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Zill O'll infinite
A
「……言語道断だな、これは」

 レムオン兄様が呟くのを、私は実を縮こまらせながら聞く事しか出来なかった。
 口調はつとめて冷静を保とうとしているけれど、彼が怒っているのは一目瞭然。眉間に刻まれた深い皺からもそれは容易に察せられる……察したくもなかったけれど。
 傍で控えているセバスチャンも、主人たる兄様の怒りに狼狽しているようだった。何か言いたげな視線で私と兄様を交互に見遣るその様子が、更に私を申し訳ない気持ちに駆り立てる。私の所為で、本当にごめんなさい……!

「貴様は自分が何をしたのか分かっているのか?」
「……はい」
「怒りに任せてラーシュ家の令嬢を平手打ち、か。リューガ家の人間にあるまじき、前代未聞の醜態だ」
「…………」

 あの後侮辱に耐えられなくなった私は、令嬢の一人の頬を思いっきり打ってしまった。女の子相手に最低の仕打ちだったと思うけど、あの時は完全に我を忘れてしまっていた――考えるより先に行動に出てしまう、私の悪い癖がこんな所で発揮されてしまったのだった。
 その後の事はよく覚えていない。完全に頭に血を上らせていた所を、セバスチャンに宥められながら別室に連れ出されたのはおぼろげに覚えていたけど、他の事は出来るだけ思い出したくないのが正直な所だった。きっと私の事だから、あの令嬢達にとんでもない罵倒の言葉を投げかけたに違いないわ……。
 はぁ、と大きく溜息を吐く兄様の様子に、びくりと身を竦ませてしまう。こうして静かに怒られるのが一番堪えるわ……いっそ盛大に怒鳴られた方が、心境的にはまだマシかも知れない。

「セバスチャン、お前がついていながら何故イリアを止められなかった」
「……申し訳ございません」
「ちょっと待ってよ。セバスチャンは何も悪くないわ!」
「貴様は少し黙っていろ」
「……ご、ごめんなさい……」

 鋭い眼光で睨みつけられて萎縮するしかなくなってしまう。今は私が何を言っても、兄様の怒りを増長するだけだと分かっていた筈なのに、口を挟まずにはいられなかった。
 申し訳無さそうに視線をこちらに向けるセバスチャンの姿が目に映る。むしろ謝らなければいけないのは私の方なのに……!
 罪悪感と後悔で頭が一杯になって、黙って顔を俯ける事しか出来ない。そんな私に容赦なく、兄様の静かな怒気を孕んだ叱責の声が降り注いだ。

「イリア、俺が最初に言った言葉を覚えているか」
「……ええ、覚えてるわ」
「下手な真似をすれば只では済まさない。貴様の行動はリューガの家名を汚した。……本来なら、斬り捨てられても文句は言えん立場だ」
「…………っ」
「お待ち下さい、レムオン様!」

 沈黙を守っていたセバスチャンに突然声を上げられ、私だけでなく兄様も驚きで目を見開いた。
 兄様のこんな表情、なかなか見られるもんじゃないわよ……と後の私は思ったのだけど、この時は流石にそこまで考える余裕なんて無かった。

「余計な口を挟むな。こいつへの処遇は俺が決める」
「申し訳ございません……ですが、これだけは言わせて下さい。イリア様はリューガ家の一員として、とても立派に振る舞っておいででした」
「…………」
「……確かにイリア様の行為は、褒められたものでは無かったかも知れません。ですがイリア様は自身の名誉を傷つけられようとも、黙って耐えられていたのですよ」
「……どういう事だ、それは」
「失礼を承知で言わせて戴きます。イリア様がお怒りになったのは、リューガ家の……いえ、レムオン様の事を悪く言われたからなのです」
「…………!」
「わ、ちょっと待ってよセバスチャンったら!」

 セバスチャンの爆弾発言に、またしても驚きで目を丸くしてしまう兄様と私。今度は恥ずかしさでどうにかなりそうだったけど……!
 兄様の顔が心なしか赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではなかった……筈。だけどこの時の私には、やっぱりそこに気を配る余裕なんて無かった訳だけれども。

「いいえ、イリア様。これだけはどうしても、レムオン様には知って頂きたかったのです」
「べべべ別に私、そんな思惑があった訳じゃ!」
「兄様を侮辱するのは許さない……覚えていらっしゃいますか。あの時、イリア様が仰られた言葉です」
「わあああっ、私ったら無意識にそんな事を……!」
「無意識に仰ったという事は、それがイリア様の本音なのですよ。他にも……」
「もうっ、それ以上は言わなくていいわ!」
「かしこまりました。ですがレムオン様に仕える身として、イリア様の言葉はとても嬉しいものでした」
「……だからもういいってば」
「ふふ……。さて、これでもイリア様を処罰なさると仰いますか、レムオン様?」
「…………」

 完全に形勢逆転、だった。
 兄様がセバスチャンに逆らわない方がいいと言っていた理由が、今になってよく分かったわ……。あの兄様が言いくるめられるなんて、これも滅多に見られる光景じゃないわよ。本人に言ったら思いっきり睨まれそうだから、言葉には出さないけど。
 でも態度に出ちゃってたみたいで、兄様に軽く睨まれてしまった。ちょっと顔が赤くなってたから、いつもの半分の迫力も出てなかったけど。

「……お前の言いたいことはよく分かった。だがイリアが手を出したのも事実だ。このまま無罪放免という訳にもいかん」
「…………」
「ただ一切言い訳をしなかった点は褒めてやってもいい。そうだな……自室で三日間の謹慎くらいが妥当か」
「え、それだけでいいの?」
「何を甘い事を言っている。この三日間で礼儀作法を俺が直々に叩き込んでやるから、覚悟しておくんだな」
「兄様が、直々に……!」
「私もそれが一番妥当だと思いますよ。そしてこの三日間で、お二人の兄妹の絆を育まれるのもよろしいかと存じます」
「ばっ……馬鹿な事を言うな!これは罰であって、断じて遊びなどではないのだぞ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る兄様は、こう言っては何だけど子供みたい。セバスチャンの実力に感心しつつも、普段は拝めない兄様の一面に不謹慎ながらも心がほんわか暖まってくるのを感じた。「冷血の貴公子」だなんて呼ばれてるけど、意外に可愛い所もあるのね〜。
 などと微笑ましい気持ちで兄様の顔を眺めていたら、私の視線に気付いたのかまたしても睨みつけられてしまった。あんな様子を見た後だから、全然怖くなんてなかったけれど。

「……何を笑っている」
「べ、別に笑ってなんかないわよ!」
「頬が緩みきっているぞ、全く……。反省の色は無いのか、お前は」

 ふう、と億劫そうに一つ溜息を吐きながらも、その口元が小さく笑っていたのを私はちゃあんとこの目で捉えていたんだから。
 そして、いつの間にか「貴様」呼ばわりされていない事にも気が付いた。最初の刺々しい声音も、セバスチャンのお陰ですっかり鳴りを潜めたみたい。
 決して反省していない訳じゃない。でも張り詰めていた空気が和らいだ事に、安堵を隠し切れないのも事実だった。思わず小さく笑い声を漏らしてしまったけれど、兄様がそれを咎める事はなかった。

「それと……先程は脅すような真似をして済まなかったな。いくらリューガ家の名誉の為とは言え、お前を斬り捨てるつもりなど最初から無かった」
「……ううん、謝らなきゃいけないのは私の方だわ。私に辛抱が足りなかったばっかりに、大変な事態を招いちゃって……本当に、ごめんなさい」
「フ……なかなか素直な所もあるのだな、お前も。しかし今後は容赦するつもりは無いから、そのつもりでいろ」
「うん、分かったわ兄様。ご指導のほど、どうぞよろしくお願いします!」
「仲良きことは、美しきかな、ですね。それでは私はこれにて、失礼させていただきます」

 そう言って優雅に一礼し、颯爽と場を去っていったセバスチャンの後姿を、私と兄様は感心の面持ちで見送った。お礼を言うタイミングを逃しちゃったわ……後で改めて挨拶に行かなきゃ。
 セバスチャンが完全に立ち去ったのを十分に確認してから、兄様が小さな声で私に囁きかけてきた。

「…………ありがとう、イリア」
「えっ……?」
「二度は言わん。……お前の心遣いが嬉しかった、とだけ言っておこう」
「あ、ええと、その……どういたしまして」

 えと、改めてこう言われると、何だか物凄く照れちゃうわね……。顔がちょっと熱くなってきたような気がする。
 ノーブルでエストが言っていたように、兄様って本当はとても優しい人。「冷血の貴公子」だなんて影で囁かれてるけど、そして兄様もあえてそのように振る舞っているけれど……本当は温かい血の通った人なのだと、彼の柔らかな笑みを見て実感した。
 無理矢理お茶会に放り出されて、鬼だの悪魔だの心の中とはいえ散々罵倒してしまった事が恥ずかしく思えてきた。本当に彼が悪魔のような人間なら、あの時ノーブルで私とチャカは見殺しにされていた筈だもの……

「ごめんなさい、兄様……」
「……もういい。これ以上、お前を責めるつもりは無い」
「そうじゃないの。私、兄様の事、誤解してたから……」
「……気にしなくていい。それについてはお互い様だ。俺はお前を、只の馬鹿な女だと思い込んでいたからな」
「馬鹿な女って、それってあまりにも失礼……って、何で笑ってるのよ兄様ったら!」
「別に笑ってなどいない。それならセバスチャンの言う通り、この三日間で『兄妹の絆』とやらを深めてみるか?」
「な、何よその顔っ!悪い予感がするんだけど……いいわ、受けて立とうじゃないの!」

 きょうだいの、きずな。その温かい響きに、胸がじーんと熱くなる。
 兄様の事だから、この三日間は容赦なくしごかれるんだろうけど、親睦を深めるのだと思えばどんな無理難題もこなせるような気がしてきた。見てなさい、絶対にやり遂げてきせるんだから!
 まずはラーシュ家の令嬢に謝罪の手紙を書く事から始めよう。そう簡単に許してくれるとは思えないけど、謝罪の気持ちだけはきちんと彼女に伝えなくちゃ。

 しかしこの後、事態は私の予想もしてなかった方向へ動き始めたのだった。



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あきゅろす。
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