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短編倉庫
無花果のような





忍を目指すならば心を殺せと誰かが言った。







しかし心を殺してはお前を愛せない

されど心を生かせば夢には届かない









だから俺は全てを隠すのだ。



















「文次郎、唇荒れてるよ」

会計の予算について話し合っている合間、伊作の指摘に文次郎は自分の唇に手を当てた。がさがさしていて一部皮がめくれてきている。

「あぁ、剥いちゃ駄目だよ。もっと荒れちゃう。ちょっと待って、たしかこの間つくったのが…」

伊作は取り出した軟膏のようなものを指で掬うと、そのまま文次郎の唇に塗りつけた。
ぬるぬると荒れた唇に指が滑る感触がなんとも言えずくすぐったい。

「――何塗りつけやがったんだ?」

「ああっ、ちょっと舐めちゃ駄目だよ!せっかく塗ったのに…ほら、もう一回塗ってやるから」

もう一度、唇の上を指が滑る。

伊作の指はきれいだ。細くて荒れていないという意味でもあるが、他の六年生のように傷跡やタコがあったり皮膚が分厚くなっていない。だから文次郎の唇に傷をつけずに薬を塗りつけられるのだろう。

ああ、でもそれは同室の友人も同じだなと思考の端で文次郎は考える。
そして、きっとこういうのは伊作と同室のあいつには無理だと犬猿の仲と謳われる男の顔を浮かべた。

あいつの手はそれこそ皮膚も分厚いし、道具を扱うからタコも多い。寒いなかで壁の補修をしているから手なんか荒れ放題でガサガサだ。あかぎれもひどいだろう。

ならば、あいつもこんな風に伊作に薬を塗ってもらっているのだろうか?

不器用でがさつな俺なんかと違って繊細なこいつの手に包んでもらうように優しく、丁寧に。


「文次郎!」

「…あ、あぁ…すまん。何だ?」

「これは荒れを防ぐための塗り薬だよ。一応作りおきはあるけど、文次郎は無意識に唇舐める癖があるからね。うっかり舐めとったりしないように意識してくれよ」

「はぁ…」

「あと、手も荒れてるみたいだからこっちにも薬塗るよ。寒い時期なんだから、あまり冷たい水に体を突っ込まないように。いいかい?」

「わーったよ」

そんなことで鍛練ができるか、と思ったがそんなことを言っていたらきりがない。むしろ説教で10倍返しにされてしまう。

「世話になったな」

「あまり怪我しないようにね」

「…善処する」

保証はできないが。

苦く笑って襖を開けると、そこに留三郎が立っていて驚いた。

「やあ、留さん。どうしたの?」

「……や、その…悪ぃ、帰る」

「え?あれ、留さん?」

ぎこちない笑みを浮かべて留三郎は踵を返し、どこぞへと姿を消した。

「………あいつの部屋、ここだよな?」

「まごうこと無く」

ならば、留三郎は何処に行ったのだろうか?











弱い俺はお前のためと言い訳しながらこの恋しい気持ちを仕舞い込む。

強いお前は夢のために愛しい気持ちまでも内側に隠し込んで見せまいとする。












「あーあ…」

留三郎は額を手で覆い、自己嫌悪に陥っていた。

少し前、珍しく委員会が早めに終わったので長屋に戻ってみると障子の向こうから文次郎と伊作の声が聞こえてきて手を止めた。

(何で部屋に入れてんだよ…)

うんざりと口には出さない呟きの反面、心臓が動きを早めている。
さて、どんな風にして部屋に入っていこうか。できればあまりケンカ腰にならず、ぶっきらぼうでも言葉を交わせれば満点だ。

留三郎は中の様子を窺うために障子を細く開いて中を覗き、はっと息を呑んだ。

伊作が文次郎の唇に薬を塗っていた。

こちらに背を向けて座っている伊作の指が、大人しくしている文次郎の唇を優しく滑る。こちらを向いて座る文次郎は伏し目がちに薬を塗りつける伊作の指を見つめていた。

その光景があまりにも穏やかでどことなく艶っぽく思えながら、頭の隅では今すぐその指を彼の唇から引き離してやりたいという衝動に駆られていた。

そして、気づいたら内側から障子が開かれていて…当然隠れる暇もなく、その無様な姿を晒すことになってしまった。

(馬鹿だなぁ…伊作はただ保健委員長として文次郎の治療をしていただけで、唇を治療されてるんだから文次郎は見つめるしかなかっただけで、それなのに、俺は、伊作に、)

情けない。恥ずかしい。親友に嫉妬した自分を殴りたくて仕方がなかった。

「……もんじろー…」

「おう」

鼻をすすりながら恋しい人の名を呼べば、すぐ後ろから返事が聞こえた。

「…………え」

「こんなところに居やがったか。自分の部屋の前で『帰る』なんて言いやがるから遂に土にでも還るのかと」

憎まれ口を叩きながら文次郎が隣の少し小さい岩に座る。

「おい、さっきはどうしたんだ?忍者たる者他者に動揺を悟らせては…」

「なあ」

「あ?」

留三郎の方が大きな岩にうずくまっているため、文次郎は自然と留三郎を見上げるかたちになる。
その唇に目がいった。
薬を塗りつけられたせいか、濡れたようになっているそれは荒れているせいもあって紅いまま艶を得ていた。
それが赤い果実のようで。

「とめさぶ、ろ…」

その少しばかり低い位置にある唇をそっと食むように口づける。
表面にあるぬるついたものはきっと先程、伊作に塗りつけてもらっていた薬だろう。
口づけを邪魔されているようで、その味に眉を潜めながらすべて舐めとる。そして深く唇を合わせ、舌を絡めるのだ。

舌に残った薬の味に文次郎が眉を寄せた。吸いとってやろうとその舌を吸ってやると、愛しい恋人は腕の中でビクビクと震える。

ようやくその口を解放すると、ぷつりと切れた糸が端に零れて彼の口元に筋をつくった。
それをちゅっと音をたてて吸い、舐めてやるとようやく正気に戻ったのか、俺の頭をどつく。

「痛てぇ」

「ななな、な、何をいきなりっ…」

「したかったから、した」

駄目だった?と尋ねれば目を逸らしてぶっきらぼうに、別に、と返される。ただそれだけで胸の内が温かくなった。

「っつーか…また伊作に薬貰わなきゃいけなくなっただろ…」

「いいじゃん。部屋に寄っていけよ」

次は俺が塗ってやるから、と囁くと今度は脇腹を肘でどつかれた。
何気に力強くて、かなり痛い。

「てっ、テメェだけにやらせねぇぞ。そんなガサガサの手しやがって…俺にもやらせろ」

「え」

それって、それって。
もしかして…

「え、え、」

「〜〜〜しつこい!黙れ!帰る!!」

とか言いながら文次郎はしっかり俺の手を握って歩き出した。





愛しく思う気持ちがひたすら心で咲いては消える。






ああ、俺たちは無花果のようだ








留三郎は顔を染めて俯きがちに歩く文次郎に引っ張られながら、薄曇りの空を見上げて幸せそうに笑った。










無花果は実の中で花を咲かせるため花を拝むことがないそうですねって話。

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あきゅろす。
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