繚乱のドラグレギス
第一節<始まりの前夜> 竜と王子と宇宙コロニー
目を閉じると、滝の音、太陽の匂いがする。
風は彼の濃紺色の髪と黄金の装飾を躍らせ、春の訪れを告げる桃色の花を舞いあがらせた。
穏やかさと、世界が美しい事を全身で感じるとアギは静かに目を開いた。
焼けつくような太陽に目がくらむ。
木々のざわめきが前から後ろに走り木漏れ日は絶え間なく煌めく。
亜熱帯の緑の中、アギは竜を走らせた。
川沿いの僅かな間を大きな竜が走るのは非常に難しい事だったが、アギにとっては慣れた道、
むしろ鬱葱としたジャングルの中を滑るように駆け抜けるのが好きだった。
空、大地、木々、水、風、太陽、そして竜。
あらゆるものを尊敬しろと言う宗教の中で育った彼だがあまり信心深くは無い。
それでも自然は穏やかに、壮大に飲み込んでくれるとアギは知っていた。
手綱を軽く弾いて旋回の合図を竜に伝えると、竜も気分がいいのか調子に乗ってスクリューのように身体を回転させながら高度を上げた。
尊敬している全てのものが目に飛び込む。
何度も何度もこの光景を見てきた、聞いてきた、香ってきた。
足元は生い茂ったジャングル、その先は巨大な滝、一段高くあるのは砂漠、川沿いの小さな国に瑠璃色の美しい宮殿。
感謝した。
この世にこれほどの楽園をお作りになられた、神とされる存在に。
手綱を操り右手の高台に落ち着こうと竜に伝えると、竜は遊び足りないようでまたも余計なアクロバットを加えた飛行で高台に向かった。
ようやく着地してアギは竜を木陰につなげると、断崖絶壁に立ちまたその光景を眺めた。
この足元より高い場所などここからは見えない崖、右方には大きな滝が力強い水音を立て、霧の中に虹を映し出していた。
ひゅお、と背中から風が吹き、アギの長く尾を引くバンダナがなびいた。
振り向くと、緑の大地の上に太い緑の足が二つ揃う。
馬のふたまわりも大きな騎乗竜だった。
「またお伴もつけず一人で竜駆りか?」
騎乗竜の上から灰褐色の髪を逆立てた青年が茶化す様に言ったのに、アギは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「俺の竜についてこれるお伴がこの国にいたらな」
すると青年は自信満々なアギに苦笑いを返し、でもしかし、と額に手をやりながら滝の手前にかかった虹を見やった。
砂漠を分断するように流れている大河の麓には大きな街と瑠璃色の宮殿があり、滝の真下からは豊かな亜熱帯が広がっている。
自然を敬い、戒律を重んじ治められたこの土地には今なお人が踏み入れる事のない領域があった。
「……綺麗だな、お前の国は」
「ラエトリト、間違っても宮殿で言うなよ。父上に叱られるぞ」
「ははは、違いない!」
手綱での合図で、ラエトリトの竜は宮殿に顔を向けた。
彼は姿勢を立たすと急に仕事を思い出し真面目な顔をして堅苦しい声色を使った。
「近衛隊隊長ラエトリト、伝令を授かり参上いたしました。
アギ王子、即宮殿にお戻りになってください。園王様がお待ちです」
「なるほど。生真面目なお前が竜駆りなんかしに職務をおざなりにしたりするわけがないな。
一緒にジャングルに降りようと思ったんだが、残念だ」
「また次の機会に。俺は先に戻る」
「わかった。すぐ戻る」
表情をいつもの食えない青年のそれに戻すと、ラエトリトは竜に掛け声をかけて崖から降りる。
すぐに滑空、飛行する竜の姿が見え、どんどんと小さくなっていった。
アギはこの国の王子として、そしてラエトリトは近衛隊長の息子として生まれたが二人は兄弟のように育った。
国王と近衛隊長は仲が良く、家族としての付き合いがあり地位の隔て無く接していた。
いや、国王は寛大な人だったのだ。
週に一度街のバザーへ降りてそこで派手に買い物をして、時には街中で演説をしたり子供と戯れたりと本当に国の人気者だった。
アギとラエトリトがいたずらをすると来客の前でもげんこつを落とし、悪いは悪いと怒鳴りつけ、それが理解できるととたっぷりとほめてくれる。
マスコットとして親しまれ、誰もが信頼の目で見つめている。
アギもそんな父王を、一人の父として心の底から尊敬していた。
ラエトリトも引退した父の代わりに近衛隊長の地位についてから表面上はけじめをつけているのだが、
そんな彼にも父王は息子の様に絡んでは使いっぱしりを頼むのだった。
仕方ない。
ラエトリトが使いではすっぽかすわけにもいかない。
「散歩は中止になっちまったな」
踵を返し乗ってきた竜の頭を撫でると騎竜は猫の様にアギの手にすり寄り低い穏やかな声で鳴いた。
ひらりとそれに乗るとアギはラエトリトが行った軌道より少し低く飛ぶ。
黄金の耳飾りが鈴の様な音を奏でるが、それも怒涛の滝水にかき消されたところで手綱を引き、急上昇する。
アギはどの兵士よりも竜駆りに長けていた。
小さなころから騎竜に興味を持ち、十に満たない歳で竜を当たり前のように扱い、あっという間に騎竜兵の腕前を超えていた。
今では”竜爛の王子”とまで仇名され国民は奔放な国の跡継ぎに不安と期待を覚えている。
虹のアーチをくぐったアギはそのまま視線を天空に向けた。
薄紫色の空に、白い月、そしてうっすらと青いテラと、二つのコロニーが見えていた。
いつの頃だかはっきり覚えている人間はいない。
ただ、誰も知らないままで生活できるのは確かだった。
空を見上げると目に入ってくるのはまず月だ。白くてざらざらしていそうな表面を見せつけている。
そして二つのコロニーが天を覆っており、アギの国もコロニーの一つだった。
この三つのコロニー群は合わせてモルガナと呼ばれており、魔法という技術に優れている。
一方地球の居住区テラでは、電気や物理などを操る科学という技術が栄えていた。
地球に人間が住んでいる事は誰もが知っている事だったが、あまり意識せず遠い国の話だとして話題にもならない。
そうして干渉しないまま悠久の時が過ぎていき、いつしかモルガニーズは何故同じ人類同士離れて無干渉で暮らし続けているのかも忘れてしまっていた。
モルガナは第一コロニー「プリーム」、第二コロニー「セカンドゥ」、
そして第三コロニー「テルティウ」と分かれそれぞれ”園”という単位が設けられ、そこを統治する者を「園王」と呼んだ。
第三コロニー「テルティウ」の園王を父に持つ第一王子であるアギもいずれは園を統治する者としてコロニー外部の知識はあったが、
国の人々は今日を生きるのに必死で、自分たちがテラで作られた大規模なからくりの上で暮らしている事なんて知らないだろう。
特にテルティウはプリーム、セカンドゥとも交易が乏しく、過酷な環境で生き抜き自然との同化を求める人々の集まりの為、外交という観念が薄い。
穏やかに時代が流れていくもの――だとアギは思っていた。
「お呼びでしょうか、父上!」
王の間に駆け足で入ってくるなり、園王シュラーはアギを怒鳴りつけた。
「バカモンッ!! この園王の前に走ってくる奴があるか!
それに父上などと、いつまでも甘えた呼び方をするでない!」
「あ、はい……園王様」
園王の口の中ではまだ文句がくすぶっていそうなのでアギはすぐさま片膝をついて腰に刺した帯剣を足元に置いた。
それでもまだどこか足りないらしく園王が髭の先端を指でいじりながら高台から見下ろしてくる。
その横にいたラエトリトが頭の上に手をやって唇だけを動かした。
バ・ン・ダ・ナ!
慌ててバンダナをとり姿勢を改めるとようやく満足いったのか園王は鼻息を鳴らしてどっさりと王座についた。
「第一王子アギ・ヴァイシュラヴァーナ・テルティウ、参上仕りました」
先のラエトリトよりも丁寧な態度になったアギにラエトリトも安心して胸を下す。
自由奔放で裏表はないが、アギにまだどこか幼さが残っている。
ラエトリトはそんなアギの性格は王族ではない自分と育ってしまった為なのではないかと思っていた。
一度それとなくその事を言うとアギは、お前のせいではないと怒ったが彼の悪い噂は今でも自分の事の様に痛んでいた。
しかし園王の口から出たのはその前提を覆す言葉だった。
「わしの目の黒いうちにお前が園王の座に就くのが見たい。お前ももう十七歳になる。
そろそろ断髪してもいい頃だと思う」
テルティウには男児は髪を切ってはならないという風習がある。
重い病気をしたりすると身代わりに長い髪を切るというのもまたあって、
アギは六年前にジャングルで竜ごと滝つぼに落ちて瀕死になった時に一度だけ断髪した事があったが、あとは伸びっぱなしだ。
後ろでみつあみになった濃紺色の髪は腰を叩くまでの長さである。
普段は邪魔なのでバンダナの中にしまっていたが、サソリの尾先の様な髪が今は頭を垂れた視界に入っていた。
断髪は未熟を切り、加護されるだけの立場で無くなるという事だった。
金色のベルトでくくられた長い艶やかな髪は侍女達が丁寧に花の蜜を刷り込んでくれたものなので少し悪い気はするがアギにとっては期待していた事だった。
あの国民の信望厚い父がとうとう自分を同じ視線の大人と認めてくれた事に胸がぐっと熱くなる。
ラエトリトの断髪の式は彼の家で盛大に、華やかに行われたが、自分はどういった式になるのだろう。
目の前に楽しそうな想像ばかりが浮いていたのを見透かしたのか、園王はくぎを刺した。
「いつまでもラエトリトにお守をさせるわけにいかないしな」
「な、父上!」
がはは、と笑った園王と一緒に間の両脇で難しい顔をして槍を構えていた兵士たちからも笑い声が上がる。
それを打ち切ったのも園王の言葉だった。
「近いうちに式を行う。もう子供時代は終わりだ、アギ」
「はい、ありがとうございます!」
そして園王はいつものようにそっけなく頬杖をつきながら手をひらひらとさせた。
「話はそれだけだ。アギ、それにラエトリト。さがってよい」
「はっ」
その合図にアギは立ち上がり、少し足早になって王の間から退場した。
園王の横手を大きく回りラエトリトも出口へ向かおうとする通り際、園王は胸に下げられた質素な竜の鱗の首飾りをいじりながら静かにささやいた。
「まだ早いと思うか」
園王のささやき声よりさらに小さく、さらに聞き取りやすくラエトリトは言った。
「いえ、王子は園王が思っているよりもずっとお優しい。遠慮が前に出て本気が引っ込む男です。
追い詰めた方が吉かとおもわれます。それに、園王。お身体の様子が冴えないようで」
「うむ。それ以上言うな」
「は、失礼いたします」
ラエトリトは園王が自分と同じ考えに至った事、そして王権の先が長くない事を悟った。
奇しくも、黄金色に熟れた太陽が地平に落ち解ける時刻だった。
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