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先憂後楽ブルース
008




「はい、あーん」

「……」

温めなおしたお粥をリーヤがスプーンで口元へ持っていくと、クロエは大人しくそれを口に含んだ。薺さんの診察を終えたクロエは心なしか治療前よりもげっそりした表情だった。

ガングロ女医さんによるとクロエはただの風邪で、寝てれば治るとのことだ。そのまま薺さんはジーンから診察代をもらい、なぜかフィースを引きずってこの家から出ていった。久しぶりに恋人に会えて嬉しかったのだろう。初対面のリーヤから見ても彼女はかなり興奮していた。

キッチンではイルと帰ってきたゼゼが夕餉の準備をしている。ゼゼは野菜を大量に買い込んでいたから、きっと今日のメニューは野菜づくしに違いない。

「はいクロエ、もう一口」

リーヤがスプーンを運ぶ前に口を大きく開けるクロエの間抜け面に、吹き出しそうになるのを必死でこらえる。けれどその時、ほのぼのした雰囲気が一変する出来事が起きた。

「わあぁあ!」

リビングの扉が勢い良く開き半泣きのエクトルが飛び込んできた。彼はそのままソファーで半身起こした状態のクロエに抱きつく。

「兄ちゃん兄ちゃん!」

「ど、どうした?」

いつもとはまるで違う弟の姿にクロエは動揺を隠せない。エクトルは兄の腕にすがりついたままドアを指差した。

「ジーンが! ジーンがひどいんだ!」

「…兄貴?」

クロエとリーヤが顔を上げるとドアに寄りかかるジーンの姿が。彼は腕を組み口を尖らして、どこか憤慨しているように見えた。

「人聞きの悪いこと言わないでよ。まだ何にもしてないじゃないか」

「ド、ドアの鍵壊したっ」

「鍵なんかかけるからだろう。素直に出てくれば良かったんだ」

ジーンは極力怒ったように見える顔を作り、エクトルの首根っこをむんずとつかんだ。

「往生際が悪いよエクトル。大人しくしないとクロエにあの事ばらしちゃうから」

ジーンは自分の出来る一番恐ろしい表情を見せ、呆気にとられるリーヤの前で固まったままのエクトルをずるずる引きずり部屋を出た。

「……と、止めなくていいの?」

「いい。どうせまたアイツなんかしでかしたんだろ」

「……」

一体何をしたのかは知らないが、ジーンに任せてもそうひどい目にはあわないだろう。それでもエクトルをちらちら気にするリーヤの気を引くため、クロエは彼の顎をひっつかみ顔を引っ張った。

「リーヤ」

「な、なに?」

「渡してえもんがある」

「?」

クロエは懐から何か小さいものを取り出し、リーヤに差し出した。

「これ、どうしたの?」

クロエから受け取ったのは綺麗なピンク色をしたパワーストーンだった。宝石のような煌びやかさはなくとも、光沢のある石はきらきらと光っている。

「買った。お前石が好きだって言ってただろ」

「くれるの?」

「そうだ。人の話はちゃんと聞け」

「………」

リーヤの中でじわじわとむずがゆい嬉しさが込み上げてくる。リーヤが好きだと言ったのは石ではなく化石だったが、関係ない。クロエが自分のためにこの石を選んで買ってくれたことが何よりも嬉しかったのだ。

「ありがとう、クロエ。大事にするよ」

「……リーヤ」

「ん?」

「フィースの野郎とどこで会った」

「…クロエ、」

友人の沈んだ口調にリーヤは石を部屋の照明で照らすのをやめ、顔を上げた。

「アイツはとんでもない奴だぞ」

「知ってる」

「それでもアイツが好きか?」

「なんだよ、その質問。フィースのことは嫌いじゃないよ。ただそれだけ」

クロエはリーヤの答えに不服だと言わんばかりに目を細め、しつこく詰問し続けた。

「まさかお前、フィースのチームに入るとか言わねえだろうな」

「…はあ?」

あまりに予想外の質問に固まるリーヤ。そして馬鹿馬鹿しいとやや呆れながら首を振った。

「何言ってんだよ。そんな訳ないだろ。だいたいレジスタンス自体もうこりごりだっつの」

「ほんとか? 絶対どこにも行かねえ?」

「ああ、俺はずっとここにいる。クロエと一緒に」

まるで誓いのような言葉と語調だった。クロエの鋭い眼差しに、リーヤは臆することなく応えていた。

「じゃあ約束しろ」

鼻先に突きつけられたクロエの小指。リーヤはそれをまじまじと見つめた後、肩の力を抜き自分の小指と絡ませた。

「わかった、約束。でも不可抗力は別だからな。誘拐されたりとか、そんな時は大目にみてくれよ」

「誘拐ぃ?」

「アウトサイダーはあるから怖い」

「……」

クロエはリーヤの冗談めいた、でもどこか真剣な口調に思考が止まり、しばらく考え込んだのち意を決して口を開いた。

「じゃあ、そん時は俺が助けてやるよ」

「…ほんとに?」

「ああ、必ず迎えに行く」

リーヤは嬉しさで溶けたような笑みを浮かべ、クロエの褐色肌に触れる。握った手は温かくて、

「じゃあ、約束」

ゆっくりとその小指を切った。










すっかり元気を取り戻し熱が下がったように見えるクロエは、いまだソファーで横になっていた。大事をとってというよりは、ただのらくらなだけだ。

「あー…しちめんどくせぇ」

そんなクロエの視線の先を追ったリーヤは、つい可笑しくなって彼に尋ねた。

「夏休みの宿題のこと?」

「それ以外に何がある」

深い深いため息をついて山積みになった宿題から目を背けるクロエ。完全に現実から逃げていた彼は悪知恵を働かせた。

「リーヤ、これお前やれよ」

「はあ? なんでさ」

「俺、熱あんだもん」

「完治してからやればいいじゃん」

「無理、夏休み終わるまで治んねえ」

「嘘つき」

病気に便乗して宿題を片付けようとするクロエにリーヤはあきれかえってしまう。けれどそれと同時に彼の小さい子供のような態度にはすっかり毒気を抜かれてしまった。

「お前年上ならこんなの楽勝だろ。後は任せた」

「ちょ! だから何で俺がやらなきゃいけないんだよ」

クロエは宿題をリーヤに押し付け再び寝入ろうとする。それを必死に止めようとしたリーヤに彼はとんでもない理由を告げた。

「だってお前は、俺の友達だろ?」

「…………」

「じゃ、よろしく」


クロエの言い方はけして理由付けなどではなく、それが当たり前だと言わんばかりで、だからこそリーヤは言葉を失ってしまった。彼には悪気が微塵もなかったのだ。



(な、なんかズレてるんだよなぁ…。)


クロエの友情観に多大な疑問を抱きながらも茫然自失のリーヤは、いそいそと毛布にくるまる友人に声をかけることすら出来なかった。

第2.2話 完

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