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先憂後楽ブルース
王子様と野獣


「ついたぞ、リーヤ。ここだ」

ダヴィットが、入り口の前に2人の兵士が仁王立ちしているドアの前で立ち止まった。彼はそのドアの取っ手に自ら手をかけ、俺を招き入れる。

その部屋に入った俺が中をざっと見渡しても、普段何のために使われているのかはわからなかった。ここは前に入ったダヴィットの部屋よりも小さく、中央には大きなテーブルと、同じくらい大きなソファーがあった。

ダヴィットが俺の手をひきソファーに座ったので、俺もそのまま腰をおろした。座り心地は最高だった。

「リーヤ、ここでハリエットの用事が終わるのを待ってくれ。いつになるかはわからないが、今日中には必ず」

「ここで?」

別に不満があった訳じゃないが、こんな何もない部屋では暇つぶしも出来ない。レッドタワー探検でもしていた方がなんぼかマシだ。

「そうだ、ダヴィット。今ってさ、もしかしてあの時間帯なんじゃないか」

「あの時間帯?」

「レジスタンスだよ!」

前にダヴィットのお父さんが言ってた。タワー最上階から見るレジスタンスは格別だと。

「俺も1回、タワーん中から見てみたいなー、なんて」

俺はダヴィットの前で手をあわせ、お願いしてみた。ここで油売ってるよりは、かなり有意義な時間が過ごせるのではないか。

「無理だ」

「えっ、なんで?」

なんか今日のダヴィットは、無理とか嫌とか否定的な言葉が多い気がする。言わせてるのは、…俺か。

「知らないのかリーヤ。この時期、公正レジスタンスは行っていない」

「ど、どうして!?」

俺は上半身を前に出し、ダヴィットに詰め寄った。レジスタンスがやってないなんて。まさか廃止案の影響がすでに侵食してるんじゃないだろうな。

「7月中は、法律で2時間以上の外出を禁止しているからだ。タワー敷地内は別だが、連中がここに来るまでの所要時間を考えれば、レジスタンス停止は自然なことだ」

「外出禁止? なんでさ」

ダヴィットは難しい顔をして、純粋な質問をした俺をまじまじと見つめた。

「気温が高いからに決まってるだろう。長時間、地上に出ることは自殺行為だ。日傘と冷却コートでもないかぎりな」

何を今さら当たり前のことを、みたいな言い方だった。ダヴィット達にとっては当然のことなのかもしれないが、俺には違う。

「え、今って外に出れないの?」

「2時間以上はな。ちなみに8月中は“地上封鎖”が法律で決められていて、一般人が地下から出ることは一切許されない」

「マジかよ…」

いくら暑いからって、それはやりすぎなんじゃないだろうか。いやでも、ここにきた時の暑さは半端じゃなかった。やはり必要な処置なのだろうか。

「だからリーヤ、7月と8月はレジスタンス活動は停止になる。観戦するのは不可能だ」

「そっかー…、残念だな」

俺ががっかりして肩を落とすと、ダヴィットがにっこり微笑んだ。

「いいじゃないかリーヤ。ハリエットが来るまでここでゆっくり過ごそう。2人で」

「2人でって…」

お前の後ろにおもいっくそジローさんがいるんですけど。見えてないのかダヴィット。

「リーヤ、やっと2人っきりになれたな…」

「いやなってないだろ。後ろ見ろ、後ろ!」

ダヴィットが距離をつめてきたので、俺は慌てて後ずさる。けれどダヴィットの左手で腰を、右手で顎をつかまれてしまい、これ以上下がることが出来なくなってしまった。

「リーヤ…! 私はもうこれ以上我慢できない」

「はあ!?」

気づいたときには、すでに組みしかれている俺の体。いつの間にか両手をかっちりつかまれている。

「ちょちょちょ、ちょっと待て! お前何する気だよ、放せ!」

久しぶりのピンチに焦る俺を見下ろすダヴィットの顔は真剣だ。俺はソファーの上で必死の抵抗を続けていた。

「なあ、いったん落ち着けってダヴィット! お前だって忙しいだろ? こんなとこで俺にかまってる暇なんかないだろ?」

「外の兵に、ここには誰も入れないように言っておいた。邪魔は入らない」

ぎゅっと俺の手首をつかむ力が強くなる。俺は本格的に危険を感じた。

「やだ…ダヴィット、どけよ!」

顔が近づいてきたかと思えば、首もとに熱を感じた。ほんのちょっとの痛みと一緒に。

「そんなとこに口っ……もーやだっ、助けてジローさん!」

ダヴィットに言っても無駄だと悟った俺は、前方にいる助け舟に手を伸ばした。ヤバいとこまでいっちゃってるダヴィットを止めるには、もはや彼に頼るしかない。
けれど俺の最後の頼みの綱だったジローさんは、ものすごくすまなそうな顔をして、ごめんなさい、と声を出さずに言った。そのうえ自分は何も見ていないとばかりに俺から目をそらし、あらぬ方向に視線を集中させていた。

「無駄だリーヤ、ジローは私のいうことしかきかない」

「うそ…っ」

なぜなんだジローさん! そんなにダヴィットが怖いのか!? いったいダヴィットは彼に何をしたんだ。

「好きだ、リーヤ」

「ああ、ちょっと…」

首や鎖骨に何度もキスされた。止めようとしても力が強くてどうにもならない。
俺がどれだけ抵抗しても続く断続的なキス。けれど不思議なことにダヴィットの唇が、俺の唇に重なることはなかった。多分俺が前に、二度とするな! って怒ったからだ。あの約束を忠実に守るダヴィットには感心するが、こんなとこにキスされては同じだ。

「…やめろっつってんだろーがッこの変態!!」

俺は残された力を振り絞り、自由だった足でダヴィットの腹を思い切り蹴り飛ばした。それは思いのほかヒットして、ダヴィットの体は無様に床に転がった。

「……あ。ごめん、ダヴィット」

やりすぎた。時期日本の王様相手に。しかも変態って言ったよな、俺。……不敬罪で逮捕されるのは、クロエじゃなくて俺かもしれない。

腹をかかえてうめくダヴィットに声をかけようとしたが、その瞬間、誰も入れないはずのこの部屋の扉が大きな音をたてて開いた。

「たのもう!」

入ってくるなりそう叫んだ男を見た瞬間、俺の体は固まって動かなくなる。


熊がきた。本気でそう思った。

2メートル近くあるであろう身長、大柄な体格、視線だけで人を殺せそうな鋭い目。真っ黒に日焼けした顔には眉尻と頬にこれから一生消えないであろう深い傷があった。もしこの男が現れて一番に言葉を発していなかったら、間違いなく服を着た熊だと思っただろう。

その突如やってきた凶暴そうな男は、恐怖で真っ青になる俺と床に突っ伏すダヴィットを見て、こうつぶやいた。

「…どういう状況?」

意外に普通の反応だ。だが声はドスのきいた低音で、もし俺が地獄の主神を主役としたアニメを作るなら、声はぜひこの男にやってもらいたいと思うほどだった。

「申し訳ありません殿下、お止めしたかったのですが…」

「ええ、止めようという志はあったんです…」

後から扉の前に立っていた2人の兵が入ってきた。微妙に腰がひけている。

「うるさい。結局止めなかったということだろう」

上半身を起こしながらダヴィットが兵士達に毒づいた。
けれどこの兵士達の気持ちもわからなくはない。こんな強面の男がどけろと言ってきたら、俺なら2つ返事で道をあけてしまう。

「グッド・ジュニア、お前がいったい何の用だ」

痛む腹をおさえながらダヴィットが大男を睨む。どうやら彼の名はグッド・ジュニアというらしい。

「レジスタンスの件で来ました」

普通にしゃべっても脅してるように聞こえる声のグッド・ジュニアは、床にへたり込むダヴィットに近づいていった。俺はダヴィットが食われやしないかと心配になった。ダヴィットの髪の色、ちょっとハチミツっぽいし。
けれどグッド・ジュニアは、ダヴィットの腕をつかみ腰を支えて体を持ち上げた。その様はまるで子供を立たせる親のようだ。

「平気ですか?」

「…ああ」

いつになく素直なダヴィット。なんだ? ひょっとして仲良しなのか?

謎の大男グッドさんは、今度はびびりまくっていた俺に視線を向けた。殺される、俺の本能がそう叫んだ。

「…前にどっかで、会わなかったっけ」

「え?」

そう言われても俺には覚えがない。こんなインパクトのある人、一度会ったら忘れないに決まってる。

「お前は相変わらず頭が弱いな。その男はアウトサイダーの垣ノ内リーヤだぞ。新聞の一面に出てただろう」

俺は、この方にそんな物言いして殴られたりしないだろうかとハラハラした。そんな俺を見かねてか、いまだお腹をなで続けるダヴィットが、隣にいるロシアンマフィアも真っ青な男を紹介してくれた。

「リーヤ、こいつはグッド・ジュニア。特例委員会チェア・パーソン、シリー・グッドの1人息子だ」

肩書きがややこしくてちょっと覚えられなかった。特例委員会ってあれだよな、確かレジスタンスの…

「よろしく、垣ノ内リーヤ」

手を差し出し握手を求めるグッド・ジュニアの顔を見て、俺は今日で一番驚いた。彼はにっこり笑っていたのだ。それも曇り1つない澄み切った笑顔。失礼な話だが、彼の顔の構造上笑顔は無理だと思ってた。それなのに、こんな穏やかな顔ができるなんて。

俺はたっぷり10秒驚いた後、グッド・ジュニアと握手をかわした。そして彼があまりにも俺の手を優しく握ったので、そこでまた俺は心底びっくりした。こんな大きくてゴツい手で握られたら、つぶされるんじゃないかという心配が馬鹿に思えるほどだ。そっと俺の手を両手で包み込み、壊れ物をに触れるかのような優しさだった。

も…もしかしてこの人、見た目はめちゃくちゃ怖いけど、ひょっとして内面は…

「たのもう!」

俺のせっかくの考えごとは、いきなり現れた新たな男に邪魔された。セリフはグッド・ジュニアとまったく一緒。しかも見た目も同じくらい強面。まるでデジャヴを見ているようだった。しかもその男を見て、グッド・ジュニアが一言。

「親父!」

お、親父!?

「これはこれはグッド委員長、いったい何のご用ですか」

ダヴィットが恭しくも白々しく、グッド・ジュニアの父に尋ねた。口調はかなり丁寧だ。

「しらばっくれないでいただきたい!」

口に髭をたくわえ、こんがり日焼けしたその年配の男は、怒りの形相でダヴィットに詰め寄る。

「レジスタンス廃止案のことを、我々が嗅ぎつけないとでも思ったのですか! こんな大事なことを我々抜きで話を進めようなど、協定違反もいいとこだ!」

彼があまりに大きな声で怒鳴るので、俺とダヴィットは耳をふさいでいた。ジローさんがなだめようとしているものの、その声さえも消してしまうほどだった。

「とにかく! 我々特例委員会は断固反対です! しかも聞くところによると発案者は、たかだか15歳の小娘ということじゃないですか。殿下、悪ふざけもいいかげんにしていただきたい!」

「親父、殿下を責めても仕方ねえじゃねえか。だいたい俺が行くって言ったのに、なんで親父が来ちゃったんだよ」

「馬鹿者! こんな重要なこと、お前なんかに任せてられるか!」

息子は父親を必死に静めようとするが、父は顔を真っ赤にして怒るばかりだ。

「ひとまず落ち着けって。先週医者に血糖値が上がってるって言われたばっかだろ? あ、そうだ紹介するよ」

グッド・ジュニアは思いついたような顔をして、俺の肩にそっと手を置いた。

「聞いて驚くなよ! 彼の名前は垣ノ内リーヤ。なんと“あの”アウトサイダーだ」

「あ? ああ、こりゃどうも」

反応、薄っ。

「殿下! とにかくあの成り上がりの小娘の案を、即刻取り下げていただきませんと!」

俺のことなんてまったく眼中にないグッド・ジュニアの父は、ついに我慢の限界に達したのかダヴィットの腕をつかみ引っ張った。

「な、なにをする、放せ!」

「殿下、貴方は我々全員と腹を割って話し合いをする必要があるようだ」

そういってるうちにも、ダヴィットの体はムキムキした男の腕にやすやすと引きずられていく。

「止まれシリー! 私は今日はリーヤと……ああリーヤっ、そこにいるグッド・ジュニアには絶対近づくなよ!」

ダヴィットの前では、俺は誰とも仲良くなれない気がした。ジローさんと話すな、クリスさんはやめとけ、クロエに至っては存在自体を否定。こんな時にまで、やたら独占欲の強いダヴィット。彼がずるずると運ばれていくのを、俺は黙って見ていることしか出来なかった。

「殿下はしばらく、ご退室なさいます。リーヤ様、しばしここでお待ちください」

「え、ちょっとここでって…」

ジローさんは俺とグッド・ジュニアに一礼すると、慌ててダヴィット達の後を追った。おかげで俺は会ったばかりの強面大男と、2人きりになってしまった。

ど、どうしよう。ただでさえ初対面の人には気を使うってのに、こんなどこぞとのヤクザの親分みたいな男と2人きりにされてしまった。間が持たないのは確実だ。

「なあ」

けれど驚いたことに、先に話しかけてきたのは向こうだった。グッド・ジュニアは俺の目の前で座り込み、おびえきった顔の俺を見上げてきた。

「もしかして、暇?」

「え」

そりゃ、暇ですけど。

「…一応」

俺が恐々そう答えると、グッド・ジュニアは白い歯を見せながら笑った。

「じゃあさじゃあさ」

ぎゅっと手を握られ俺の体は強張った。その力は優しかったけど、彼の手は夏みかんを片手で潰せそうなくらい大きくてゴツかった。

「俺の船、見る?」

「船…?」


…って、なんだ?


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あきゅろす。
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