謎の多い男。
晋哉side
◇
深い深い闇の中で僅かに何かが動いた。
金属のぶつかる音と何かを引き裂く音が断続的に響く。
「……誰、だ」
不安になりながらも尋ねると、音が止んだ。
ぼんやりと光が点され、俺の目の前には人影があった。
よく見ようと目を細め、近付こうとした時、俺の足が水溜まりのようなものを踏んだ。
慌てて後ずさり、目を凝らして見てみると、人影の下には大量の水溜まりが出来ていた。
(な、何だ…この匂い…)
ツン、と鼻をつく強烈な鉄の匂い。
咄嗟に鼻と口を押さえ込むが、それでも鼻が曲がりそうになる。
これは大量の、――血だ。
「……っおい誰なんだてめえは!」
バシャバシャと水飛沫を上げながら立ち尽くす人影に駆け寄り、肩を掴んだ。
ゆっくりと振り返るそいつの動きが、スローモーションのようだった。
「……っ!!なんっ…でお前が…」
「――触るな」
顔を見た瞬間、恐ろしく冷たい目をしたそいつに手を払われ、体が動かなくなった。
知っている顔だ。
生意気で、ムカつく野郎の顔なはずなのに、知っている奴とは違う。
まるで、中身だけが別人のようだった。
(お前は一体、何なんだ…)
「――…東雲…椿…」
◇
「お、気がついたか」
パッと目を開けた時、目の前に広がる端正な顔。
「――っななな、何でてめえがいんだ!?」
「…なに驚いてんだよ」
呆れながらため息をつく東雲を見てさっきのは夢だったのかと初めて気付いた。
そうだ。
あれはただの夢だ…今そこにいる東雲椿からはあの時のような刺々しい空気がない。
「夢、か…」
「頭大丈夫か?」
「てめえ…………っ!?」
生意気に笑う東雲椿を睨みつけたが、胡座をかいて座る東雲の隣に、ぴくりとも動かない千裕の姿が目に入った。
「千裕っ!!」
慌てて千裕へ駆け寄り、肩を揺らすが、ぐったりとしたままだ。
俺が寝ていた間に何があったんだ一体…
いや、そもそも何で俺は寝てたんだ?
ふと、東雲の方へ目を向けると、奴もこちらを見ていた。
その冷たい表情に、思わず冷や汗が流れる。
「お前…」
「……………はあ…」
言い終わる前に、東雲は大きく息を吐いた。
「――何でこうもうまくいかねえんだかなー…」
「……は?…何の話だ…?」
「…説明するのも面倒だな」
「おい何だそれふざけんな」
説明しろ、と言わんばかりに東雲の胸倉を掴み上げた――と同時に視界が回り、背中から地面へたたき付けられた。
一瞬、何が起こったのか分からず、俺は放心したまま真っ暗な空を見上げる。
「……って、め…!」
「ああ悪い悪い……つい」
「"つい"で人を投げ飛ばすんじゃねえよ…!」
こいつ…油断していたとはいえ自分より背の高い俺を片手で投げ飛ばしやがった。
「てめえは一体何なんだ…」
「はあ?俺は俺だろうが」
何言ってんだこいつ、とでも言いたげな顔で当然のように言われた。
俺が言いたいのはそういう事じゃねえ。
「……千裕は、てめえがやったのか…」
「そうだ」
「…ってめえ!」
カッと頭に血が昇り、ついさっきブン投げられた事も忘れ、東雲へ殴りかかった。
バキッ
「……っ!?」
右手に確かな手応えを感じ、ズキズキと痛みだす。
東雲は避ける事も防ごうともせずに俺のパンチを受けた。
「……な、…何で避けねえんだ…てめえだったら避けて俺を殴れただろうが」
東雲は口の端についた血を手の甲で拭い、顔を上げる。
「――…ばかか…お前を殴る理由がないだろ」
「…………だったら…千裕は…」
「こいつは俺の大切なやつを傷つけて危険な目に合わせた。…許せる訳ねえ」
何も答えずに、目線を千裕へ向けると、東雲は寝そべる千裕の腕を自分の首へ回し、千裕の体を支えながら立ち上がった。
「……おい」
一言だけで呼び止め、東雲と向かい合う。
手伝う、と言いたいが中々言葉に出来ずに渋っていると、そんな俺を見透かしたかのように柔らかく笑った。
「……っ」
「気にすんな。それより、ホテルに戻るからお前は明かりを照らしてくれ」
「……あ、ああ…」
……何うろたえてるんだ。
こいつは俺の嫌いな奴だろうが。
顔だけ良くて中身のない薄っぺらい人間に決まっている。
そう自分に言い聞かせ、真っ暗な森の中で明かりを照らす。
東雲は千裕をおぶりながら俺の後ろを歩く。
理由は分からないが、何故か落ち着かない。
「――なあ、入江」
「…あ?」
そうやってしばらく歩いていると、東雲の声が聞こえてきた。
「ここ、どこだ?」
「………………」
分からない。
「……おい…まじか…」
「う、うるせえな!適当に歩いてりゃそのうち着くっつーの!!おら行くぞ!」
「だめだ」
何となく気恥ずかしくなり、それを隠すようにまた歩き出すと、東雲が俺の腕を掴み、止めた。
意外とキレイな手に一瞬ドキリとしたのはきっと何かの間違いだ。
「真っ暗な森で迷った時は明るくなるまでその場を動かない方が良い。携帯も繋がらねえみたいだしな」
「…ってことは朝までここにいろってか?」
「そうだ。――死にたくなければな」
初めて見る鋭い目に、思わず息を呑んだ。
最初に会った時から妙だとは思っていた。
須藤千景の飄々とした怪しげな感じでも、遊佐のような胡散臭さでもない。
常に周りを探り、警戒でもしているような気配…
人より一歩先を読んでおいて、人より一歩後ろを歩く。
そんな感じがする。
「ふう、こんなんでいいか…」
「…………何、してんだ?」
いつの間にか考える事に没頭しており、東雲がごそごそと何かをしていた。
東雲を見てみると、自分の上着を下に敷き、そこに千裕を寝かしている。
「何って…見れば分かんだろ」
「馬鹿かてめえは!こんな所で上半身裸でいる気か!」
「わぶっ」
急いでパーカーのファスナーを下ろし、東雲へ投げ付けた。
冗談じゃねえ、目のやり場に困るっつーの。
「…へえ、案外いいやつだなお前。その調子で成川くんを落としてみろよ」
なんて事を言いながらパーカーに袖を通し、上までファスナーを閉めるがサイズが大きかったらしく、袖からは指だけが出ている上に鎖骨が見えている。
身長差はそこまで無いはずなのになんだこれは。
千裕をぶっ倒すほどの強さを持っておいて華奢すぎるだろ。
「……………煙草臭え」
「……うっせえ。我慢しろ」
そんなに煙草臭えのか俺…自分じゃ分かないもんだな。
「で?お前はいつになったら成川くんを落とすんだ?」
「…何でそんな話になってんだよ。てめえにゃ関係ねーだろ」
「あるね」
「……はあ?」
東雲の真意が分からない。
俺がカルナを口説くのに何でこいつが関係あんだ?
まさかこいつもカルナを知っているのか?
いや、だがそんな素振りは微塵も感じさせていなかった。
「とりあえず絡め」
「いや意味わかんねえよ!」
「ちっヘタレめ」
また、だ。
こいつは前にもこの俺をヘタレ呼ばわりしやがった。
傍若無人俺様何様生徒会長で通っているこの俺をだぞ。
ムカつく。
「ヘタレかどうか試してやろうか」
「あ?」
木に寄り掛かっている東雲の顔の両側に手をつき、鼻先が触れるほど近くまで顔を寄せた。
普通の奴だったら顔を真っ赤にさせてぶっ倒れるのに目の前のこいつは眉一つ動かさない。
俺が優位にいるはずなのに何故かこいつの方が余裕の表情をしている。
全く以て気に入らねえ。
「……反応なしかよ、てめえ」
「ヘタレじゃないって証明するんだろ?」
「てめえノーマルなんだろうが。それとも…本当は男もイケる口かあ?」
あとほんの少しで唇が当たる所まで近付き、挑発するように笑ってみせると、それまで無反応だった東雲の眉間にシワが寄せられた。
こいつの表情を崩せたことで、僅かに気分が上がっていく。
「――…ストップ」
「…?何だよ」
「俺相手にこんな事やっても何にも面白くないだろうがコラ」
俺を睨みつけ、俺の額を掌でググッと押してきた。
バランスが崩れ、後ろへ一歩下がると、微妙にはだけた東雲の肌が目に入る。
「ててて、てめえ何脱いでんだ!ア、アホか!」
「おめーが脱がそうとしたんだろうが…まさか無意識にやったのか?」
まじかよ…何でよりによってこいつの肌を弄ってんだよ俺…
頭に昇る熱を悟られないように両手で顔を隠すと、パーカーのファスナーを上げる音が聞こえた。
よくよく思い出してみると確かに何か手触りの良いものを触っていた気がする。
まさかそれが東雲の肌だったとは…
意識すればするほど顔が熱くなっていく。
「…………め、飯食ってんのか、てめえ…」
「何だいきなり…まあ食わない時もあるな」
道理で細え訳だ。
…ってちげええええええ!!
何考えてんだよ俺は!
東雲の細さなんかどうでもいいだろうが!
「お前…」
頭の中で一人ツッコミをしていると東雲がジッと窺うようにこちらを見ていた。
やべえさすがに怪しかったか俺。
つーかもう俺のキャラがおかしい。
長年目指していたヘタレ返上もここまでなのか俺は。
「成長したな…」
「……………は!?」
「お前今、俺を成川くんだと思い込んで迫る練習したんだろ?」
ええええええええええ。
何をどうしたらそう思うんだよ。
「バカか!んな訳ねえだろうが!誰がてめえなんかで練習するか!」
「あーツンデレスキルも身につけたか…最初はただのヘタレ野郎かと思ってたが中々素質があるみたいだな、お前」
「何言ってんだ!?」
「よし。そうとなればお前の中に眠っている俺様会長スキルを磨こう。そして成川くんを攻めろ!」
おいおいおいおい何か変な呪文が聞こえてきたぞ。
こっちが素なのかこいつ。
つーか何を言っているのか理解できねえ。
「いいか?成川くんみたいな子には副会長のような回りくどいアプローチはダメだ。ストレートでいけ」
「は?ちょ、何…」
「俺様スキルをマスターしろ入江。脱ヘタレだ。練習が必要なら俺が相手してやる。分かったかおい」
れ、練習って…何の練習だ。
いきなりどうしたんだこいつ。
有り得ねえ…というか信じられないが…こいつはもしかしてもしかすると…
「し、東雲…一つ聞くぞ」
「?ああ」
俺の胸倉を掴んでいる東雲の手を外し、両肩を挟み込むように掴む。
少し聞くのを躊躇ったが、意を決して口を開いた。
「おめえって、よ……」
「何」
「――…腐男子、なのか…?」
その瞬間、東雲の表情が固まり、寒気のようなものが背中に走った。
聞かなきゃ良かった、と、この俺が後悔するのはもう少し後の事だ。
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