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side:悠



「や。ワトソン君」


何個目になるかも分からない上質な肉を頬張った時、後ろから言葉を投げ掛けられた。
その人物はもちろん分かっている。


「だから、その妙な名前で呼ぶなと言っているだろう」

「そーだっけ?まあ良いだろ〜?一時は手を組んだんだしよ?」

「一時だけだ。馴れ馴れしく俺を呼ぶな詐欺師め」


影宮だと思っていた男に詐欺師、と口にすると目の前の男──紫暮基久は不敵な笑みを浮かべた。
偽名で何をしていたのかという以前に、こいつは楓と旧知の仲だというのが俺的には問題だ。


「言ってくれるねー君の大好きな楓坊の兄貴分みたいなもんだぜ?俺は」

「…ふん」


そう。
こいつは”あの”楓の兄貴分だと抜かしやがるのだ。
まるで楓のことは何でも知っているぜ、とでも言いたげな笑いに心底腹が立つ。
ぶん殴りたい。
今すぐに。

俺はあいつの事を全くと言っていいほど知らない。
ポッと出の峰岸も気に入らないというのに、その上この男や理事長も楓とワケ有りらしいではないか。


「そう睨むなよ。…吉原組の息子だろー?」


不満気に食べ物を口へ運んでいた動作をピタリと止め、紫暮基久を真っ直ぐに見遣る。


「イイね、その真っ直ぐな目。…楓みてえだな」

「貴様は…いや貴様らは一体何を知っている?」


思ったままに問いかけるが紫暮の表情は相変わらず笑っている。
だが…からかうような笑いというより、試している顔に見えたのは気のせいだろうか。


「あの一ノ瀬組の男…奴は同業者を潰す為にこの学園に潜入していたと言っていたな」

「まーそんなこと言ってたね」


体育祭の日だ。
遅れてやって来た俺には何がどうなっているのかよく分からない状況だった。
ただ一つ分かったのが、楓をあそこまでズタボロにした男が俺と同じ家業の者であるということだ。

楓をあんな風に傷つけた野郎と同じ家業だなんて虫唾が走る。


「貴様が俺を餌にして一ノ瀬の者をあぶり出そうとしたのは理解している」

「はは…餌ってのはひどい言い方だけどなー」


だが気になる事がある…相手は極道の人間だ。
その一ノ瀬が去り際に”誰か”に向かって残した言葉。

『あの男の息子』

初めは俺の事を指しているのかと思ったが、口ぶりからして俺では無い。
そもそも、同業者の身辺調査くらい済ませているはずだ。

確証はない。
…が、理事長の反応を見て一瞬、ある可能性が頭をよぎった。


「……一ノ瀬の言っていたのは、楓の事…なのか」


目を細めて紫暮を睨みつけると、口元の笑みを深めた。


「さー?どうなんだろうな?」

「……」


正直に答えるとは思っていなかったが、随分と曖昧な答えにイラッときた。


「もう良い。貴様に聞いてそう簡単に分かる訳がなかったな」

「そーんな眉間にシワを寄せたら可愛いお顔が台無しだぞ?」

「黙れ」


ピシャリと言い放つと紫暮はケラケラと笑い、手に持っていたグラスを静かにテーブルへ戻すと、俺の方へ歩み寄って来た。
特に何をする訳でもなく、俺の隣までやって来て立ち止まる。


「……?」


目だけで横を見ると、紫暮はこちらを見ていない。
まるで俺と会話している姿をごまかしているようだ。


「…夏休み」

「何?」


周りを警戒しているのか、明後日の方向を見ながら紫暮が口を開いた。


「夏休みになるとほとんどの生徒は帰省するな」

「…それが何だ」

「楓坊はいつも拓馬の家に戻る。だが当の拓馬はあまり一緒に居られない。一応忙しい奴だからな」


理事長の家…それは初めて知ったな。
ま、こいつの口から聞くのも癪だが。
本人は何も語らないから正直なところ、聞きにくかったのだ。

それでも毎年ちゃんと帰省届を出している所を見ているから帰る居場所はあるんだな、と思い込んでいた。

…楓のことだ、俺達に気を使わせないように黙っていたというのもあるんだろう。


「では楓はいつも…」

「ま、大体一人で拓馬を待ってるな」


理事長を一人待つ楓の後ろ姿が頭に浮かぶ。

俺にとってあいつは憧れで…
いつかあんな風に強くありたいと思っていた。

けれど今は少し違う。
楓のようになりたいんじゃなく、俺は楓の隣に並びたい。
対等に、親密に。


「…何故その事を俺に話したのだ。さっきも聞いたが一体何を企んでいるのだ貴様は」


こいつが俺に近づいたのは、きっと峰岸や連夜に出来ない事をさせようとしているからだろう。


「分かってるくせに。…一ノ瀬組の者を取り逃がしたんだ、もう問題は俺や拓馬だけじゃ済まなくなった。──そうだろ?」

「……」


それは問いかけではなく確信めいた口調だ。
押し黙った俺を見て肯定ととらえたのか、紫暮が耳の近くまで顔を寄せてきた。



「──夏休みの間、奴らから出来るだけ楓坊を遠ざけたい。君の実家ならそれが可能なはずだ」



「なあ?吉原組次期若頭、吉原悠くん?」






事態はそう軽いものではなかったのだ。





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