先憂後楽ブルース
海のくまさん
ノイに呼ばれた俺とフィースは甲板に向かってノロノロと歩いていた。どうやらお誕生日パーティーの準備が整ったらしい。
「ありがとうございます、リーヤさん。おかげで間に合いました」
今回のサプライズの対象であるフィースに隠れて、ノイが抑揚のある声でこっそり俺に耳打ちしてきた。
「どういたしまして。でも、ずいぶん早かったんだね」
「そりゃあ皆もう急ピッチで用意しましたから」
俺達が小声で話しているのが気になるのか、前を歩くフィースがちらちらとこちらを盗み見ていた。本人は気づかれていないつもりかもしれないが、かなりわかりやすい。何の話? と普通なら聞くのだろうが、無意識に自分は聞いちゃいけいと思ってるみたいだ。
と、その瞬間、
「船長〜!」
と前方から女の人の声が。何事かと思えばシンプルなドレスを着た黒人の女性が走ってくるところだった。彼女はめちゃめちゃ背が高くてスレンダーで、まるでスーパーモデルのような容姿をしている。女の人なのになぜか髪の毛は一本もなくスキンヘッドだった。
「チュニ!」
フィースはその飛びついてきた女性を受け止め、軽く抱きしめる。どうやら名前をチュニというらしい。
「ああフィース、相変わらずいい男! 惚れ惚れしちゃう!」
「ありがとうチュニ。チュニもいつにも増して綺麗だ。それは新しいドレス?」
「そうよ。今日のために新調したの」
「よく似合ってる。チュニはどんな服着てても美人だな」
……なんだこの会話。バカップルかお前らは。
「なあ、ノイ」
「はい?」
2人の世界を邪魔しないよう俺はノイにひそひそ声で問いかけた。
「あの2人、付き合ってんの?」
度を超えた親密さから察して、間違いなくフィースのたくさんいる彼女の1人だろうと思ったが、ノイは迷わず首を横に振った。
「いいえ、チュニは違います。うちのチームには『船長と恋愛をしてはならない』というルールがあるので」
「ええ、マジで?」
なんちゅう規則だ。信じられない。
「あ、そうだ。チュニ」
呆れるやらびっくりするやらで口を半開きにしていた俺にフィースは視線を送ってくる。
「こっちはアウトサイダーのリーヤ・垣ノ内。リーヤ、彼女はうちの舵取り、チュニ・デンバーだ」
フィースが紹介してくれたので俺はチュニにぺこっと頭を下げた。けれど180は軽く越えるであろう身長を持つ彼女は、俺を見下ろし鼻で笑った。
「アウトサイダー? このずんぐりむっくりが?」
「ぬあっ…!」
ずんぐりむっくりって! こっちは太ったの気にしてるってのに。
「おいチュニ、いきなり何言ってんだ」
「気をつけてフィース、どうせコイツも船長の身体が目当てに決まってる」
なんでだよ。いらねえよ。
「ねぇ、こんなの無視して早く行きましょうよ」
「お、おいチュニ!」
彼女はぐいぐいとフィースを引っ張っていってしまい、俺とノイは2人取り残されてしまった。
「ごめんなさいリーヤさん。本当に失礼な人で…」
やつれた顔をしたノイが歩き出したので俺は慌ててついていった。フィース達の姿はもう見えない。
「フィースは本当にモテるんだな。ちょっと納得いかないけど」
ほんの少しショックだったのは内緒だ。俺の微妙なときめきは儚く散ってしまった。
「チュニは面接に来た時からどう見ても船長狙いだったんですけど、腕がよかったんでチームに入れちゃいました。…あ、どうぞ」
「ありがとう」
ノイにハッチを開けてもらい俺は甲板に出た。見上げれば澄み渡る空ではなく灰色の天井がある。
「うおっ…」
驚くべきことに先ほど何もなかったデッキに、いくつもテーブルが用意され美味しそうな料理が並べられていた。船の先端の方には簡易な舞台が用意されていて、何かの発表会みたいになっている。
「誕生日おめでとうございます船長!」
「キャプテンの18歳の誕生日を共に迎えることが出来て…俺は幸せです!」
さっきまで探しても誰もいなかったのに、甲板には30人近くの船員がいた。ほとんどが男でみんな笑顔でフィースを祝っている。中には涙ぐんでいる人までいた。
「みんな…ありがとう! 俺、俺…っ」
先に到着していたフィースは、この素晴らしい光景に号泣していた。男泣きか、フィース。
「もう船長、チームのリーダーがみっともないですよ。ほら、鼻水ふいて」
「だって…ぇぐっ…」
フィースの背中を優しく撫でながらティッシュをわたすノイ。フィースはそれを受け取り、ちーんと豪快に鼻をかんだ。
「うっ、俺…忘れられてると、思ってた…っ」
「…船長、忘れるわけないじゃないですか。あなたへの大量のプレゼントが船長室の場所とってるってのに」
「ううっ〜、ノイ〜ッ!」
「ぐぅえ」
フィースは膝をついてガシッとノイの肩を抱きしめる。感激のあまり船長は力を抜くことを忘れたらしく、ノイはカエルみたいな声を出した。
「誕生日おめでとう、キャプテン! 泣き顔もステキっ」
やっと涙がおさまってきたフィースの頬にチュニがキスをしていた。見ているこっちが照れてしまう。
「みんな、本当にありがとう…。俺なんかのために…」
ごしごしと乱暴に涙をぬぐって、フィースは突然勢い良く立ち上がった。そしてなぜか俺に鋭い視線をぶつけてくる。
「リーヤ!」
「ぅえ?」
急に名前を呼ばれたと思ったら、フィースは俺の腕をつかみ人並みを掻き分けずんずんと歩き出す。訳が分からないまま俺はライトで照らされた舞台の上にのぼらされた。
「みんな、ありがとう! 俺のためにこんな素敵なパーティー準備してくれて。もうめっちゃくちゃ感動した!」
壇上に置かれたスタンドマイクに向かって大声で話すフィース。あまりの音量に頭がきんきんする。
「それから後1つ、いい機会だからみんなに発表しようと思う」
フィースの言葉に沸き立っていたチームメート達は一気にどよめく。船長の隣にいる俺もそれは同じだった。
「聞いてくれ! 紹介する。彼はアウトサイダーのリーヤ・垣ノ内。みんなも新聞や雑誌で見たことあると思う」
ぎゅっと肩を抱くフィースの力がちょっと強くなる。俺はそれを怪訝に思いながらもチームの皆さんに笑顔で頭を下げた。
「今日、俺、フィース・V・グッドは、このリーヤ・垣ノ内を一番目の妻として迎えることに決めた! みんな、よろしく頼むぞ!」
「……………。…ん?」
俺は一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。今年の校内聴力検査では異常なかったのに。だがそんな俺の淡い期待も、チームの男達の反応で露と消え去った。
「おおお、おめでとうございます船長! ついに運命のお相手が決まったんですね!」
「そんな……ああ実は俺、船長のことが──」
「馬鹿! それはご法度だぞ!」
「ドォローガァ!」
ぎゃあぎゃあと思い思いのことを叫び出す船員達。チュニにいたっては訳の分からない外国語で何かを叫び、怒りを露わにしていた。フィースは何てこと言い出すんだ。このままじゃ俺は本当に結婚させられてしまう。
「ちょっとちょっとちょっと」
「どうしたリーヤ」
あっけらかんとしたフィースの態度に俺はほんの少しキレた。いくらいい奴でもやっぱり馬鹿は駄目だ。
「どうしたじゃねえよ! 何涼しい顔してんだ。俺がいつ、お前と結婚したいと言った!」
その瞬間、フィースから笑顔が消えた。
その顔をまともに見てしまった俺は、心臓に冷水をかぶせられたような衝撃を受けてしまい、動けなくなった。フィースが、怒ってる。
「え、なに嫌なの?」
「ひっ…」
そうだ、フィースがあまりにも優しくてスマイルボーイだったから忘れていたが、彼は“恐かった”んだ。元々強面なのに怒った顔なんか絶対見たくない。いや、もしかしたらフィースは別に怒ってないのかも。彼の性格を考えれば短気ではないはずだ。でもこの顔は…
「嫌なら嫌って言えよ」
怒ってるようにしか見えない。
「全然全然全然! 全っ然嫌じゃないっす!」
自己防衛機能が働いた俺は気づくと首を思いっきり横に振っていた。ほとんど意識が飛んでいる状態でだ。
「本当か!?」
「ももも、もちろん! むしろ本望っす。結婚最高!」
ぐっと引きつった笑いを浮かべ親指を突き出す俺をフィースは勢い良く抱きしめた。この時の俺はたぶん恐怖で白目をむいていただろう。
「待って下さい、船長!」
そんな俺達のやりとりを止めたのがノイだ。フィースが俺から手を放しノイを見下ろした。
「なんだ、ノイ。どうしたんだ」
「リーヤさんと結婚なんて、絶対だめです。だって彼は──」
「ちょおっと待ったああ!!」
ノイが話し終える前に何者かが突然乱入してきた。いつもはちょっとしつこい友人であるはずの彼が、今は天使に見えた。
ダヴィットだ。
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