先憂後楽ブルース
009
ダヴィットに捕まり、ついに観念したエレンはリーヤらにすべてを白状した。フィースを使ってアウトサイダーを試したこと、ハリエットに命令を強制したこと。すべては兄を想うがための行動だった。
その話を聞いたリーヤは、まんまとフィースの術中にはまってしまった自分を恥ずかしく思いながら、エレンに同情し始めていた。素性のわからぬ男がいきなり家に転がり込んでくれば、煙たく思うのは当然だ。
だがその一方で、妹を溺愛してるはずのダヴィットの表情は芳しくなかった。
「エレン、お前は自分が何をしたかわかっているのか。絶対に許されないことをしでかしたんだぞ」
「タヴィット、そんな大げさな…」
「大げさなものか。私は今までエレンを甘やかせすぎた。その結果がこれだ」
ダヴィットは怒りや苛立ちを少しも隠そうとしない。いつもの優しく余裕綽々の彼ではなかった。
ずっと不機嫌で反省の様子を見せなかったエレンは、今まで一度も自分を怒鳴ったことなどない兄に叱られ、信じられないとダヴィットに詰め寄った。
「どうして? どうして兄上にはわからぬのじゃ! アウトサイダーが兄上を見る目とグッド・ジュニアを見る目はまるで違う! こやつは、兄上を利用しようとしている!」
「えっ、俺?」
とんでもない言いがかりにリーヤは慌てて否定しようとしたが、ダヴィットがそれを手で制した。ダヴィットはエレンの目の前で片膝をつき目線の高さを同じにする。そして、エレンの頬を優しく撫でた。
「そういうことじゃない。やっぱりお前は何もわかっていないじゃないか。リーヤが私を愛してないのは当然だ。私が一方的にリーヤを愛しているだけなのだから」
その瞬間、ジローやハリエット達の視線がリーヤに集まった。突然の間接的な愛の告白に、顔を隠すためリーヤは俯く。やっと冷め始めていた頬が、再び熱を持ち始めたのだ。正直、ダヴィットの言葉にはぐっときた。
「兄上が…?」
きょとんとするエレンの前でダヴィットが頷く。その言葉が嘘ではないと判断したエレンは、泣きそうな顔でダヴィットに抱きついた。自分が兄にした事を心から後悔していた。
「兄上に好意を持たれて、好きにならない者などおらぬ! アウトサイダーは大馬鹿じゃ!」
「ああ、そうだな。あいつにそう言ってやってくれ」
冗談混じりにそうこぼしたダヴィットは、小さな妹をその力強い胸に抱き込む。怒りや苛立ちなどという感情は、とっくに消え去っていた。
「ごめんなさい兄上! でもエレンは、この男がアウトサイダーだからという理由だけで、やすやすと兄上の横に並ぶことが許せなかった! わらわは兄上から離されても、ずっと耐えてきたのにっ! 今日だって、兄上はエレンを出迎えてはくれなんだ。なぜじゃ? わらわよりアウトサイダーの方が好きになった? わらわと同じ、十人並みの容姿なのに」
十人並み、と言われてもそれを自覚しきっているリーヤが傷つくことはなかったが、それよりもエレンの自虐的な発言の方が気になった。もしかして彼女は、ずっと容姿にコンプレックスを抱えていたのだろうか。確かにエレンはダヴィットのような美しいブロンドではなく華美な印象は受けないが、とても可愛らしい顔立ちをしているのに。
ダヴィットは少し悲しげな表情で伏せ目がちになった後、エレンを真っ直ぐ見つめ話した。
「十人並み? いったい誰がそんなことを。お前は世界で一番可愛い女の子だ。すぐにこの国の誰よりも美しくなる。私の天使だ」
突然のダヴィットの甘い台詞に、すぐ横で聞いていた他の人間が思わず照れてしまう。口調も真剣そのものだったが、エレンは納得しなかった。
「嘘じゃ! わらわにそんな気休めは惨めなだけ…」
「エレン、兄の目を見ろ。これが嘘をついている目か?」
ダヴィット拒否しようとしていたエレンは、はっとした様子でダヴィットを見つめる。そしてすぐに大粒の涙をためて首を振った。
「お前のことを可愛くないと思ったことなど、一度もない。だがそんな気持ちにさせていたなら、すまなかった。私を許してくれ、愛しいエレン」
「あ、あにうえ…!」
涙ながらに兄を呼び、その肩口に顔をうずめる。ダヴィットはエレンが泣き止むまで、その背中を撫で続けていた。
「エレン、リーヤとグッド・ジュニアに謝るんだ。できるな?」
エレンは肩をふるわせながら、こくんと頷く。ダヴィットはその肩を抱いたままリーヤらに向き直った。
「2人とも私の妹が悪かった。どうか、この子の言葉を聞いてやってくれ。ほら、エレン」
「……ごめんなさい。リーヤ、グッド・ジュニア」
ダヴィットに促されながではあるが、頭を下げるエレンにリーヤは笑顔で答えた。最初からこんな小さな子を責めるつもりは毛頭なかったのだが。
「俺はいいよ。アウトサイダーだからって、知らない男がいきなり現れたら胡散臭く思うのも当然だしな。でもフィースを巻き込んじゃ駄目だ。たとえ本人が…全然気にしてなさそうでも」
「うんー? 全然気にしてないことはねぇぞ。よくわからんが、あれはリーヤより俺を試してるようにしか見えなかったぜ。結婚前の不安定な思春期の男には、すげぇキツい」
空気の読めない脳天気な発言をするフィースに、リーヤは頭を抱える。できることなら朧気ながらに覚えている自分の痴態を、すぐにでも記憶から抹消したかった。
「とにかく、この件は他言無用! フィース、今日のことは全部忘れろ。二度と蒸し返すんじゃないぞ」
「ええっ、そりゃ無理ですよ殿下」
「馬鹿。本当に忘れろと言ってるんじゃない。誰にも言うなという意味だ」
「ああ…なるほど。了解しました」
敬礼したフィースのヘラヘラした顔を鋭く睨みつけた後、ダヴィットはリーヤに向き直る。その顔つきは真剣そのもので、リーヤはつい背筋をピンと伸ばしてしまった。
「リーヤも、エレンを咎める気はないのだろう。ならばこの件、なかったことにしてくれないか」
「それはいいけど……」
「すまないリーヤ。ハリエット、そういうことだ。したがってお前にも処分はない」
「も、申し訳ありませんでした…!」
深々と頭を下げたハリエットの隣には、気まずいのかずっと俯いているエレンの姿が。フィースはそんな彼女の手を取って、優しく微笑みかけた。
「俺は、髪が黒くても肌が白くなくても、エレン様は可愛いと思います」
ある意味口説き文句ともとれる言葉に、聞いた全員の身体が固まった。唯一、凍りついた空気の中フィースの誉め言葉を笑ったのが、言われた当本人のエレンだった。
「兄上に便乗することはない。ただの兄馬鹿なのじゃ」
「俺は兄貴じゃないけど、本気でそう思ってますよ。エレン様もダヴィット様に負けず劣らず、可愛らしい」
皆が唖然とする中、エレンの頬が赤く染まる。男性からそんなことを、おべんちゃらではなく誠実に言われたのは初めての経験だった。
「…ま、まことに?」
「はい」
「…………有り難う」
やっと笑顔を見せてくれたエレンの手を、フィースはさらに強く握り締める。それを止めたのは、かんかんに怒ったダヴィットとリーヤだった。
「おいグッド・ジュニア! 早くその薄汚い手を放せ!」
「フィース、さっさと放して」
「……怖いな、2人とも」
氷のような表情をしたリーヤの命令には、フィースも大人しく従った。エレンから身を引き、皆の前で手のひらを見せ降参のポーズ。リーヤは呆れ、ダヴィットはさらに憤怒した。
「ああ…、一瞬でも絆された俺が馬鹿だった」
「いいか、二度と私の妹に近づくな! リーヤにもだ!」
「おいおい2人とも、らしくないぜ。エレン様に嫉妬なんてそんな」
「「嫉妬じゃない!!」」
理由は違えど、恐い顔をしたリーヤとダヴィットの両方から責められるフィース。今朝の騒々しさが嘘のように静閑としていた城内は、再び明るさを取り戻した。
第3.5話 完
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