side:藤
「――拓馬!おーい拓馬ー!」
「何ですか…そんな大声じゃなくても聞こえてますよ…」
「聞いてくれ拓馬!俺パパになる!」
「はあ…」
「反応薄っ」
「いや、いつかはこうなると思ってましたし。でもおめでとうございます」
「さんきゅ!楽しみだなー俺と桜ちゃんの子供だからチョー可愛いだろうなー」
「桜さん似である事を祈ります」
「うをいっ!失礼だなお前は!どっちに似ても可愛いに決まってんだろ!?」
「…名前はもう考えたんですか?」
「まーな!二人で決めたんだ!」
「へえ、早いですね」
「夢だったからなー」
「何て名前なんですか?」
「えっとなー桜ちゃんの"木"と、俺の"風"で――…」
「――おい、何ボーッとしてんだ」
「……ああ」
テラスで物思いにふける俺へ声をかけてきたのは基久だった。
留学組の帰校に伴い、歓迎パーティーが催される事になり、今はその主役の登場を待っている所だ。
が、今の俺にとっては会場の楽しげな声すらも遠く感じる。
「気になるのか、楓坊の事が」
「まあな…」
体育祭の日以来、一之瀬が残した言葉が頭の中で反芻している。
あの男は気付いてしまった。
「よりによって一之瀬に気付かれたんだ…このままでは済まないはずだ」
「だろうな」
「やはり逃がすべきじゃなかったな…」
俺の油断が招いたミスだ。
今さら悔やんでも仕方がない。
「なあ拓馬…いい加減、楓坊にも話すべきじゃねえか?」
「バカ言え、あいつはまだ高校生…」
「もう高校生、だろ。小さいガキじゃねえんだ」
ぐっと押し黙る俺を見て基久が呆れた顔で息を吐いた。
「ま、ガキだと思い込まねえと手え出そうだもんなあオイ」
「阿呆」
人から見れば恐らく苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てると、基久はケラケラと笑い出した。
「………楓坊の奴、表情が柔らかくなったな」
ひとしきり笑い、手摺りに背中を預ける基久が小さく洩らす。
最近の楓は俺と一緒に暮らしていた頃よりも格段に表情が優しくなった。
まだはっきりと分かる訳ではないが、雰囲気や表情が微妙に変化しているように見える。
「まっさか、あのくそ生意気だったあいつがあんなに可愛くなるとは正直思わなかったわ」
「…確かにな」
「はあー…」
「?どうした基久」
急に項垂れて肩を落とす基久に首を傾げた。
「あいつよ…俺が頭撫でたりすると擦り寄ってくんだぞ…!?あの楓坊がだ!」
「顔が変質者だぞ」
「お前よく我慢できんな。ありゃまるで猫だ」
「猫、ね…」
初対面の人間には人一倍警戒するくせに、気を許してしまえばとことん甘くなるところなんか猫っぽいかもしれん。
「…あいつが猫ならとっくに首輪つけて囲ってるさ」
苦笑いを浮かべると基久は驚いたように目を大きく瞬かせた。
「成る程、可愛くてしょうがねえって?」
「ああ」
「構いすぎてウザがられるのがオチだな」
「不吉な事を言うな」
顔を見合わせると、同時に吹き出して笑った。
大の大人が二人して不気味に笑っているのだから周りから見ればおかしな光景だろう。
「もう17歳か…どうりで俺達も歳を取った訳だ」
不意に基久が空を見上げて、しみじみ、といった風に洩らした。
「…年寄りくせえぞ基久」
「ほっとけ」
「だがまあ…その通りだな」
この世に生きるもの全てに唯一平等に与えられた、決して逆らえない時の流れ。
楓が成長するのと同時に、俺もどんどん歳を重ねてしまう。
それでも、
「人と出会い、別れ、触れ合って、人を愛して、泣いて、笑って、人として生涯を全うしてくれるのが一番良い」
「……拓馬」
「楓が幸せになる為なら、俺は何にだってなれる」
それが俺の役目だ。
17年前のあの日、楓から一つの幸せを"奪ってしまった"俺の…
「――…いーや、嘘だね」
間を置いてゆっくりと基久を見遣ると、悪戯が成功した子供のような生意気な笑顔を浮かべていた。
ある意味、楓に一番近いのはこいつだ…というよりも、楓がこいつに似たのかもしれない。
「お前がそんな献身的な訳ねえだろアホか」
「アホってお前な…」
「……ま、全部が嘘って言うつもりはねえよ」
自分が偽りの中で生きてきたせいか、他人の隠した心情を見破るのが上手く、尚且つそれを抉ってくる。
人としてどうかと思うくらいに厄介な悪友だ。
「別に、良いんじゃねーの?欲しいなら『欲しい』で。手元に置いとかねえと、あっという間に掻っ攫われるぜ」
「………」
簡単に言ってくれるなこいつは。
俺にはそんな事を言える資格もねえんだよ。
頭の後ろで手を組みながら会場へ戻る基久の後ろ姿を眺め、小さく顔を伏せた。
(……俺はいつからこんなに…)
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