last spurt
012
俺は人目を避けるため街灯の少ない裏道を優哉と共に歩いていた。一応意識はあるらしい南はおとなしく俺の背中に身を任せている。
「つーかお前らさ、何であんないいタイミングで現れたんだ? やっぱトキの差し金か?」
体力にだけは自信のある俺は息を切らすこともなく、隣の優哉に気になっていたことを尋ねた。
「ええ、皆がナオさんを探し回っていた時、トキさんから電話がかかってきたんです。本当に危機一髪でした。良かった、ナオさんが無事で」
もっと怒られるかと思いきや優哉は意外と温厚だった。てっきり今夜の行いについて叱咤されるに違いないと決めつけていたのに。どうやら優哉は本気で俺を心配してくれていたらしい。
そんな優しい友人に、俺が負けるわけないだろと威勢を張ったその時、俺達の会話が聞こえたのか南が俺の耳元でうめいた。
「…ごめんなさい、私がもっと、早く日浦さんを信用して…助けていれば」
「お前は全然悪くねえよ。疑うのも当然だ。昨日の俺はとても誉められたもんじゃなかったしな」
客観的にも南にとっても、あの時の俺は悪者だっただろう。見知らぬ他人を何の見返りもなく助けようとする南の精神には、正直感服する。
「お前ってさ、なんであんなに強いわけ? 喧嘩慣れしてるようには見えないけど」
南は見た目ほっそりとしているのに、なかなか重みがある。もしかすると彼は着痩せするタイプで、脱いだら筋骨隆々かもしれない。ムキムキの南を想像するとなかなか面白いが。
「昔からずっと少林寺を、護身術に…」
「へえ、俺と一緒だ」
「日浦さんも?」
「小学生まではな。そっからはボクシングに転向」
南にはそう言ったが実際ジムに行ったのは数える程度で、トレーナーと顔見知りだった未波さんのオマケにすぎなかった。俺の今の力は未波さんから伝授されたものと、実戦の賜物だ。けれどジムのトレーナーから素質があると誉められたことは今でも俺の自慢だった。
懐かしい日を思い出していたその時、隣の優哉のポケットからバイブの振動が聞こえた。優哉は素早く携帯を取り出して画面を開いた。
「誰」
「トキさんです。メールですね」
「なんで俺じゃなくてお前にメールがくるんだよ」
「ナオさんが南さんを背負ってるからじゃないですか?」
「…ああ」
トキの事とはいえガキみたいに嫉妬してしまった自分が恥ずかしい。俺は赤面を隠すためうつむいた。
「内容は?」
「無事かどうかメールを送って欲しいと。連絡がくるまで待つそうです」
「…おいおい、まさかアイツ確認出来るまで帰らねえつもりじゃないだろうな。ダメダメ、さっさと帰れってメールしろ。…いや電話だ。うだうだ言うようなら俺とかわれ」
本当なら俺は、トキをいつでも傍に置いておきたい。世の中には喧嘩っ早い連中や桐生のような馬鹿もいるんだ。自分自身が簡単に捕まっておいてなんだが、俺はいつもトキの安全ばかりを考えてしまう。優哉とは別の意味でだ。優哉を必ず守るという強い決意の理由は、義務や責任というものが大半だった。でもトキは違う。義務とか責任とか関係ない。トキの身体も心も傷ついて欲しくない。これはヘッドの考え方としては最低だ。本当はトキを好きになった時点でチームを抜けるべきだったのかもしれない。
俺の言うとおり優哉はトキを呼び出して説得を続けている。どうやらトキがなかなか引いてくれないらしい。
「…日浦さん」
そわそわしながら優哉の言葉に耳を傾けていた俺に、南がぼそっと呼びかけてきた。
「なんだ?」
「日浦さんは…『ナオ』って呼ばれてるんですか?」
妙な質問だと思った。口調もおかしい。声が明らかに先ほどまでより小さくなっている。
「ああ、でもそれが何だっていうんだ。……どっか苦しいのか?」
小声の原因は痛みからかと思ったが、南は落ち着いた様子で首を振った。
「日浦さんは、“ゆらい”という名の男を…知っていますか?」
「は? ユライ?」
また質問。そしてどれも意図がまるでわからない。
「そんな奴、知らねえよ」
「確かですか」
「ああ」
ユライなんて名前に覚えはない。変わった名だから、知り合いなら記憶にあってもおかしくないと思うが。
「いったい誰なんだソイツは」
「いえ、ご存知ないならいいんです」
「おい、おしえろよ」
「…私の勘違いでした。もう忘れて下さい。日浦さんには関係のないことですから」
有無を言わさぬ口調。もうこの話はするなと言わんばかりだ。嫌な感じがする。自分から持ちかけておいて、勝手な奴だ。
後から思えば、これがすべての始まりだった。いや、もしかすると俺が気づかなかっただけで、もう随分前から壊れはじめていたのかもしれない。
俺がチームを抜けても、変わらないと思っていた関係。永遠だと信じていた日常。それはこの時すでに、俺の知らないところで確実に変化していた。
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