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The Dolce Earth
Life Knight‐1‐

 真っ白なキャンパスに色とりどりの絵の具をのせると、何もなかった真っ白な空間に、世界が、命が生まれた。
 歴史ある建物、活気ある人々、美しい花々。
 ときには目には見えないものを描き、ときには残酷な描写で世の中に訴える。
 絵とはそこに描かれるだけで、不思議な力をもつもの。
 だからこそ画家は、その不思議な力をもつ絵に自分の魂を託す。

 そう……画家の描く絵には、多くの魂の輝きが宿るのだ。



【Life Knight】



 ヴェニア大陸の北方には、広大な大地を有するイェルノ帝国が存在する。広い領地は、貴族が分割して統治しており、その全体を統制しているのが皇帝である。
 絶対なる法は存在するが、その他方向性は領主に委ねられていおり、そのためか各地方の街で特色は様々で、領主の個性が表れているのだ。
 
 王都から南西に2つほど領地が離れた場所に位置する―――アルストロメリア領。
 赤煉瓦を基調に、中心に建つ教会や神殿よりも低くつくられた街並。その懐旧にひかれるのか、またはそこに住む人々の暖かさを求めてくるためなのか、この街に訪れる人は後を絶たない。
 人々が行き交う広場が見渡せる位置に、ベランダやテラスのある石灰で作られた、憩いのために作られた建物がある。
 そんな建物のベランダで、一人の青年がキャンバスに絵を描いていた。
 ゆったりとした茶色のローブと同系色のフードつきのポンチョのような地味な服装をし、茶金の髪は後ろで括られている。そんな空色の瞳の青年は、右手に筆、左手にパレットという装いをしていた。
 三脚のついた画板に置かれたその絵には、目の前に広がる広場と人々のやわらかくも活気あふれる様子が、色彩も鮮やかに描かれていた。
 じっと集中していた青年がキャンバスに色を置いていると突然、

「素敵な絵をかくのですね」

 という声が聞こえた。ふと下を見たとたん、三脚の間にある翡翠色と目が合う。
「―――っっ!?」
 ぎょっとした驚いた青年は声にならない悲鳴をあげ後ずさった。
 ぶつかってガタンっと揺れた三脚の間から、一人のふわふわとした淡い白金の13か14歳くらいの少女が出てきて、
「驚かせてしまったようですみません。中からあなたの絵を見ていましたら、ぜひもっと拝見させていただきたくて…」
 と、着ている淡色系のワンピースの裾を持ち上げ申し訳なさそうにお辞儀をする。
 ばくばくと鳴らしていた心臓を落ち着かせた青年は、一息つくとにこりと微笑んで、
「いえ、私の方こそレディに対して失礼いたしました。ただ予想外のところにお姿があったもので…」
 とこちらも頭を下げた。
 すると少女もほっとしとしたように笑むと、青年の描いていたキャンバスに振り返り見やる。
「まあ、なんてあたたかい絵なのでしょう。まるで命を吹き込まれたかのようですわ」
 と少女は簡単のため息を吐きながら笑みを深くした。
 そんな少女に青年は「光栄ですよ」と照れながら、肩に掛けていた布製の鞄の中から数冊のスケッチブックとキャンバスを取り出し、少女に差し出しす。
「よろしければ御覧になりますか?」
「…はい!」
 受け取った少女は嬉しそうに笑い、スケッチブックをめくりはじめた。
 スケッチブックの一枚一枚には、森林や大河、火山といった大自然から町や村、貴族の屋敷など、人の暮す風景が描かれていた。木漏れ日は森にかかる光のカーテン。空も雲も太陽も大地も映し出す広大な湖。伝統的な衣裳に身を包み祭りを楽しむ人々。丁寧に手入れされた庭とお屋敷。
 タッチは写実的ではなく印象的なのに、一枚一枚がまるで動いているかのように生き生きと輝いていた。
「すごいのね。もしかして名のある画家さんなのかしら。あなたは旅をしていらっしゃるの?」
 少女が訊くと青年は頷き、
「はい。私はある方にお仕えしているのですが、滅多に外には出られない主人(あるじ)に頼まれたんです。世界をまわって、その目で見てきたことを描いてきてほしいと」
 と、どこか懐旧を馴染ませながら目を細めた。
「ここに来たのはまた別の用事があったからなのですが、この街を見ていたらつい絵を…」
 描いてしまいました、と話す青年に少女は嬉しくなって微笑んだ。つい描いてしまうほど心を動かしたこの街で暮らしているから、とても光栄なことだ。
「旅をしていますとね、日常で自分が触れるものたちが、どれほど輝いているのかが知れるんですよ」
 客観的に見ることで、何気ない日常のヒトコマがどれだけ大切なものかがわかる。それは家族であろうし、道端に生えている草花だって、暮らしに添えられた華だ。記憶のなかに残らなくとも、それらはそこかしこに息づいている。
 当たり前のように溶け込んでいるものが、実は人々にとって何より大切なものであると気が付くのだ。
 青年はふと、また別のキャンバスを取り出して、少女に見せた。そこに描かれていたのは、先程よりもずっと丁寧で色彩も鮮やかな、泉や大樹、山岳。生命が息づいているような不思議な感覚をもたらすその絵に、少女はしばらく見とれていた。
「綺麗だと、思いますか?」
 問うと少女はキャンバスを見ながら大きく頷いた。
「ええ! とっても綺麗。世界には、わたくしも知らない美しい光景があるのですね」
 そう少女が答えると、青年は「そうですね」と言って、彼も少女がみつめているキャンバスに目をやる。

「それは、私たちが今、失いつつあるものです」

 それを聞いた少女はハッとして顔を上げた。
 視線を上げると、真剣だが寂しそうな青年の顔があった。
 
「絵にするというのは、自分がそのとき感じたことを記憶しておくことでもあります。言葉にできない思いを絵筆に託すのです。人々の笑顔、生活、大自然の鼓動、神秘。しかし、それを美しいと思う人もいれば何も感じない人もいます」
 何に価値を見定めるのか、多様な価値観が基づいている人間の社会では、暮らす環境が違えば違うほど少しずつずれていく。普遍的な価値観はあれ、政治を行うには優先的にせざるを得ない場合もある。
 このイェルノ帝国とて、大国であるからこそ、発展と繁栄のために開拓をするしかない。
「この国だけじゃない、多くの国が、人が増え土地を広げるために森を切り、大地を荒らし、水を濁し、風をせき止めています。我々とともに共存し実りを与えてくれていた精霊たちは、そんな人間に見切りを付けました」
 かつては人間と精霊は互いの意見を交わしながら生きていたというが、人がいつからか繁栄と争いに目を向けはじめた頃、精霊は人間と距離を置くようになり、今ではほとんどが姿を消していて精霊の存在すら知らないものが多い。
「その絵の光景は、もはやないのです」
 美しいと誰もが感じるようなところでも、別の何かを優先すれば瞬く間にそれらは失われていく。
 精霊が生まれるような長い年月を生きてきた大樹さえ、精霊の魂とともに奪われていくのだ。
「我が主人は外に出られない方ですから、こういった世界の様子が知れません。ですから私は描いているのです。美しいものも醜いものも、綺麗なものも汚いものも。描いて届けるのです。絵に託した思いを、訴えを」
 描かれているものの裏にある真実とともに、彼は語るのだろう。これから先、この絵を見た者が何を感じ取るのか。くだらないただの絵として見るか、失われた世界の宝石と見るかで、この世界のたどる未来は変わっていく。
「すばらしいのね」
 少女は感慨とともに絵をそっとなでる。まるで大切な宝物を慈しむようなやさしい手つきだった。
「あなたも、あなたの主人もすばらしい方だわ。無知でいないために知ろうと努力している。わたくしもあなたの絵で知ることができてよかったです。いずれ自分も自由ではなくなってしまいますもの」
 ―――自由ではなくなる?
 青年がその台詞に引っ掛かり首を傾げていると、少女はすっと背筋をのばし、優雅な動作で“貴族”の娘特有の挨拶の礼をとった。
「申し遅れました画家さん。わたくし、このアルストロメリア領主の娘、アリッサムと申します」
 彼女の告白に青年はきょとんと目を見開いて、少女―――アリッサムをまじまじと見る。その名を青年は聞いたことがあった。
「イェルノ帝国皇子エレムルス様の皇太子妃候補の一人…」
 アルストロメリア領主はイェルノにいる各領主の中においても、皇帝と親しい人物の一人である。その姫アリッサムは、第一皇子の伴侶となる資格をもっていて、未来の皇太子妃候補なのである。
 しばらく状況を整理していた青年は徐に沈黙を破った。
「レディではなくマダムでしたか」
「嫌ですわ、まだレディですよ」
 メキョ、と笑顔のアリッサムの左ストレートが青年の右頬にめりこんだ。
 年頃の少女に対してさすがに無礼だったと青年は頬を擦りながら反省する。そんな青年にくすくす笑う少女を見ていると、何故彼女ほどの貴族の娘がこのような格好で街に出ているのだろうかと不思議に思った。
 視線でそれを感じ取ったのか、少女はくるりと身を翻してベランダから街を見渡した。
「わたくしはね、“イイ女”になりたいのです」
 そう語る少女にじっと耳を傾ける。
「この貴族文化と市民文化が合わさったアルストロメリアで過ごし、わたくしは貴族と民の両意見を併せ考えることができていると自負しておりましたが……」
 そうではないのですね、と彼女は落ち込んだようにうつむく。しかしすぐにキッと顔をあげ、毅然とした面持ちで青年にほほ笑みを向けた。
「このような無知のままでは皇子に顔向けができません。わたくしは皇太子妃となるならば、きちんと国を知り考え、その上で支えられるような姫でありたいのです」
 ただ美しく着飾っただけの姫ではいたくないという、その強い信念をもつ翡翠に、青年は呆気にとられていた。
 皇太子妃候補がまさか町娘に変装し且つ自由に出歩いていたこともあるが、何よりもこの一人の人間として立つこの少女の光に圧倒されたからだ。
「ですから、ぜひあなたの旅の話を聴かせてはくれませんか。中では隠されてしまう真実を、知っておきたいのです」
 芯が強く純粋な人だと青年は思った。まだまだ女性としては蕾かもしれないが、いずれあふれんばかりの輝きとともに咲き誇る華だろう。
 青年は本当に光栄なことだと感じる。このような人物に認められるほど嬉しいことはない。
「私のような者でよろしければ」
 と青年は心からの笑顔で返事をすると、怪しく思われない程度に礼をとった。
「私はこうして絵で伝えるしかできません」
「いいえ嬉しいです! ありがとうございます!」
 本当に嬉しそうな表情で手を組むアリッサムだったが、何かを思い出したのか「あっ!」とその手を両頬にもっていった。
「今日は館での花嫁修業が!」
 気やすい少女だが貴族は貴族。他の娘たちよりも習わねばならない教養がある。皇太子妃候補ともなればなおさらだろう。
「自分からお誘いしておきながらお客さまをもてなせないなんて…」
 どうしましょうと考えるアリッサムに、青年はなら、と申し出る。
「それならば改めて伺いますよ。お屋敷はどちらに?」
「本当ですか!? ならば明日、ここより北東に進むと塀に囲まれた広い敷地がありますのでお越しください。いささか素朴なところですけれど、花畑は綺麗なのですよ。あなたの主人にも描いて見せてあげてくださいな」
 外に出られないという青年の主人をも気に掛ける彼女に、ますます青年は好感をもったのだった。
 ありがとうございます、とお礼をいう青年を見ていて、ふと思い出す。
「あ、そういえばわたくし、まだあなたのお名前を伺っていませんでした」
 始めに聴くべきことをこんなにも後に尋ねたにも関わらず、青年は穏やかな笑みのまま名乗った。
「ラナ、と申します」
「ではラナ、明日の朝にお屋敷で待っていますわ」
 手を振って去っていく少女に応えラナも手を振り、やがて姿が見えなくなると、新しいキャンバスを取り出して、再び絵を書き始めた。


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