side:沙都里
昔、一度だけ出会って今だに忘れられない子がいる。
あれは多分小学生の時だった。
父親に連れられて寄った街で、用事を終わらせるまで遊んでいなさい、と言われた夕暮れ時の公園。
その子は一人でベンチに座っていた。
「一人?」
「…………」
「あ…」
その子が無言で顔を上げた瞬間、思わず固まった。
漆黒の髪から覗く、神々しいほどの金色の瞳。
小学生の俺でも鳥肌が立つくらいに綺麗だと感じたのを覚えている。
「すごい…」
「……何が」
同い年くらいに見えるが、自分よりもはるかに大人びているようだ。
金色の瞳を細めながら俺に探るような冷めた目を向けて、彼は初めて口を開いた。
「その目、すごいきれいだ」
身を乗り出すように近付くと、ほんの少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「……きれいじゃない。皆きもちわるいって言うから」
「どうして?そんなにきれいなのに」
「………」
首を傾げた俺を見て、何も言わずに俯く。
その時にふと気付いたのが、彼の身体にある複数の痣や傷だ。
まだ小さかった俺にはそれが何を意味しているのかは分からなかった。
「けが、してる…」
「別に。いつもだから」
「だめだよ」
皺くちゃな絆創膏が貼られた左手を俺の小さな両手で包み込むと、一瞬だけ怯えるように肩が揺れた。
「とうさんが言ってたんだ、けがをしている人には手を当ててあげなさいって。手当てされると、もう痛くなくなるんだって」
「…手当て…」
「うん。……まだ痛い?」
「………痛く、ない」
その言葉と、和らいだ彼の表情に、心の底から嬉しくなった。
「やっぱりきれいだ。お月様みたい」
手を両頬に移動させて顔を固定すると、美しい金色の瞳が見開かれ、真っ直ぐに俺を見る。
「――変な奴だな、お前…」
夜空のような黒髪に、満月によく似た瞳。
その後すぐに父が俺を迎えに来てしまい、彼と会う事はもうなかった。
お互いに名乗った訳でもない上にほんの数分の出会いだったが、随分経った今もはっきりと覚えている。
(もしまた会えたなら、今度こそ俺から名乗りたい)
◇
「ナオー!まだ仕度できないのかー!」
来週にテストを控えた中、海外へ行っていた留学組が帰校する事になった。
そして留学組の帰校を歓迎するパーティーがもうすぐ始まるというのに、ナオは着る服に迷っているようだ。
「もう!デリカシーってもんがない訳!?女性は身嗜みに気をつかうんだから!」
「お前は男だろうが!」
「いいの!」
バン!
部屋に篭ってばたばたと身支度を始まて1時間後、ようやくナオが出てきた。
「ど?可愛いでしょ?」
「なっ…お、前…」
「とてもよくお似合いです、ナオ様。七五三のようにお可愛らしい」
「ちょっと!それ褒めてないでしょ!」
比嘉に突っ掛かるナオに、俺は開いた口が塞がらない。
「何でドレスなんて着ているんだ!」
ナオが着ているのはどう見ても女性用だ。
女顔のおかげで違和感はあまりないが、いくらなんでもドレスはやめて欲しい。
「なにさ!僕みたいな可愛い子にスーツ着ろって言うの!?」
「男なんだから当たり前だろ!」
「沙都里殿、先生は『パーティーに見合う格好』とおっしゃっていたので、違反ではないです」
「う、……」
冷静な比嘉の意見に、俺は言葉を詰まらせる。
正論なだけに言い返せない。
確かに、男がドレスを着てはいけない理由は無いんだ。
それを否定する事はナオを傷つけてしまうかもしれない。
「大体、僕みたいな容姿の子は皆ドレスなんだよ」
「そ、そうなのか…」
「恐らくそうでしょうね」
「ほらっ連夜様に見せに行くよっ!」
ご機嫌で部屋を出る後ろで、俺は小さく息を吐いた。
やはり長年この学園に居ても、ここの特色には慣れないらしい。
【食堂】
「すっごー!飾り付けしてある!」
パーティーが始まる30分前に会場へ着いた。
普段、食堂として使っていた筈だがすっかり内装が変わり、パーティー会場となっている。
既に料理がテーブル運ばれ、かなりの人数が互いの服装や留学組の話で盛り上がっていた。
「連夜様どこかな〜」
「こら、走るな」
ナオはナオでドレスを連夜さんに見せる事で頭がいっぱいらしい。
こんな大勢の人がいる中、連夜さんを探すのは少し大変だろうに。
「北条殿はどこでしょうね」
「なっ…俺は別に北条を探している訳じゃ…!」
キョロキョロと周りを見渡していると、横で比嘉がぽつり、と洩らした。
「北条がどんな服なのか気になるんでしょー?」
「だから違うと言っているだろうが!」
「まあ残念ながらドレスではないでしょうね」
「残念だね沙都里」
こ、こいつら…ここが会場じゃなかったらブン殴ってやりたい。
俺は北条がどんな格好かなんて全く興味ない!
ちょっとスーツ着ただけで、普段の北条となんら変わりはないはずだ。
そうやって自分に言い聞かせながら悶々する俺をよそに、ナオが顔を輝かせた。
「いた!連夜様!」
「っ!」
指を差した先に、グラスを持って吉原くんと談笑している連夜さんが見えた。
まさか本当に見つけるとは…
「連夜様スーツ姿も素敵…白がよくお似合いになって…王子様みたい…」
「ナオ様とよくお似合いですな」
「もうやーだ比嘉!当たり前なこと言うなよう!」
だめだ、完全に頭が花畑になっている。
手鏡で髪や服をチェックしてからナオは猛ダッシュで連夜さんの元へ走っていった。
「連夜様ー!」
「あ、ナオくん達」
「お久しぶりです」
俺たちに気付いた連夜さんは柔らかく笑いかけてきた。
ナオはそれだけで顔を真っ赤にしている。
「なんつーか、違和感ねえな…お前」
「あはは、本当。似合ってるよナオくん」
「……っ!!あ、ありっ…ありがとうございます!れ、連夜様も素敵です!」
普段のナオとは似ても似つかないくらいそのテンパりように、俺は苦笑いを浮かべた。
気の強いナオでも、連夜さんの前ではまるで女の子だな。
「…そういえば、北条殿はどうされたのですか?お姿が見えないようですが」
比嘉がそう尋ねると、峰岸くん達の表情が一瞬にして変わった。
なんだ、この反応は…
北条に何かあったのか…?
「それが…部屋にも戻って来なかったらしくて…」
「え…」
「午後に生徒会から呼び出しを受けてからどうなったか分からないんだよ」
心なしか連夜さんの言い方には怒気が含まれているようにも感じた。
生徒会の雅さんが分からないとなると、ここにいる生徒はみんな知らないだろう。
それにしても、あいつはどうしてこうも心配ばかりかけるんだ。
面倒事に巻き込まれていないかと、不安になるこっちの身にもな……いや違う。
別に俺が心配している訳じゃなくてだな…
「ブツブツうっさいよ沙都里」
「………」
相当妙な顔をしていたのか、ナオが呆れた目を向けてくる。
「ひとまず、会長たちが来るのを待つつもりだけどね」
「おいおめえら!この海老プリップリだぞ!くそうめえ!!」
「何なんだこの肉は…口に入れた瞬間に溶けるぞ…!」
「そこの肉食コンビはちょっと空気読んでくれるかな?」
峰岸さんと吉原くんは連夜さんの言葉も聞かずにガツガツと食べ進め、皿を重ねていく。
むしろ清々しいくらいに良い食べっぷりだ。
「そうですよ2人共!楓ちゃんが心配じゃないんですか!?」
「両手に飯持ってる奴が言っても説得力ないから!」
いつも冷静な連夜さんもこの人達が相手だとこうなるのか。
4人とも黙っていれば道行く人も振り返るような美形だというのに…
ざわ…
「?何か向こう騒がしくない?」
「確かに…」
がやがやとしていたはずの会場だったが、急にざわめきが大きくなった。
それは会場の入口から少しずつ周りへ広がっていく。
「むあ?あんだあんだ?」
「食べるのか喋るのかどっちかにして峰岸」
「棗様だ…!やだ、素敵…」
「ひゃあ〜…葉月様お美しい…」
「カッコイイ…」
ナオと似たようなドレスに身を包んだ生徒達が頬を染めて色めき立つ。
人垣がまるで道のように割れていき、俺たちの視線の先に会長たちが見えた。
「ふん。相変わらず派手な奴らだ」
「ですね」
「とりあえず、楓の事を聞き出さないと」
颯爽とこちらへ歩いてくる会長たちだが、次の瞬間、ざわめきが更に大きくなった。
「えっ…棗様の後ろにいる人誰!?」
「うそっカッコイイ!」
「あんな人居たっけ!?」
「めっちゃ綺麗じゃない!?」
確かに、よく見れば並んで歩く会長と副会長の後ろにもう一人、こちらへ向かってきている。
俯いているせいで顔がはっきりと見えない。
「…誰だ、あいつ。普通の奴じゃねえな」
「……ああ」
さっきまでおちゃらけていた峰岸くんの目つきが一瞬で鋭くなり、連夜さんと一緒に、俺たちを庇うように前へ並んだ。
俺は何故かその男から目が離せなかった。
黒い髪を軽く後ろに流したオールバックとシンプルな黒いスーツ。
胸元のポケットに飾った赤い花と白い肌が一際目立っている。
「せっかくのパーティーだ。そう睨むんじゃねえよ」
「…そんな事より、楓はどうしたんだてめえら」
連夜さんと峰岸くんが殺気混じりで問い詰めると、会長たちは顔を見合わせ、一歩後ろへ下がった。
「まあ、貴方たちが分からないのも無理はないですね」
「……どういう…っ」
「はっ!?」
その直後、連夜さんが息を呑み、峰岸くんが驚愕の声を上げた。
「連夜?どうしたのだ」
「何かあったんですか峰岸くん?」
すかさず、吉原くんが連夜さんの肩をつかむ。
それを合図に、俺たちも前へ乗り出した。
「――…見せモンじゃねえんだぞてめえら…」
俯いていた男から聞き覚えのある不機嫌そうな声。
「その、声は…」
「楓…ちゃん…?」
「ええっ!北条おおお!?」
ナオが叫んだ瞬間、遠巻きに見ていた連中から悲鳴が上がった。
俺は悲鳴どころか指も動かせない。
髪で覆われていた顔を惜し気もなく晒されて初めて、北条の顔立ちが整っている事が分かった。
バランスよくパーツが置かれ、眉間に寄ったシワや、いつもより鋭い目が妙な色香を放っている。
男前と綺麗さが揃った美丈夫だ。
いや、それよりも気になるのが…
「お前…」
「先に言っておくが、これはカラコンだ」
怪訝そうな視線を送る峰岸くんの言葉を遮り、北条が自分の瞳を指した。
満月のような双眸。
それは本当にカラコンなのだろうか。
峰岸くんは納得のいっていないような表情を浮かべたが、それ以上突っ込む事はしなかった。
「パーティーが始まんぞ」
「行きましょう」
時計の針が6時を指し、会場全体が薄暗い光に包まれる。
変わらない北条の無表情を盗み見て、一人首を振った。
バカだな、何を考えているんだ俺は。
一瞬、北条が"あの子"とダブって見えた…
そんなドラマみたいな事、ある訳がないのに。
そうやって自分を納得させ、考えることをやめた。
「…………灯台下暗し、か…」
俺と同じように、北条をじっと見ている奴が傍にいた事にも気が付けずに。
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