未完成の恋
005
「ちゃんと、九ヶ島先輩に言うんだよ」
「う……」
「言いなさい」
「……う、ん」
俺が落ち着きを取り戻してから、ひなたはその可愛い顔ですごんだ表情を作り俺に命令してきた。俺が頷くと満足げに笑顔になる。その様子はどこか楽しそうだった。
「なんで、んな笑ってんだよ…」
ひなたは、まだ九ヶ島に気持ちが残ってるはずだ。あんなに好きだったんだ。そう簡単に捨てられるはずがない。けれどこの顔は、どうもそんな感情にそぐわない気がした。
「圭ちゃんの、笑顔が見たいから」
「…?」
ひなたの、歌詞のワンフレーズにでもなりそうな答えに、俺は眉をひそめた。そんな俺を見て、ひなたまた楽しそうにクスクスと笑う。
「いつだって圭ちゃんが、僕の一番だからね」
「………ひなた」
自惚れてもいいのだろうか。
ひなたが九ヶ島をあきらめたのは、俺に対する遠慮でも同情でもないんだ、と。
「圭ちゃんの泣き顔、久しぶりに見た」
真っ赤になっているであろう俺の目を見つめながら、ひなたはにこにこ笑った。
「…そう、か?」
最近泣いてばかりだった俺にとって、涙はめずらしいものじゃない。
「きっともう、当分泣くことなんてないよ」
だから見納めだね、と茶化すように言うひなたを見て、俺の顔は勝手に笑顔を作った。久しぶりの、心からの笑みだ。
「明日ぜったい、先輩を呼び出してね。このままじゃダメだからね」
「わ、わかったよ…」
またまたひなたにすごまれて、俺は顔をふせた。
九ヶ島に言う、のか…。好きだ、って?
何かそれって、かなり恥ずかしくないか?
うわー、どうしよう。今さらだけど、すごく言いたくなくなってきた!
「…そうだ、明日はまず颯太先輩に言わなきゃ」
「颯太、先輩…?」
怪訝な表情を作るひなたに俺は説明を始めた。
「先輩は今まで俺のこと支えてくれてたんだ。九ヶ島に言う前に先輩に伝えるのが、礼儀ってもんだろ」
最大の理由は、九ヶ島と会うのを先延ばしにすることだが、どのみち先輩には言っておくべきことだ。
「そんなの、今日言いに行けばいいじゃない」
「今おしかけたら迷惑だろ! ほら、テスト勉強とかあるし」
今日のうちに、明日俺のクラスに来てもらうようメールしておこう。九ヶ島のいるクラスへ行く気には、どうしてもなれない。
「……阿見先輩、このこと知ってるの?」
「あ、ああ」
「いつから」
ひなたの声のトーンが心なしか低くなった気がする。なぜ、そんなことを訊くのだろう。
「かなり前から、だけど…」
もしかして、ひなたはあまり人に言って欲しくなかったのだろうか。
「………」
「ひなた?」
俺は真剣な顔で考え込むひなたに呼びかける。
「どうかしたのか?」
だがそんな険しい顔は一瞬で消え、ひなたはまたいつもの笑みを浮かべて俺を見た。
「いや、なんでもないよ」
何かを気にするひなたが心配にはなったものの、彼の笑顔を見て安心した俺は、それ以上詮索することはなかった。
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「おい、九条」
まるでぼろ雑巾のように横たわる九条をもう一度蹴飛ばし、俺は冷たい目で奴を見下ろした。
「テメェ…よくもひなたに怪我させやがったな!」
報復は三倍返し。それが俺のポリシーだ。コイツがひなたにしたことを考えたら、三倍ぐらいじゃとても足りはしないが。
「いいか九条、よくきけ」
俺は奴の胸ぐらをつかみあげ、まともに立てない九条を壁に押し付けた。
「もう二度と、アイツに手えだすんじゃねえ。…今度同じことしたら、こんなもんじゃすまねえぞ!」
そう怒鳴りながら奴の体を乱暴にゆさぶる。かろうじて意識はあるから聞こえてはいるだろう。
「アイツに傷つける奴は、この俺が許さねえ! 地の果てまで追いかけて一生後悔させてやる!」
俺がぱっと手を広げると、九条が人形のように地面に倒れ込んだ。ひどく無様なありさまだったが、俺は笑わなかった。
そして、自分に誓う。
これから俺は、もっともっと強くなってやる。誰にも負けない強い男に。ひなたを、大切な人をどんなときも守りぬける、強い人間に。
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