騒擾恋愛
002
「ああもう、…来るの早すぎっすよ沢木先輩」
「お前、誰」
沢木のこんな声を俺は以前にも聞いたことはあるが、ここまで冷え切っているのは初めてだ。沢木の怒りの矛先が俺ではないとわかっていても怖かった。
「出て行け」
沢木が射るような視線で水島を睨みながらドアを指差す。水島は肩をすくめて、俺からあっさり離れていった。
「んー…今日はもういいや。邪魔されたせいで萎えちゃったし。また近いうちに俺と遊んでね、千石さん」
水島は俺の頬に素早くキスをすると、最後の最後まで笑顔を絶やさないまま教室から出て行った。嵐のようなあっという間の出来事に放心していると、しかめっ面の沢木が俺の顔をいきなり覗き込んできた。
「誰だよ、今の」
「え、と。俺もよくわかんないんだけど…」
「わかんない?」
「た、確か水島英雄って名乗ってた。1年の不良グループの1人、だと思う」
「1年…水島…」
沢木の眉間の皺がさらに深くなる。やっとのことで落ち着きを取り戻してきた俺は身体を起こし、沢木がいる安心感に浸りきっていた。
「水島英雄って、確か俺がこの前言ってた1年のトップだ。何でそんな奴に千石は襲われてたんだよ」
「な、なんか昔の知り合いみたいで、多分復讐? しにきたんだと思う。俺もよくわかんないんだけど…」
「よくわかんない奴に押し倒されんのか、千石は。浮気は許さないって言ったろ」
「浮気じゃないって!」
まさかの言葉に、心身共にまいっていた俺も思わず沢木に食ってかかる。それでも沢木は表情を緩めようとはしない。
「いくら無理やりとはいえ、自分の身を守らないんだったら相手を受け入れたも同然じゃないのか」
「俺は受け入れてなんかない!」
「じゃあどうして抵抗しないんだよ。千石だったらあんなの、簡単に止められるはずだ」
「…だって暴力は駄目だから…」
「いいんだよ。ああいう輩には使っても」
沢木はそう言いきったけど、やっぱり俺は誰かに手をあげるなんて考えられなくて小さく首をふる。すると沢木はいきなり腕を伸ばして、再び机に身体を押し付け俺の首に顔をうずめた。しかも沢木は水島と同じくらい乱暴な動作でシャツを脱がせ始める。いきなりの沢木の行動に俺はわけがわからないまま抵抗した。
「ちょ、沢木待って。やだ、ねえ!」
「千石に拒否権なんかない。手、邪魔」
「ごめっ、でもここ教室だから…って、ぎゃあ!!」
つぶれたカエルのような声を出した俺に沢木の手が止まる。俺の態度がどうにもお気に召さなかったらしい沢木だが、また教室でこんなことをして誰かに見られるのだけは嫌だった。
「ほら、千石はいつもそうやって形ばっかの抵抗だ。こっちとしては何かされるのを期待してるようにしか見えない」
「そんなことないっ」
「だったら俺を突き飛ばしてでも嫌がればいいだろ」
「……」
沢木はそう言うが、俺がちょっとでも本気を出せば怪我をさせてしまいかねない。沢木以外の人間、例えば水島などには遠慮する必要もないのかもしれないが、俺の中の何かが暴力というものを心底嫌っていた。
「ごめん、沢木。俺は本気出して沢木を止められない。でも、ここでこんなことするのは嫌だ。さっきの水島みたいに誰かに見られるかもしれないし、学校じゃ怖いんだよ」
「あいつに見られてたのか?」
「…うん。この前、教室でのこと…」
「……」
沢木はしばらく苦い顔をしていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「…わかったよ、千石。今度またあいつが来たらすぐ俺を呼んで。千石のことは、俺が守るから」
身体を起こす俺に向かって優しい言葉をかけてくれる沢木。彼を厄介事には巻き込みたくないが、今の言葉は純粋に嬉しい。
「ありがとう、沢木」
小さく笑いかける俺を見て、沢木は何か言いたそうな顔をする。けれど結局その口が開くことはなく、俺の頭を自分の胸に押し付けただけだった。沢木の温もりを感じながら、俺はもう一度、心の中だけでありがとうと呟いた。
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