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The Dolce Earth
永遠の葡萄酒色 1

 人は一生のうち、いくつ嘘をつくのだろうか。
 そのうちのいくつが、他人にばれるものだろうか。

 そして――
 たったひとつの嘘を隠し通さなければいけない世界で、人は自分の寿命がくるまで生き抜くことができるのだろうか。

 そう。嘘が相手に知られた者は消滅してしまう、そんな残酷な世界で――


***


 昔々、神様はひとりの人間を好いていた。
 神様はある日彼女に『好きだ』告げました。
 彼女は神様からの愛に応えられるような恋心は持っていないことに悩みましたが、相手が神様だったので、自分も『好きです』と嘘をつきました。

 神様は大いに喜び、彼女にたくさんの愛を捧げることにしました。
 彼女はそんな神様に日に日に惹かれていき、やがて彼女は嘘だったのに『好きです』と返したことを後悔しました。
 だから彼女は、改めて神様に正直な気持ちを告げることにしました。

 しかし、心ない人間が、彼女があの日告げた『好きです』という言葉は嘘だったことをばらしました。
 神様は怒り狂い、彼女の本心を知らないまま彼女を消滅させてしまいました。
 その後、彼女の本心を知った神様は、大いに悲しみました。
 何が真実かわからないことが怖くなり、まわりの者を信じることができなくなってしまいました。
 そして、神様の悲しみと怒りと恐怖は、嘘を吐く者に呪いとなって降り掛かることになったのです。

 一生つき続けなければならないひとつの“嘘”がばれたとき、消滅してしまうという呪いが――


***

「ま、つまりは嘘なんかつくもんじゃない、ってことなんだろうけどなー」
「あらあら、難しいことを言うのねえ、アーレイ」
「だってよ、ばーさん。ただでさえ寿命で死ぬなんざ難しい世界なんだぜ? 魔物だっているし、病気だって流行るし。その上、神様からの“呪い”だなんてよ。嘘なんざついてる場合じゃねえって思わずにはいられないだろ」

 地元の自警団に所属するアーレイ・リゼブルクは、担当区域の見回りのついでに、オレイユ・グロースの屋敷を訪れていた。
 オレイユの屋敷の客間にて椅子に座り、茶色の髪をわしゃわしゃと掻き、青い瞳をしぱしぱとさせながら、アーレイは見回りの報告書を書き上げている。
 そのアーレイのテーブル挟んだ向かい側には、皺をきざみながら穏やかな笑みを浮かべる、車椅子の老婆の姿。その耳は先が尖っていて、人間のそれとは違っていた。
 ハイエルフという長命の種族で、どこか気品のあるこの老婆こそがオレイユである。

 2人が初めて会ったのは、数ヶ月前。
 アーレイの住む町は、ハイエルフの種族が暮らす町と隣同士であり、国でも珍しい人間とハイエルフが共存する町であった。
 オレイユは食事の用意を車椅子を器用に動かしながら自分でしているため、その日も町に出ていたのである。
 いつも通っている商店まで車椅子を動かしていたとき、不注意で段差を確認できず、車椅子ごと転倒するのではないかということがあった。
 そのとき、偶々見回りで近くにいたアーレイが、間一髪でオレイユの身体を支えのである。

 アーレイにとっては、転倒しかけた老婆がいたということより、その後オレイユが放った『こんな素敵な殿方に助けてもらえるなんて、私もまだまだいけるわね』という言葉のほうがよっぽど印象に残ったのだが。

 それからアーレイは危ないからと、オレイユが出かけるのを見かけた際には傍につくことにしている。また、時々こうしてオレイユがお礼だとして、お茶を出すようになったのだった。
 今ではこうして茶飲み友達のように世間話や昔話に華を咲かせるくらいにはなった。

「ま、いっか。んじゃ、そろそろ行くとしますかね。これここに置いとくからな、ばーさん」
 お茶を飲み干し、書類を整えると、アーレイは紙袋に入れて持ってきていた白く小さな花弁を束ねるように咲く花を取り出した。
「まあ……きれいな花だこと」
「なんて名前の花かはわかんねーけど、きれいだったから持ってきた」
「ふふ……いつもありがとうね、アーレイ」
「どってことないさ。あ、これうちの団長からの手紙だ。今日のうちにちょっと目を通してくれよ。明日詳しいこと改めて話すからさ。じゃーな、ばーさん」
 紙袋の横に、自警団の団長からオレイユ宛てにと預かっていた手紙を添えておき、アーレイは屋敷を後にした。


***


「お、アーレイ」
 自警団支部の寮に付くと、同じ担当区域に所属する、親友のイルザックが玄関で出迎えてくれた。
「オレイユばあさんのところに行ってたのか?」
「おう。こないだとってきた花あっただろ? あれ渡してきた」
 アーレイがオレイユの屋敷を訪れるのは最早日課のようになっていたので、イルザックも最近では『どこに行ってたんだ』とは訊かなくなっている。『案外おばあちゃんっ子だな』とからかわれることはあるが。
 それにしても、とイルザックは切り出す。
「あのばあさんも不思議だよな。昔はハイエルフの一族の中でもご令嬢って身分だったんだろう? なのに、ハイエルフの町からもこの町からも少し距離があるところにある屋敷に1人で住んでるなんてさ」
 実際、あの屋敷は1人で住むには広すぎる。そんなところで、車椅子のオレイユは自分でやりくりしながら生活しているのだ。
「本当にな……噂じゃ、人間と恋に落ちて、恋人と暮らすために建てた家なんじゃないかって話だぜ」
 アーレイが聞いた話では、オレイユには昔――ハイエルフにとっての昔がどれ程前なのかわからないが――この町出身の人間の恋人がいたということである。
「あのずっと持ってる葡萄酒色の鞄は、その恋人に貰った奴なんだってな。いつまでも手に大事に持ってるなんて、泣かす話じゃあないか。そう思わないか、イルザック」
 オレイユはいつもその手に葡萄酒色の鞄を抱えていた。時々愛しそうに鞄を撫でており、その恋人を想っているのではないかと思う。
「でもさ、恋人って見たことねーし、子どももいないんだよな。ってことは……」

 ――ずっとずっと、大切に抱えてきたのであろう葡萄酒色の鞄。
 ――しかし、結婚していたという話も、子どももいたという話も聞かない。

「……死んじまったのか、あの鞄の贈り主。オレイユばあさんと結ばれる前に」
 この国は昔、隣国との衝突が絶えなかった。もしかしたら、その戦に巻き込まれてしまったのか。

 ――あるいは“嘘”がばれて、消えてしまったのか。

 やっぱり嘘なんかつくものではない、とアーレイは髪の毛を掻き上げるふりをして、右目を手のひらで覆った。途端に、世界は闇色に染められる。

 ――これが、アーレイの“嘘”。

 アーレイは生まれつき左目が見えていなかったわけではない。その視力は年を経るごとに徐々に衰えていき、今ではわずかな光しか感知することができなくなった。
 そしてある日、“その声”は落ちてきた。

 ――左目が見えるという嘘をつき続けろ、と。

 まわりを心配させたくなくて、嘘ではなく黙っていたことではあったが、どうやら神様には隠し事を嘘と捉えられたようだ。
 アーレイはそれを生涯の“嘘”と運命付けられたのである。
 すでに自警団に所属していたが、左目が見えないことは、戦士として戦うには向かないだろう。
 幸いアーレイはイルザックのような剣士ではなく、裏方で援護するタイプであったため、左目のことはあまり気にせず行動することができた。
 様々な理由づけをして自警団を抜けることも考えたが、嘘を重ねて生きていくより、このたったひとつの嘘だけを突き通すことをアーレイは選んだのだ。
 後悔がより少なく、自分が満足して生きられる場所を選択した。

 ――嘘が本当になるまで、生きたい、と思う。

 しんみりとしてしまった空気を払うように、アーレイは手を下ろす。イルザックも苦笑し、別の話題に切り替えることにした。“嘘”の話題は、人々の間では暗黙の了解でしないようになっている。
「……そういえば、あの話ばあさんにしたのか?」
「いや……明日改めて話をしにいくつもりだよ。お前を連れてかなきゃならないし。今日は団長から預かってた手紙を渡してきた」

 最近、この町を騒がせているならず者たちがいる。通り魔的な犯行で、死者も出た。おかげで、住民たちはいつ自分に災いがおこってくるのだろうかと、怯えながら暮らしていた。
 旅人に対し異常なほど警戒を見せ、得意先以外は店に入れない商人も出てきたくらいだ。
 この町で自警団をしているアーレイたちにとって、住民から情報をなかなか聞き出せなくなったこの状況は痛い。しかも、犯人を捕まえることができない状況が長引けば長引くほど、住民からの信頼は失われていくだろう。

 そんな中で、車椅子を使用しているオレイユは、もし犯人に襲われたとき、逃げることもままならないだろう、という話があった。人員も割くことも難しいため、それならばと、交流のあるアーレイと、彼とコンビを組むイルザックがオレイユの護衛をすることになったのだった。



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