先憂後楽ブルース
003
「これ、何デスか?」
机の上に放置気味だったジーン持参の皿に興味を示すゼゼ。ジーンは皿の上にかぶせてあった、てきとうな形の蓋をはずした。
「僕が作ったお粥だよ。やっぱり熱が出た時はこれでしょ」
皿からぶわっと湯気が溢れ出す。その食欲そそる汁粥にリーヤは感嘆していた。
「すごい、ジーン料理出来るんだ」
「料理ってほどのものじゃないよ」
謙虚な彼はそう言うが、もちろん尊敬の念は消えない。今まではゼゼに任せっきりだったので、てっきり炊事など出来ないと思い込んでいた。
「クロエ、朝から何も食べてないから」
ジーンから皿を受け取ったゼゼはスプーンで粥を掬い、クロエの口元へ運んだ。
「はい、あーん」
「いらねえ」
ふい、とそっぽを向いてジーンの手作り粥を拒絶するクロエ。困った顔になるゼゼから、ちょっとかしてねとジーンが皿を受け取りリーヤに差し出した。
「クロエに食べさせてあげて」
「え、え…何で俺?」
「リーヤがやってくれたら、食べるよ」
ジーンに促され半信半疑ながらも、熱々の粥をクロエの口元へ。けれど彼は堅く閉じた口を開こうとしない。
「いらねえよ、誰が持ってこようと同じだっての」
食欲がすっかり失せているらしいクロエは、食べ物を一切受け付けようとしなかった。そんな弟を見かねてジーンは再び皿を手にし、スプーンで粥をたっぷりと掬った。
「ほら、食いなよ」
「だからいらねえっ…あちっ、熱い!」
スプーンがガツっと顎に激突し粥が口周りに散乱したクロエは、あまりの熱さに身体のだるさも忘れてのたうち回った。
「なにしやがんだテメェ! 火傷すんだろうが!」
「だってクロエが食べないから」
悪びれる様子もないジーンは箱からティッシュを取り出し、米粒が飛び散った場所を丁寧に拭く。その姿はまるで甲斐甲斐しい母親だ。
「ジーンの言うとおり何か食べないと駄目だよクロエ。何でもいいから食べたいもの言ってみて」
「だからいらねえって!」
すっかりお冠となったクロエはリーヤにさえ怒鳴る始末。挙げ句の果てにかぶっていた毛布に頭から潜り込んでしまった。
「あらあら、こりゃ大変だ」
「ゼゼ、なにか精がつくもの買ってきマース!」
気合い十分で立ち上がった彼女は俺達が何か言う前に、走ってドアから飛び出してしまった。
「…行っちゃった」
「あー…、買い物はゼゼに任せよう。リーヤ、悪いんだけどクロエの看病してくれないかな」
思いがけないジーンのご指名に、リーヤは快くうなずいた。
「俺でいいの?」
「うん。リーヤが看てくれたら、きっとクロエもすぐによくなるよ」
にっこりと微笑むジーンの言葉に、リーヤはつい嬉しくなって照れてしまう。けれど椅子に座りながら話を聞いていたエクトルは、それを快くは思わなかった。
「駄目だよ! リーヤは今から俺と一緒に遊ぶんだから!」
寄ってきたエクトルにぐいっと腕をとられバランスが崩れる。今までこちらを気にもしていなかったくせに、遊び相手がいなくなるとわかった瞬間これだ。
「リーヤ、兄ちゃんはほっといて俺と一緒にネットサーフィンしよう!」
「…エクトル、ネットサーフィンは1人でやりなよ」
ジーンの呆れたような口調に、むっと口をへの字に曲げるエクトル。怒った顔のまますくっと立ち上がると、捨て台詞を吐いて部屋から出ていってしまった。
「い、いいの? エクトルほっといて」
「かまわないよ。いつものことなんだから」
ちらちらとエクトルを気にするリーヤに、ジーンはきっぱりとそう言った。駄々っ子は無視、というのが長男の信条らしい。
「看病って、俺なにすればいいかな」
「ああ、リーヤはただ横に座ってるだけでいいんだ」
「え、それだけ?」
「うん。今カマがお医者さんを呼びに行ってるから、それまでの間よろしくね」
ジーンはそう言うとクロエが口にしなかったお粥をぱくぱく食べ始める。リーヤの視線を感じたのか、いつもの優しい笑みを見せた。
「リーヤも食べる? まだ鍋にたくさんあるよ。もし冷えてたら僕の部屋に電子レンジあるから、それであっためて」
「いや…俺はいいよ」
なぜ個人の部屋に電子レンジが、と思ったが何も言わないでおいた。この家の人たちは元から少々ズレている。だからそんなの今さらだ。
「本当はね、今日からクロエに夏休みの宿題やらせようと思ってたんだ」
「宿題……ってアレ?」
ジーンの目線をたどったその先には分厚い本や大量の紙の束が。この部屋はいつもゼゼが来るまで片付いていないので、あまり気にはしていなかったのだが。
「そうだよ。クロエ毎年宿題に手もつけないんだもん。でももう高校生になったんだし、今年からは宿題はやらせなきゃって時にまさかの発熱。あーあ、なんて都合のいい身体なんだろう」
「好きで…なってるわけじゃ、ねえっ」
話を聞いていたらしいクロエが荒い息でジーンに噛みついた。 ジーンはそんな弟を見てリーヤに目配せすると、首を横に振りながら大げさに肩をすくめた。
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