しあわせの唄がきこえる
003
次の日の昼休み、先輩の部屋にお泊まりというピンチを明日に控え、どうしようもなくなった俺は桃吾に泣きついていた。話を聞いた桃吾は暫く難しい顔をしていたかと思うと、力なく笑って俺の肩をポンと叩いた。
「ド、ドンマイ……」
「うわあああ、何で諦めてんだよ〜〜」
「いや、だってまさか崎谷先輩がそんなにがっついてるとは」
俺だってまさかの展開だ。先輩が俺とそういうことをしたがってるなんて発想がまずなかった。でも恋人として付き合っているなら、こうなるのは自然な流れなのだろう。ちょっと早すぎる気もするが。
「どうしよう桃吾〜〜。このままじゃ先輩のアレが俺のアレに……うわあああ考えるだけで痛い!!」
「やめろ。グロい想像しちまっただろうが」
二人ともすっかり食欲をなくして、食べ物が喉を通らない。俺にいたっては半泣きだ。
「どうしよう。もう時間がないし、でも今別れるとかいったらヤりたくないって言ってるようなもんだし」
「ん?……や、ちょっと待てよ」
桃吾は何かに気づいたように黙って考え込む。その真剣な表情に俺は期待を持って桃吾の言葉を待った。
「うし、このピンチに乗じて先輩と別れる方法を思い付いた」
「え、何!?」
救世主の言葉を聞き俺は目を輝かせる。この危機的状況から脱出できる方法があるなら何でもやるつもりだ。
「暁は、付き合うってことはヤるのは絶対だって思ってないか」
「え? ……いや、普通はそうだろ」
「それが男同士だと違うんだよ。本番はやらないってカップルもいる」
「そうなの?」
「ああ。でも話を聞く限り、先輩は違う。がっつりヤる派だ。だからそれを逆手にとって、俺は本番はできないから先輩がそうじゃないなら付き合えません、って言うんだよ。これならすごく自然な流れで別れられる。はい完璧」
「そ、そんなこと言っていいの? 付き合ってんのに?」
「いいに決まってるだろ。特に暁は受ける側だし、そっちは初めてのとき死ぬほど痛いらしいぜ」
「ひいい」
話だけ聞くと確かにこれ以上ない名案だ。けれど俺は今一つ納得できなくて頭を抱えながらぐるぐるしていた。
「でも、ヤりたくないなんて言ったら、先輩に嫌われそうで……だって、恋人なのにそんなのありえないじゃん」
「アホか、嫌われるぐらいでいかないと別れるなんてできるわけないだろ」
「先輩に嫌われるのはイヤだ!」
「我が儘言うな!」
真剣に怒られて縮こまる俺。桃吾の言うことがもっともすぎて何も言い返せない。でもいくら自分勝手と言われようが先輩に嫌われるようなことはしたくないというのが俺の本音だ。
「先輩はお前をそんなことで嫌ったりはしねぇって。でも性生活の不一致なんて、長く続くわけねーんだから別れるしかないって諦めるだろ」
「いやいや性生活って、夫婦じゃあるまいし」
「同じことだよ。お前、どうせ先輩と一生付き合ってく覚悟なんてないんだろ?」
「一生とか、そんな先の事までは──」
「わからない? 違うよな。付き合う気はないんだよ、暁は。そう決めてるんだ。だったら傷が浅いうちに別れるしかない。だろ?」
「……」
桃吾の言う通りだった。俺には先輩と付き合っていく覚悟も気持ちもない。そしてこの言葉で俺は以前、蒼井君に言われたことを思い出した。
先輩と本気で付き合っていこうと思っているなら、覚悟を決めた方がいい。軽い気持ちで手を出せば先輩を傷つけて、今以上に他人を遠ざける人にしてしまう。
蒼井君からのこの忠告の意味をその時はきちんとわかっていなかった。だが今、自分がその忠告を無視しているということだけは理解できる。
……やっぱり、俺はどうしたって先輩と別れなければならないのだ。例え嫌われることになっても、それは早ければ早いほど良い。
「でもほんとにうまくいくかな…」
「暁、お前自分の立場になって考えてみろよ。もしお前が会って一ヶ月にもならない女子に好き好き迫られて、流されて付き合ったら私潔癖症なんで一生ヤりたくないですって言われたらどうする?」
「ええ、何その質問」
「いいから本音で答えろよ」
「……ううーん、今すぐにはならともかく、一生ってちょっとキツいな」
「だろ? それが崎谷先輩の考える事そのものっつーわけ。これで向こうからさらっと別れてくれて、お前は嫌われずにすむ。万々歳だな」
「……」
なんとも腑に落ちない作戦だったが、これ以上の名案は思い付きそうになかった。それに俺が今一つ乗りきれない理由は先輩を騙すことに罪悪感を持っている事以外にはない。
「暁、そう深刻になんなよ。別にお前は嘘つくわけじゃない。ヤんのは無理って正直に言うだけだろ」
「うん、……そうだな。明日、先輩に話してみるよ。ありがと桃吾」
「ああ、まあ、この作戦にも穴はあるんだけどさ」
「へ?」
「いや、そん時はそん時。考えないようにしよーぜ。お前のピンチは俺のピンチでもあるわけだしな!」
桃吾はいつもの笑顔を見せて俺の肩をバンバンと強く叩いた。最後の一言が小さくてよく聞こえなかったが、何でもないから! と言われてしまえば流すしかない。こんなデリケートな悩みに嫌な顔せず親身になってくれた桃吾にはそれだけでも感謝だ。
「にしても、桃吾ってやけに男同士のそういうのに詳しいよなー。お前、まさかとは思うけど……」
「おいっ! 変なこと言うなって。この学校にいたら嫌でも詳しくなるんだっつーの」
「でも、俺、今まで桃吾から女子の話聞いたことないんだけど」
俺は彼女ができたら必ず桃吾に報告して、こんな風に相談したりもしていた。けれど桃吾からは浮いた話一つ聞いたことがない。バスケに集中したいから、という理由を馬鹿正直に信じていたが、高二にもなって異性に興味がないなんてありえない。
「だって、桃吾モテるだろ。バスケうまいし、背が高くて格好いいし、ボーッとしてたって女が言い寄ってくるはずなのに。ほんとに付き合ったことねーの? 誰とも?」
「だから、今はそんな余裕がないだけだって。だいたいそんなのどうだっていいだろ。暁は自分の心配してろよ」
俺だって別に桃吾がホモだと本気で疑っていたわけではなく、冗談のつもりだったのだがいつも飄々としている桃吾がやけに慌てているのが気になった。まさかとは思うが、図星じゃないよな? な?
「わ、わかった。これ以上は聞かないでおく」
「そのまるで俺が必死で誤魔化してるみたいな扱いはやめろ」
「そんなまさか、思ってないって〜〜」
「わざとらしいっつーの!」
「まぁまぁ桃吾、俺のメロンパン一口やるから機嫌なおしてくれよ〜〜」
「!? や、やめろっ。むっ……」
すっかり不機嫌になった桃吾を宥めようとちぎったメロンパンをぐいぐい口に押し付ける。そのあとはもう軽い小競り合いになって桃吾の話はうやむやになったまま俺は先輩と決着をつけることになった。
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