短編倉庫
気の無いふりして
人間、ひとつの事に没頭しているときは何事にも怠惰になることがある。
「文次郎、饅頭食うか?」
「んー」
「膝枕してくれるか?」
「んー」
「あーんしてやろうか?」
「んー」
「はいあーん」
「んー」
「美味いか?」
「んー」
「饅頭好きだもんな」
「んー」
「俺のこと好き?」
「別に?」
本から顔を上げてその問いを切り捨てる。
「何っ!でっ!そこだけ普通に返すんだよっ!!」
留三郎がガックリと畳に伏して拳を打ち付ける。
「さっきからお前は何がしてぇんだよ」
「いちゃいちゃしたいです」
「んー」
「っておい!」
その休日、留三郎は文次郎の部屋を訪ねていた。
饅頭を食べたり茶を飲んだりしてささやかながら穏やかで甘い休日を過ごそうと思っていたのだ。
しかし、愛しい彼の視線の先には図書館への返却が明日に迫ったという先客(本)が腰を据えていたのだった。
「くそー、本なんかまた借りればいいじゃねーかよー。構えー俺をかーまえー」
「んー」
いくら大人げなくじたばたしたり駄々をこねて見せても愛しい恋人は本の虜だ。自分は全く相手にされていない。
こんなにも傍にいるのに彼の意識は本の世界の奥底にいる。
何とかして呼び戻す方法は無いものか。
「もんじろー」
「んー」
「好きだ」
「んー」
「愛してる」
「んー」
「お前のためなら何でもしてやる」
「じゃあ黙れ」
釘を刺されてしまった。
いつもならば真っ赤になって怒鳴るくらいはするだろうに、よほど興味深い本なのだろうか。
彼の視線を独り占めできるのなら自分は今あの本にだってなりたいとさえ思ってしまう。
本に嫉妬、だなんて。
他の奴等に知れたら笑い飛ばすを越えて「けまち悪い」と口を揃えて言われてしまいそうである。
「茶ぁ飲むか?」
「んー」
「あぁ〜でも本読んでんだったら飲めねぇよなぁ」
「んー」
「いらねぇか?」
「んー」
全く効果無し。
本気で寂しくなってきた。
本を取り上げて押し倒してやろうかという物騒なことを企て始めたとき、目の前でほかほかと湯気を立てている茶の入った湯飲みを見てあることを思い付いた。
「文次郎」
「んー」
とんとん、と文次郎の肩を叩く。やはり彼は振り返ることはおろかまともに反応を返さないがそれは想定済みだ。
ならば。
留三郎は文次郎の顎に手を添えると、ぐるん、と無理矢理顔を自分の方に向けさせた。そして彼の唇に自分のそれを重ねる。
「―――っ!?!?!?」
驚いて引きかけた頭を押さえつけ、空いている手で彼の両手から本を取り上げると机に伏せて置いた。
「…ン……ふ…――――ッ!?」
口づけをより深いものにしたとき、文次郎は留三郎の口から流れ込んできたものに驚いて彼の体を突き飛ばした。飲み込みきれなかった液体が気管に入って噎せる。
「―――っいきなり何をするんだバカタレィッ!」
「だ、大成功〜」
「何が大成功だ、怪しいものを飲ませおって!一体何を飲ませたんだ!?」
「いてて、大したもんじゃねぇよ!茶だ、茶!!」
「茶だと!?」
「饅頭の後は茶でも飲みたくなるだろーが!!」
「だったら普通に渡さんか!」
「だってお前相手にしてくんないんだもん!これなら茶は飲めるし俺も嬉しいし、一石二鳥だろ!?」
「最優先事項の読書ができんわ!」
「俺といるより本がいいのかよ!」
「お前がいるからいいんだよ!」
発してしまった後に文次郎がハッとして口を塞いだがもう遅い。
「………俺がいるからって?」
「っお、前がいるから、安心して本が読めるんだよ…言わせるな、バカタレ」
文次郎は警戒心が強い。そのため少しの足音でもしようものならば条件反射で外の気配を探ってしまい、落ち着いて本を読むことができず結果的に延滞してしまうのだ。
「文次郎…」
まさか、さりげなく自分を頼っていたなんて。
真っ赤になった甘え下手な恋人に愛しさが込み上げる。
「大体、お前こそ書物に嫉妬するなんて情けない!もう少し辛抱というものをだな…って聞かんか!」
「あーはいはい」
「この…!」
「好きだぜ、文次郎」
柔らかい頬を包み込むように手を添えて笑顔を向ければ、文次郎は物言いたげに口を開閉させた後に諦めたように目を閉じる。
その唇にキスが落とされるまで、大して時間はかからなかった。
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