last spurt
008
桐生の手下に散々暴行を受けた南は、意識のなくなった状態でぼろ雑巾のように投げ捨てられた。彼の口元には赤黒い血がこびりついていて、顔には生気がなかった。ひどい有り様だ。おそらく服の下の腹部の痣は大変なことになっているだろう。南のそんな姿を見て、俺は罪悪感を感じずにはいられなかった。
「おい、カイ。そいつらたたき起こせ」
桐生はそんな南には目もくれず、ぶっ倒れている加賀見達を顎で指し示した。その時動いたカイというらしいサングラスの男、顔と名前に見覚えがある。たしかこのチームの幹部だ。
「おーい、目ェ覚ませや新入り。桐生を待たせる気か?」
カイは瀬尾の頭をむんずとつかみ頬をぺちぺちと叩く。南が一発で気絶させたため瀬尾達に目立った外傷はない。
「ん……あれ、カイさん…?」
「カイさんじゃねえよ、馬鹿」
張り手の、パチンという小気味良い音が聞こえる。カイによって強制的に目覚めさせられた瀬尾と加賀見は、事態が飲み込めず困惑しているようだった。
「俺達、桐生さんに連絡して、それで…」
「アイツに気絶させられたんだろが。ほんと使えねえ奴らだな」
カイの不機嫌な声が響く。アイツ、とは南のことだ。彼の意識はまだ戻らない。
「そういじめてやるなよ、カイ」
桐生はそう言いながら俺に背を向け加賀見達に近づく桐生。口調は優しげだ。けれど奴は急に加賀見の胸ぐらをつかみあげ、派手に揺さぶった。
「お前らさぁ、あの店には行くなっつたよなぁ」
「…へ?」
桐生は意味がわからないと目を白黒させる加賀見をつかんだ手を放し、今度は瀬尾を持ち上げた。
「そんなことも守れねえのかよ、テメェら。本当ならそれなりの罰を受けてもらわないといけねえが……」
俺に向けられる桐生の目線。背筋がぞくっとした。
「ナオを捕まえてきたんだ。今回はそれでチャラにしよう」
「え、それって……桐生さんアイツと知り合いっすか?」
「そんなとこだ」
瀬尾から手を放し俺のもとへ歩み寄ってくる桐生。奴を睨みつけることしかできない俺の心臓は、破裂しそうなくらい激しく脈打っている。
「ナオ、こんな簡単に瀬尾達なんかに捕まるなんて、お前も落ちたもんだ。まあこっちとしては間に合って良かったけどな」
「間に合う? 何にだ?」
「しらばっくれんなよ。チーム抜けるんだろ、お前」
「な…」
おどろいた。情報早すぎだろコイツ。
「…誰からきいた」
「噂だよ。俺が知ってるってことは、もうかなり広まってんじゃねえの」
桐生の話に、思わず顔をしかめてしまった。なぜなら俺がその話をしたのは昨日で、ウチのチームの奴らしか知らないはずだからだ。つまりアイツらん中の誰かがバラしたということになる。…でも、一体どうして。
「貴重な時間潰してお前を探してたんだ。やめられる前に見つかって良かった」
俺と目線を同じにするため桐生はしゃがみこんだ。奴のごつごつした男の手がのびて俺の冷めきった頬に触れる。
「ナオ、まだuglyやめてねえだろ。…つーかuglyってチーム名変えたらどうだ? 全っ然uglyなんかじゃねえよ」
「……っ、さわんなっ…」
俺の頬をしつこくすべる手。桐生がなに考えてるかなんて、だいたい想像がつく。たぶん、昨日の痴漢とそう変わりない。
「ナオ、」
続けて何か話すのかと思い目を開けた瞬間、奴の唇が俺の口をふさいだ。もがいて逃げようとする俺の顔を痛いくらい強くつかんでいる。
「んっ、んっ…!」
吸い付かれるような深いキスに嫌悪を感じた。逃げられない俺を真っ直ぐ見つめながら桐生は舌を差し込んでくる。俺は無我夢中でそれに噛みついた。
「…ってえ! 何すんだテメェ!」
「う…っ」
腹を殴られた。手加減はしているのだろうがやはり痛い。
「大人しくしてりゃあ痛い思いしなくてすむのに、そんなに殴られてぇか? え?」
機嫌の良かった桐生の声色が一変した。俺は殴られるとか蹴られるとか、痛いことはすごく嫌いだ。でも、
「そんな気持ち悪い目で見られるくらいならなぁ、リンチされたほうが何百倍もマシだっつうの。ああ、何度だって噛みついてやる。俺に近づくな変態」
桐生の歪んだ顔が鼻先数センチまで近づいてきた。断言出来る、桐生は変だ。こんな顔がいいのにホモだなんて、同情すらしてしまう。
「言葉は選べよ、ナオ」
そこまで強い力ではないが、ぐっと首を圧迫されて苦しい。そしてそれ以上に何も出来ない自分が悔しかった。
「せっかく優しくしてやろうと思ったのに、その態度はいけねえ。ひどくしてくれって言ってるようなもんだ」
「だれ、が…」
抵抗したいのに言い返すことすらままならない。両手足を縛られている俺の武器といえば歯ぐらいのもんだ。あとは頭突きでもするしかない。
「カイ、コイツの頭おさえてろ」
俺の思考を読んだかのような桐生の命令と同時に、アスファルトの上に叩きつけられる俺の体。向こうからカイの怪訝そうな声が聞こえる。
「桐生、ここでやる気か?」
「ああ、やる」
俺にとっちゃ死刑宣告だった。カイはうんざりしたようにため息をつくと、俺の頭を固いコンクリートに押し付けた。
ぐぐっとパーカーの中に侵入してくる桐生の手は冷たく身震いしてしまう。
「安心しろ、ナオ。お前を他の奴らにまわしたりなんかしねえから」
耳元で囁かれた言葉にはちっとも安心出来なかった。ここは、月と遠くからのネオンの光だけで明るさを保っているような場所だ。二度も助けはこない。
南──、視界の端で倒れる男を見て、なんとか紐をほどけないかと体をよじった。まだだ、まだ諦めるわけにはいかない。これまでだって自力でやってきたんだ。チャンスはある。
桐生の手が俺のベルトにかかった。どうやら助かるためには、それなりの犠牲が必要らしい。
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