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先憂後楽ブルース
綺麗な花には棘がある


「入るぞ、ハリエット」

断りを入れたダヴィットは返事を待たずにドアを開け、ずかずかと部屋に入った。すぐさま彼の後を追った俺の目に、1人の女性が飛び込んでくる。

「殿下!」

長椅子に座っていたらしい女の人は慌てて立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。もしかしなくとも彼女がハリエット・フラムだろう。俺は初めて見る彼女の姿を穴があくほど見つめてしまった。
第一印象のハリエット・フラムは年齢よりもずっと大人びていて、けれどどこかふわふわした雰囲気を持つ人だった。ゆるくウェーブのかかった長い髪は耳下サイドで結ばれ、髪と同じ色をした銀色の目が困惑したように揺れている。俺としてはダーリンさんの方が好みだが、小さい顔に大きな瞳のとても綺麗な女性だ。残念ながら眼鏡はかけていない。

「本当に、申し訳ありません!」

彼女は開口一番にダヴィットに謝り深く頭を下げた。ミュージカルの主役でもはれそうな、伸びやかで透き通った声だった。

「殿下が、グッド委員長に呼ばれたと聞きました。私のせいで委員会の殿下に対する心象を悪くしてしまい──」

「ハリエット」

「──ひいてはこれからの委員会会議で…あ、はいっ」

ダヴィットはハリエットさんの謝罪を無理やり止めさせると、俺の腕をとった。

「彼はアウトサイダーの垣ノ内リーヤ。お前に話があるそうだぞ。挨拶を」

ゆっくり頭を上げたハリエットさんは、ダヴィットの言葉にすばやく直立不動の体勢をとり、俺に小さく頭を下げた。

「初めまして、アウトサイダー様。私はダヴィット殿下の特別補佐官、ハリエット・フラムと申します」

「─あ、垣ノ内リーヤです。よろしく」

緊張でつたない挨拶しか出来なかった俺に、ハリエットさんは笑顔を見せた。笑うとさらに顔の小ささが引き立つ。年下だから、くだけた言葉でもいいかなと悩む俺の横でダヴィットが一歩前に出た。

「それからハリエット、今回のことは気にするな。お前が悪い訳じゃない。私も迷惑だなんて思っていないからな」

「…はい! ありがとうございます殿下!」

ダヴィットの励ましに目を丸くしたハリエットさんは、再び深く深く頭を下げた。ダヴィットは満足そうに微笑むと俺とハリエットさんを交互に見つめる。

「それでは私はこれで失礼させてもらう。後はお前達で」

「え、ダヴィット行っちゃうの?」

「私も暇じゃないからな」

不安な表情が隠せない俺の肩を励ますように叩いて、ダヴィットとジローさんは出ていってしまい、残された俺はフィースと2人きりになった時以上に緊張していた。

「カキノーチ様、ですか?」

けれどハリエットさんはかなり社交的なタイプのようで、彼女の方から話しかけてくれた。

「いや、垣ノ内、垣ノ内リーヤ」

「カキノーチ…様」

発音が難しいのか彼女は俺の名字をつぶやき考え込んでいた。

「様付けなんてしなくていいよ。敬語とかもいらないし」

「本当に? じゃあ、カキノーチね」

ハリエットさんがあまりにあっさりそう言うので、俺はちょっとびっくりしてしまった。

「どうしたの?」

「…いや、やけに簡単に敬語をやめてくれたなと思って。他の人はなかなか聞いてくれなくて」

「あら、だって敬語使われたくないんでしょう?」

おかしそうに首を傾けるハリエットさんは、立ったまま肩をすくめた。

「私のこともハリエットって呼んで。その方がきっと親しくなれるもの」

「う、うん」

そう愛想良く笑う彼女は俺が想像していたどんな人物像とも違っていた。確かイルは彼女のことを委員長タイプだと言っていたが、そんな気が強そうな人にはとても見えない。

「あのね、カキノーチ。私まだ昼食を食べ終えていないの。…話は食事をしながらでもいいかしら?」

ハリエットの意味深な視線の先はテーブルで、その上には食べかけの美味しそうな料理が乗っていた。恐らく食事中だったのだろう。

「もちろん、どうぞ」

「ありがとう。もうお腹ペコペコ。よければカキノーチも一緒にどう?」

「いや、俺は遠慮しとく。特にお腹すいてないし」

ドカッと椅子に腰をおろした俺とは対照的に、ハリエットは流れるような動きで俺の向かい側に座る。その姿はおしとやかで気品が溢れていた。

「……やっぱ、女の子がいいよなぁ」

「え?」

「な、何でもない」

つい思ったことを口にしてしまった。先ほど男にほだされたばかりの俺だが、女の子を見ると可愛いと思うし意識してしまう。よし、大丈夫。俺はまだ正常だ。

「お待たせしてごめんなさいね。今までグッド・ジュニアのところにいたの?」

「うん。ハリエットはフィースを知ってるのか?」

「ええ。彼は同じ学校の先輩だし、色んな意味で有名だから」

有名、か。この目の前の魅力的な女性もフィースにはコロッといってしまうのだろうか。

「グッド・ジュニアは完璧な人だけど、恋人関係だけは頂けないわね。正直どうしてあそこまで人気があるのかわからない」

ハリエットのまともな発言に俺はちょっと驚いた。けれど感心するのはまだ早い。

「ハリエットって、フィースと話したことないだろ」

「え、ええ直接は。どうして知ってるの?」

「フィースは“完璧”じゃないからな」

「?」

ハリエットは眉をよせ顔をしかめたが、フィースと少しでも関わった人間ならわかるだろう。フィースが誰とでもすぐ仲良くなるのは、彼が誰にでも自分の弱みを見せるからだ。

「確かに、そうね。人気がありすぎるのも考え物だわ。男は心に決めた、ただ1人の相手を生涯愛し続けるべきよ。浮気なんて絶対許されないことだもの」

「俺もそう思う」

ものすごい早さで即答した俺にハリエットは目を大きく開いた。これは外国人特有のオーバーなリアクションだ。どうやら彼女はあまり日本人寄りではないらしい。

「あなたは想像していた通りの人ね。少なくとも、第一印象では」

おっとりした口調のハリエットはサラダを口に運ぶため髪をそっとかきあげた。先ほどから女の子らしい仕草が目立つ。

「俺のこと知ってるの?」

「ええ。殿下があなたのことを私によく話して下さるの。カキノーチは殿下に愛されてて、うらやましいわ」

「い、いやぁ…」

困った事にここでも誤解が生まれている。このままじゃ俺は本当にダヴィットと結婚させられてしまうかもしれない。

「それで、お話って?」

ハリエットは朗らかに笑いながら首を少し傾ける。いけないいけない、ここにきた趣旨を忘れるとこだった。

「単刀直入に言わせてもらう」

俺は背筋をピンと張って気合いを入れ直した。彼女はレジスタンスをつぶそうとしている諸悪の根源だ。全然そんな風に見えないけど。

「君が出したレジスタンスの廃止案を、即刻取り下げて欲しいんだ」

「…………」

身を乗り出して頼み込んだ俺にハリエットはこれといった反応を示さなかった。ふわふわした笑顔のまま固まっている。

「ど、どうでしょう」

恐る恐るハリエットの顔色をうかがうが、その瞬間彼女はうつむいてしまい顔が見えなくなった。何なんだこの周りのよどんだ空気は。

「…………はぁ」

どうしようかとおろおろしていた俺の耳にハリエットのため息が聞こえた。な、なんで?!

「終わりだわ。これで全部おしまい」

「……?」

意味深な発言をした後、2度目のため息をつく。彼女の言葉の意味がわからなくて困惑する俺の前で、ハリエットは見たこともないような暗い表情をしていた。


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