繚乱のドラグレギス
第三節<サーダナ研究所> 重い空気
あの人がいなくなってどれだけの時間が過ぎたのだろう。
今まで一人だったのに急に心細さを感じてモアは気持ちを平らにすることが出来なかった。
ラエトリト、あの人はどうなってしまったのだろう。
何か恐ろしい実験をされる為、ここに人間を備蓄しているようだった。
アートマンのお導き、疑いはないが待ち受ける試練に覚悟した。
またしてもどかん、と扉が開いて兵士が入り込んでくると大声で命じた。
「立て! 移動する!」
のそりのそりと命令に従う者は出口に向かい、動けない者は彼らが無理やり立たせた。
諦めたように命令に従うその様を異常に思ったモアだが、彼女の前にはラエトリトを連れていったときに取り囲んだ兵士たちがやってきて
勝利を確信したかのように笑ってモアを見下していた。
「確かに、処分しちまうにはもったいないな」
「宿舎に連れて帰ってやろうか、お嬢さん。はははは」
兵士の手がモアのローブに伸び、力任せにそれをはぎ取った。
露わになったのは薄手で目の粗い木綿のシャツにだぼついてサイズの合っていないズボン。
ところどころ血が付いているが色気のない格好に兵士たちはさらに彼女を嘲り笑った。
「どこの田舎娘だ。これだから辺境は」
後ろからモアの両手を取り羽交い絞めにしてさらに麻のシャツの胸倉を兵士が掴んだ。
「何をするんですか」
「命だけは助けてやろうって言ってるんだ。黙っていろ」
「私を慰み者にするつもりですか」
モアの態度は言っていることとは裏腹に傲岸不遜、といった堂々としたものだった。
凛とした態度、柔らかなココア色の髪にはっとするような七色の光沢をもつ虹色の瞳。
少し厚ぼったい唇から紡がれる言葉は音色は美しいのにどこか無機質だった。
妙な人種の少女だと兵士たちは思っていたが、彼女は脅えず、それどころか眉ひとつ変えずに、空気も読まずに睨み返してくる。
兵士たちは逆に見下されているように思って腹が立った。
「おやめになった方がいいと思いますよ。おぞましいものを見ます」
「黙れと言ってるんだ!」
彼女のシャツを掴んだ兵士がぐっと力を入れたそのときだった。
光さす方向から冷たい声が響き渡る。
「何をもめているのですか」
その声が聞こえた途端、兵士たちははっと振り返る。
ドアからの逆行でわからりにくかったが、それは頭まで黒いローブを被った四十路そこそこの女だった。
だれた肉や、鎖骨に乗った顎の肉、化粧ばかりが濃く、恐らく第一印象がいいとはいえない女性は部屋には入ってこず、
入口で兵士たちを急かしたいようだった。
「マダム・ラクシュミ……! なぜこのような所においでか!」
「あなた方がてきぱきと動けないからです。兵士である以上、任務を全うして下さいね。
わたくしには時間があまりないのです。お分かりいただいていますか」
見た目の印象は悪いが、その穏やかで決して下品でもなく、しかし強い物言いは相手を圧倒するに足るもので頭の良さが垣間見えるしゃべり方だった。
マダム・ラクシュミと呼ばれた女性が睨む中、兵士たちはモアの腕を引いて廊下に連れ出すと彼女を並ぶ怪我人たちの最後尾につけた。
人々に抵抗の意思がないのは銃を突きつけられているからで、これから何が起きるのかわからないからで、
解放されるのかというわずかな期待を抱いてしまうからだ。
銃を突きつけられるがまま歩いていく参列は頭を垂れてまるで葬式のような異常な光景だった。
いつの間にか後ろを歩いていたマダム・ラクシュミの姿は消え、モアはそれが誰の葬式なのかを察した。
やがて分厚いガラスの壁に行き止まって兵士たちが下がっていく。
モアは振り返った人々の目に脅えが映ったのを見た。
ガシャン、と重苦しい音を最後に廊下は壁で遮断され、目の前のガラスの向こうでは先ほどのマダム・ラクシュミを含めた黒ローブの三人組が立っていた。
マダム・ラクシュミの隣は枯れ木のような細面の老人で、さらにその隣は髭の濃い三十代そこそこの聡明そうな男だった。
彼らが魔術師だ。
モアは直感した。
「出せぇ! 出してくれぇ!」
部屋に閉じ込められた事よりも明るみに出たことにより捕虜たちが少しずつ落ち着きを無くしていたものがとうとう爆発し、
彼らは一斉にガラスの壁に向かって拳と言葉を叩きつける。
だが、魔術師たちはそれを全く意に介さず、まるで目に入っていないかのように目の前の装置に手を伸ばし始めた。
「出してくれええぇ!!」
だんだんと恐慌状態になっていく捕虜たち。
狂乱の中でモアは部屋の左右、天井近くにある穴から空気より重たいものが流れてくるのを感じた。
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