短編倉庫
いといとし
いつも通りアヒルさんボートの修理をしているとき、ふと首筋に視線を感じた。
振り返ることはせず、気配を探ってその視線の主が俺の恋人であることを特定する。と、同時に安堵と愛しさが込み上げた。
周りの目さえなければこの手に持つ工具を放り出して今すぐにでも彼の元に飛んでいきたいくらいだ。それほどに俺は文次郎に惚れている。
あいつは嫌がるが、俺としてはもっと一緒に居たいのだ。
ケンカも嫌いじゃないが、もっと、こう、仙蔵くらいとは言わないが隣に立っていたいし、休日は一緒に町に出掛けたいし、そーゆーこともしたい。
していないわけではないが、頻度を増やしたいのだ。
恋をすると欲張りになるとよく言ったものだ。
幾ら望みを叶えようと、もっともっと欲しくなってしまうのだから。
…と、気づくと気配をすぐ傍に感じた。
慌てて身を翻せば間近に迫った恋人が物言わぬまま立っている。
「っわ!吃驚した!脅かすんじゃねーよ!」
「忍者たるもの常に周りに気を張っとらんか、バカタレ」
そう言うと文次郎は俺の唇をぐにっと摘まんで、あろうことか引っ張った。
「ひィーーーーーーてててててて!!んにゃ疲にぇにゅことんにゅむぁにぇもにぇににゅか!むぁにゃせ!」
放されるとヒリヒリとした痛みと奴の指の感触がまだ生々しく残っていて心臓がどんどんと乱れ打つ。
「そうやって怠慢にしているからお前は鍛練が足りんのだ。今度一緒に鍛練するか?」
「喜んで!」
自分でも予想だにしない速度で返答すると、文次郎は驚いたように2、3回瞬いて「そうか」とだけ返し、立ち去ろうとした。
おいおい、いくらなんでもそっけなさ過ぎやしねえか。
「…おい文次郎、忘れもんだぞ」
「あ?」
素早く辺りに人気がないことを確認すると、その分厚い唇に一瞬だけ俺の唇を重ねた。
「………………」
呆然と、しかし眉間のシワを濃くした文次郎が俺を凝視している。拳を固く握るのが視界の端に映り、心の準備をして受け身の体勢を取った。
覚悟はしていたが、これはかなり強く殴られーーーーーー……ない?
「…………な、殴らねぇの?」
いつまでたっても文次郎の拳が俺の体に降ってくることは無かった。
「殴られたいのか?」
「…遠慮しときます」
何だ、奇跡か?
外で文次郎に迫っても殴られないなんて、今までにあっただろうか。
「……お前に、欲張られるのは、嫌いじゃねぇからな」
思考を巡らせていると、文次郎の口からぼそりとそんな言葉が転がり出た。
「…へっ?」
思わず聞き返した俺を残し、文次郎は素早くその場から消えてしまった。
残ったのは、唇に残る痛みと感触だけだ。
【おkm】
「………」
彼は自分の手を見つめていた。
(……あいつの唇、)
そっと自分の唇をなぞり、その指に残る感触と自分のそれを比べる。
(やっぱり柔らかいな…)
頭上には雷をはらんだ黒い雨雲がゴロゴロと近づいてきている。
じきに嵐になるのだろう。
end.
ついったーにて喜助さんと盛り上がったネタ。見たいな〜と言って下さったので夜中のテンションで一発書きしたのを翌朝にリプしてお返ししたものを追加変更したものがこれになります。
喜助さんありがとうございました〜!
いといとし(いと愛し)
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