side:連夜
楓がこの学園にやって来たのは3年前の、まだ冬にならない時期だった。
【3年前】
ゴキッ
「ヒィッ…!も、もう勘弁してくれえ!俺が悪かった!!!」
涙と鼻水を垂れ流しながら図体ばかりデカイ男がオレの足へ縋ってくる。
その周りで転がっているのはこの男の仲間だ。
オレは必死に懇願してくる男を見下ろすと、無言のまま足を持ち上げ、躊躇なく男の顔面を踏み付けた。
「あぐっ…!!」
ゴシャッと音を立て、男は動かなくなった。
「…………てめえはそうやって地べた這いつくばってんのがお似合いだよ」
もはや誰にも聞こえていない呟きを残し、オレはそこから立ち去った。
(…ツマラナイ)
親のいいなりでやりたくもない空手や、色んな習い事をやらされ、親のいいなりで楽しくもないこんな閉鎖的な学園へ送り出された。
絡んでくる連中はみんな雑魚ばかり。
ああ、本当につまらない。
地位も名誉も学歴も上辺だけ見て寄ってくる人間もみんな邪魔なだけ。
そんな鬱憤を喧嘩で発散するのは割と嫌いじゃなかった。
そんな時だ。
『アイツ』がこの学園へ来たのは。
▽
「…………いい加減うっとーしいんだけど」
「こらこら、理事長に向かって"うっとーしい"は無いだろう、克海くん」
藤城学園理事長、藤城拓馬。
齢25にしてこの学園の理事長を務める、言わば秀才。
だがオールバックにセットされた黒髪に傷で塞がった左目という姿は誰がどう見ても"裏"の人間だ。
まあ、オレみたいな問題児を目の前にしても、他の教師のように怯えたり下手に出ないだけ"マシ"かもしれない。
「また上級生をシメたらしいね」
「…あっちが先に絡んできたんだよ」
「それは分かってるが…向こうは"何もしていないのにいきなり殴られた"と言っているんだ」
またか。
いつもいつもオレが悪いように言われる。
今回だって、その前だってそうだ。
とは言っても、教師陣はオレの言うことなんて信じないし、弁解するつもり無い。
「――あっそ。じゃあ停学でも退学でも何でもすれば」
「ほう。潔い男は嫌いではない――と、言いたい所だが…お前はお咎め無しだぞ?」
「……?」
ふい、と逸らした顔を戻すと、理事長はにんまりと笑っていた。
なんだこいつ。
やっぱり変だ。
理事長はオレがいくらたくさんの奴をシメていても、軽い謹慎で済ませている。
普通だったら停学か退学なはずなのに。
「お前は不器用だからな」
オレの疑問が見透かされたかのように、理事長はさらりと答えるが、答えにはなっていない気がする。
「はあ?訳わかんねえ…」
「くくっ…まあいい。ともかく、少しは大人を頼りなさい」
「………知るか」
オレがそう吐き捨てると、理事長はまたクスリ、と笑い出した。
さっきから何がおかしいんだよこいつは。
「子供は大人を頼るもんだよ」
「……………」
ばたん。
そう言って微笑む理事長を不機嫌そうに睨みつけながら、部屋を出た。
口に出しては言わないが、オレはきっとこの男には敵わない。
「……………編入生の案内を任せようかと思ったのだが…行ってしまったか…」
理事長が苦笑しながら扉の奥で呟いた言葉は、オレにはもう聞こえていない。
「編入生!?」
「シッ!声でかいよ!」
翌日、いつものように木の上で昼寝をしていると、下の方で耳障りな話し声が聞こえてきた。
けだるそうに体を起こし、ひょこっと顔を出す。
「僕はまだ見てないんだけど昨日Aクラスに編入してきたんだって」
「へえ〜どんな人か聞いた?」
「それがさー黒髪に眼鏡かけてて〜なんかオタクっぽいんだよね〜前髪長いし」
「うわー」
…わざわざこんな学園に編入してくるなんて…相当な物好きだな。
いつまでもそこでしゃべくっている2人に嫌気がさし、場所を移動しようとしたが、去り際にそいつらは妙な事を言っていた。
「でもねそいつ、噂だと絡んできた上級生5人を1人で蹴散らしたらしいよ〜」
「あははは、まっさか〜オタクなんでしょー?」
「まあ噂だからね、噂」
(……………ふうん…編入生、ね…)
単なる噂とは言っても、やはりそういうことは実際見るまでは分からない。
実は裏の人間、という事も有り得なくはないと思う。
「ま、期待はしないけど…」
「なーにが期待しないんだあ〜?」
「げっ」
本格的に寝ようと、1番頑丈な枝へ体を預けた途端に、すぐ横にある校舎の窓がガラッと開き、会いたくない人物の顔が現れた。
オレは嫌な顔を隠そうとせずにその人物を睨みつける。
「こんな所で寝るんじゃねぇよ、レン。つーか今『げっ』って言った?確実に言ったよな?」
「うるっせーなあ…どこで寝ようがオレの勝手だろうがよ。お前には関係ない。つーか気安く呼ぶな」
「良くないな。そんな所で寝てて万が一落ちたらどうする。怪我じゃすまない場合だってあるんだぞ」
ベラベラとしゃべりまくる男は、風紀委員らしく、オレにしつこく付き纏っては今みたいに説教を垂れてくる。
全く以って目障り窮まりない。
「それに、『お前』じゃなくて――工藤嶺先輩、だろ?」
「知るか」
「あ、おいレンっ」
屈託のない笑顔を浮かべる工藤嶺を横目に、オレは4・5メートルはありそうな木の上から飛び降りた。
工藤嶺の焦った声とは裏腹に難無く地面へ降り立ち、勝ち誇ったように工藤嶺を見る。
ぽかん、とした間抜け面だ。
「ふん、ばあか。アンタなんかアンタで十分だよ」
「……………くっ…くくく…」
「…?何笑ってんだよ…気持ちワリィな…」
それを見て気分を良くしたオレは工藤嶺に向けてニヤッと笑ってやったが、工藤嶺は押し殺した声で笑い始めた。
「お前、…ほんっと面白ぇな!」
「…オレ的にはアンタの顔の方が面白えと思うけど」
「んー?誉めてんのかあ?」
「誉めてねーし」
ふい、と顔を逸らし工藤嶺に背を向けた瞬間、ドスンッと後ろから音がした。
さすがに驚き、弾かれたように振り向くと、さっきまで校舎の中にいたはずの工藤嶺が笑いながらオレを見ている。
「――レン、風紀委員に入れ」
「………は…?」
何を言うのかと思えば…風紀委員に入れ?
間の抜けた声が出たのは言うまでもない。
頭大丈夫かこいつ。
「どうしても人手が欲しくてな…お前と、あと1人候補がいるんだが…」
「…だったらそいつにすれば良いじゃねえか」
「きっぱり断られたよ。とりつく島もない」
「オレも断ってんだろうが」
はあ、とため息をつく。
そんなもの、適当に見繕えば良いのに。
こいつもなまじっか顔が良いばっかりに結構人気がある。
風紀委員に入りたい、なんて奴は腐るほどいるはずだ。
「オレは誰かの下につくなんざ性に合わねえんだよ。他をあたれ、他を」
「ぶははっ!アイツと同じ事言ってらあ!お前ら案外気が合うのかもな」
「し、知らねえよ!」
「おっと…」
ケラケラと笑う工藤嶺に、枯れ葉の掃除でもしていたのだろう、近くにあった箒を投げ付けた。
奴はひょいっと避けながらその箒を掴むと、器用にくるんと回し、自分の肩へ担いだ。
ほんと、むかつく。
「――気が向いたら俺ン所に来いよ、レン。歓迎するぜ」
工藤嶺はそれだけを言い残し、颯爽と去っていく。
「…………………うぜえ、奴…」
残されたオレはその場から立ち去る事もせず、ただ1人、空を仰ぎ見ていた。
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