感情がよみがえった。
そんな中で自分が叩きつけた言葉の辛辣さを後から思い知る。
「ごめん……」
それも口を衝いて出た言葉だったが、モアはぴくりとも動かず、ただ静かに音をたてないように呼吸をするだけが精いっぱいのようだった。
数分、何か懸命に次に話す話題を探したが見つからず、アギは勢いよく踵を返した。
ありがとうの一つもあればまだ少しだけ話もできただろうにモアはむしろ何かを押し殺しているようだった。
焚火の下に戻ったアギは寝袋に半分足を突っ込んだ状態で段々と弱まる炎を見つめていた。
いったいいったい、これからどうしたらいいの?
白けて見つめる虹色の目は何故か自分の視線が跳ね返る。
彼女の絶望と、自分の腹の底の闇色は同じ。
では、自分の腹の底のこの重油のような感情は何なのか。
やはり考えてはいけないような気がしてアギは炎の揺らめきに意識を投じた。
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