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小さな世界を満たす愛(DRRR!!臨也)


 この世界のことが、好きではない。でも嫌いという程ではなく、許すことはできている。
 高い人口密度も、忙しない学校生活も、夜と土日に入るバイトも、つまらないテレビも、たばこを吸う義父も、全て許している。
 私がこの世に生きていて喜んでくれるお母さんがこの世にいてくれるなら、私はきっと、大抵のことは許す。

 だって、私は一途の愛を知っている。誰にも渡せない、誰の心にもはまらない、私だけに合う形の愛。
 私は信仰している。母の愛を。

 だから、他には何もいらない。私の信仰しているもの以外に素敵なものは、こんな世界には存在しないだろうから。











 最も授業料が安くて、奨学金も良い感じに受け取れる学校なんてなかなかなくって、高校三年の春は結構苦労した。なんとか見つけたそこへは、池袋を横断するような方法で通学している。
 まあ、朝と夕方しか通っていないから、池袋のことを詳しくは知らない。時々カラーギャングが煩くて、たまに首なしライダーが通って、まれに自販機が倒れている。私が知っているのはこれくらい。だって毎日イヤホンをして、割りと大きな音量で音楽を聞いているから、池袋の情報というのは、通学路の景色くらい。
 都会には違いないから、時々友達と買い物に行ったりご飯を食べたりはする。けれど道案内は全て友達。
 夜、少し帰る時間が遅くなると、そういう話をする。誰々と買い物行ってきた、どこどこのパフェが美味しかった……こういう話をすると、お母さんは割りと楽しそうに聞く。
 そんな顔を見せてくれるなら、疲れた甲斐があったというものだ。



 そこそこ充実していた。特に不満はなかった。だから、どうしてだと尋ねられたら、本当に「なんとなく」としか答えられない。

 三日の連休を控えたある日、私はとある自殺サイトを発見した。
 いくつもの書き込みがあって、よくもまあこんなに不幸になれるな、と感心したのが「なんとなく」を助長させた。一緒に死にませんか、という誘いを見て、興味が出た。やけに明るい文面で、内容は結構具体的なもの。
 私は本当はどうしたかったのか、私にもわからない。
 「私も混ぜてもらってもいいですか?」自殺したい理由を適当にでっち上げて、奈倉という首謀者(やってることがやってることだから、この表現で合ってると思う)といくつかレスをして、なんだか呆気なく私も自殺志願者になった。

 久しぶりの休みでバイトもなく、家にいてもお母さんと二人きりじゃない。友達と遊びに行く、もしかしたら泊まるかも知れないと言うと、お母さんは「はいはい」なんて言ってやっぱり嬉しそうにするんだろう。
 あえてこの愚行に理由をつけるなら、そんなお母さんが見たかったからという感じになりそうだ。



 指定されたカラオケの一室に入ると、みんな若い人だった。私を含む三人が女で、残りの一人が男。女はどちらもなかなか綺麗で、男は若干引くくらいには整った顔をしている。暗い表情の女二人と、ほぼ真っ黒な服装で明るい表情の男一人。この男が奈倉さんだそうだ。
 奈倉さんが注文して、奈倉さんが配ったジュースの氷が溶けていくのをただ眺める。正直言うと退屈だった。

 彼女達は緊張しているのか、ちょくちょくジュースを飲む。そして暗い表情に似合った声のトーンで、死にたい理由を語っていく。奈倉さんはそれを笑顔で聞いていて(見ようによっては優しげで、考えようによっては喧嘩売ってるような笑顔だった)、何も言わない私を時々一瞥しては、また笑っていた。
 一通り語り終わったところで、ようやく死ににいくのかと待ちくたびれた気持ちになっていると、今度は奈倉さんが語り出した。長いんだよ!と内心うんざりしながら、また聞き役に徹する。今の私は死を目前に緊張しているようにでも見えるのか、誰も、無言の私を不審な目で見ることはなかった。
 奈倉さんの話は「死後どうするか」「死んだらどこにいくか」というものだった。さっきまで二人の話を聞くだけで満足したようだった奈倉さんは、二人から話を聞くと少し考え込み、なぜか私にも聞いてきた。
 どうして今回に限って私も答えなきゃいけないの。
 どんな顔をしていたのか。少なくとも私は面倒そうにしていたと思う。だって思っていたよりつまらない。これなら、家で三人でテレビを見ていた方がマシだった。

「生まれる前に戻るだけじゃないですかね。そもそも考える必要性がない気もしますが」

 この時の奈倉さんの顔は面白かった。笑顔なのに雰囲気だけ変わるなんて、器用なことをするもんだ。これで、この人はきっと、ヤバい人なんだろうという確信は持てた。

「どうして?」

「全部無くなるんだから別に考えなくたっていいでしょう。死ねばそれまで。後なんて知りませんよ」

 あ、と自分で言ったことに違和感を覚える。

「いや、考えないっていうか考えられない、ですか。まあ……どうでもいいですよね、死ぬんだから。後のことは生きてる人に任せます」

 へぇ……。とても感心したように息を吐いて、奈倉さんは一層笑みを深くした。
 失敗したと思った。面倒なことにはしたくなかった。ただなんとなく参加して、退屈が無くなれば儲けものだと思ったけれど、面倒くさいのは勘弁してほしい。私が今日生きて帰るなら、奈倉さんみたいな人とは関わりたくないのだ。
 だってお母さんに危害を加えられるかも知れないじゃない。そんなのは絶対に嫌。

 適当に「私は天国に行って天使になりたいデス」とか、楽しそうなことを言っておけばよかった。

 奈倉さんはそれきり私に話しかけることはせず、残った二人を論破しだした。結構滅茶苦茶なことを言っている気がするけど、口を挟むことはしない。ほら、だって「怖い」し。
 あーおかし。









「そういえば、一口も飲んでなかったねぇ」

 残念。せっかく君のサイズに合わせたキャリーバッグも用意したのに。
 本当に残念よ。こんなつまらない結果になるだなんて。

 結局、誰も死ななかった。
 女二人は、奈倉さんに死ぬつもりがないことを知って激昂した。声を荒くし、掴みかかるんじゃないかというくらいの剣幕で奈倉さんを責めた。けれど奈倉さんの笑みが崩れることはなく、彼の展開する持論と遊びという計画に翻弄され、彼女達はジュースに混入されていた薬剤の作用で呆気なく眠りについた。
 意識を失う直前の「絶対に殺してやる」発言はさすがに背が冷たくなる気持ちがしたけど、それきり彼女が気合いで起き上がってくる気配もない。
 まだよかったと言えるのが、なんの被害も受けていない私が奈倉さんの仲間と思われずに済んだ、という一点に限る。

 つまらない。奈倉さんの遊びは退屈だ。来て損した。

「さて、素晴らしい警戒心のご褒美に、君には特別に発言を許してあげるよ。まあ死に対する考え方もちょっと変わってたしねぇ?死んだら無だという俺の考え方に近いものを感じるとは思わないかい?」

 そもそも私の発言権は奈倉さんに委ねられていたことに驚きだ。やっぱりこの人はぶっ飛んでて、危なくて、「怖い」。
 特に話すこともなくて黙っていると、奈倉さんは、テーブルを挟んで正面に座っていた私の隣に移動してきた。そしてテーブルに肘をつき、まじまじと私の顔を眺める。私も静かにその目を見返した。
 赤い目だ。ウサギだ、ウサギ。まるで似合わない。ちょっと面白い。笑わないけど。
 奈倉さんは笑顔のまま、んー、と小さく唸った。あ、今思ったけど、この顔綺麗だけど、お母さんは好かなさそうだ。顎が少し鋭くて、つり目……美しい爬虫類顔だ。お母さんは爬虫類顔が好きじゃない。私はつり目は好きだよ。

「怯えてるわけでもないんだよねぇ……。ねぇ、どうして喋らないの?がっかりした?誰も死ななくて。でも、どうせリラさんも死ぬつもりなんてなかったんでしょ?俺が死ぬ気ないって言った時も無反応だったもんねぇ?突然スレに入って来て混ぜて欲しいなんて言うから、衝動的な子か愉快犯かと思ってたんだけど……」

「……」

「衝動的な子ならきっと彼女達と一緒に寝てるはずだし、愉快犯なら俺に死ぬ気がないことを知った時点で部屋を出ようとしただろう。俺の遊びに気付いて一緒に楽しむつもりなのかと思えば、君は一度もそのつまらなさそうな顔を変えない。一体君は何をしたかったんだ?ほんの好奇心?でもわざわざ嘘の自殺理由を、あんなに懇切丁寧に考えてまで」

「つまらないので帰っていいですか」

 しまった。これはない。つい本音を言ったしまった上にタイミングが悪すぎた。
 言い訳をするなら私は長話が嫌いだ。回りくどい言い方をされたら「だからなに!」と怒鳴りたくなるくらいには鬱陶しく思っている。その上私の男性観というものは専ら母親譲りで、男はすっぱりさっぱりきっぱりした性分でないとイライラする。よりによって男が長話なんて、ねちねち口が煩いなんて最悪だ。虫酸が走る。
 ちなみにお母さんも長話だけど、それは許す。

 とにかく一応私側としてはちゃんとした理由があって、奈倉さんの長話の腰を叩き折るようなことをしたわけなんだけど、もちろん奈倉さんはそんなことは知らない。
 彼は一瞬ポカンとした、なんとも幼い表情を見せたかと思えば、次には顎を反らせて腹を抱えて笑いだした。
 ああまた面倒なことをしちゃったな。はいはい、今回は私が悪かったよ。

「君!君面白いね。これで全く俺を恐れていないことも確信したよ。ねぇ、もっと君の考えてることが知りたいよ。アヤコさんはどうしてそんなに落ち着いていられるのかな?もしかして学校で何事にも動じない精神とか教えられたりしてるの?それとも他人と暮らすことで感情を押し殺す癖でもついちゃったのかなぁ?」

 多分、奈倉さんは私を怖がらせたいんだと思う。少なくとも私から何かしらのアクションを起こさせたいんだろう。だから、言ったはずのない、奈倉さんが知ってるはずのない私の情報をわざと声高々に晒したりしてるんだろう。
 やっぱりこの人危険だなあ。面倒だなあ。

「私、帰っていいですか」

「ダメだよ。ちゃんと聞かせてよ。アヤコさんのお母さんとかもさ、君のあまりの優等生っぷりに不安になってるかも知れないしね。ああ、もしかしてお母さんへの嫌がらせかな?自殺サイトなんかにアクセスして、私はこんなに苦しんでるんだって伝えたかったの?」

 奈倉さんは本当に……よく喋る。本当に鬱陶しい。
 だけど私も確信できた。彼は怒りでも恐怖でもとにかく私にリアクションを取らせたいんだ。
 それらしく反応したら帰してくれるかな。ダメって言われちゃったし、とりあえず満足させてあげればいいのかな。

 私は頭の中でお母さんが死ぬことを想像してみた。
 未分化がんにかかり、余命幾ばくもないと宣告された後、お母さんは私が学校に行ってる間に自ら命を絶つ。
 あっという間に私の目から涙が溢れ、頬を伝い、ジーンズを濡らした。嗚咽も突拍子もなく突然泣き出した私に、さすがに奈倉さんは驚いたようだった。
 よく滑る口が静かになる。黙ってればかっこいいのにな、もったいない男ね。

「わ、私、ただ好奇心で来ただけなんです……本当に自殺するのかなって……。だけど途中から怖くなって、動けなくなって、とにかく早く帰りたくて……ッ」

「……ストップ」

 あれ。

「あのさ、さすがにびっくりしたけど、そんな演技いらないから」

 バレた。
 奈倉さんは笑みをなくし、若干不機嫌そうに、涙を流す私を見下ろしていた。

「そんな演技じゃなくて、本当の君を見てみたいんだよね。やっぱり言葉だけじゃなくて実際に行動で示してあげた方がいいのかな。例えば君が大好きなお母さんに…」

「あ、それはダメです。多分それされたら、私死にます」

「は?」

 今度こそ奈倉さんは素で驚いた顔をした。
 悠長に涙を拭い、自分のバッグからペットボトルを取り出して、私は……少し警戒しはじめている奈倉さんに初めてわらいかけた。

「だから、死ぬんです。奈倉さんが調べられた通り、私はお母さんが大好きです。大切です。傷つけられるのは凄く嫌ですし辛いです。しかもそれが私の所為だとしたら辛くてたまりません。辛くて辛くて……死んでしまいます」

 ね、危険ね、「怖い」ね。
 私はこんなにお母さんを愛してるんだよ?
 誰が私の中に入って来れると言うの?誰一人、私の心には触れられないのよ。

 ペットボトルを満たす中身の正体をなんと思うのか、奈倉さんは今日初めて見せる種類の笑みを見せた。こんなにたくさんの笑みを持っているというのも、珍しい。

「今目の前で、君のその覚悟が見られるわけだ」

 いいね、やって見せてよ。
 そう彼の目が語る。まあ悪くない冥土の土産だと思う。

 私のバッグはお母さんも気に入った真っ黒のトートバッグ。トートバッグというには少し小さいけど、出かける時は財布とペットボトルと遺書とカッターナイフと携帯くらいしか入れないから、これくらいで丁度いい。
 遺書は一ヶ月に一度書き直す。内容は変えていない。ペットボトルの中身は気が向いた時に入れかえる。例えば新しい知識を得た時、より確実に命を落とすために。

 いつも手作りのジュース。初めて知る味はいかがかしら。
 わかりましたと頷いてから、私はペットボトルの蓋を開けた。つい最近入れかえたばかりだけど、溢れたりしないよういつも入念に蓋を閉めるから、結構力を必要とする。
 私は一人でカラオケに入り、遺書を鞄に入れて自殺する。理由は知らない男に強姦されて、それをみんなに隠すのが辛くなったから。こんな汚い体は耐えられない、というものだ。

 ペットボトルを口につける寸前、お母さんの顔が浮かんだ。思わず笑みが溢れる。
 最後に見る顔がお母さんだなんて、なんて幸せなんだろう。これで死も許せる。









 口をつけた感想は、奈倉さんに対する感心だった。
 いつの間に入れかえたのだろう、ペットボトルの中身はただの水だった。こんなんじゃ死ねない。
 今度は私の方が不機嫌になり、笑顔の奈倉さんを睨む。

「やあ、初めてまともな表情を見せてくれたね。驚いた?俺も驚いたよ。まさかあんなに躊躇いなく飲んじゃうなんてさ。君はほんとに死を恐れていないみたいだ。……少し、ある知り合いを思い出したよ」

「あの、返していただけませんか。私のジュース」

「ジュースだなんて、嘘ばっかり。中身はなんだろうね、怖い怖い。よく入手できたねぇ、こんなもの。でもダメだよ、まだ死んじゃダメだ。君は面白い」

 正真正銘私のペットボトルを片手で弄びながら、奈倉さんは本当に楽しそうに笑う。その無邪気さたるや子どもみたい。
 まあ別にジュースで死ななくてもいいんだけど。

 トートバッグを開け、中にあるカッターナイフを握る。狙うは左総頸動脈。動脈どころか神経も切り取る力でいこうか。
 両手で強く持ち、自分の中での最短時間で行動したつもりだった。

 ……だけど、それも奈倉さんの想定内だったのかも知れない。渾身の力で引いた前腕は、奈倉さんの片手でいとも容易く停止させられた。
 ことごとく邪魔をされて、さすがに諦めた。私は力を抜き、カッターナイフをテーブルに置く。

「だからダメだってば。全く怖いねぇ、なにをするかわかったもんじゃないよ」

「人が死ぬ瞬間が見たいんじゃないんですか」

「いや、それより見たいものができたからそれはいいよ」

「人は、貴方が思っているより簡単に死にますよ」

「……ほんと、怖いね。今、自分がどんな目をしてるかわかる?」

「さあ」

 目の怖さでいうなら奈倉さんも負けていないだろう。この人はきっと他人が死ぬのにも大して恐怖していない。目の前で人が轢かれたりしたら、死体ではなく、周りの野次馬の様子を静かに観察したりするんだろう。

 そんな奈倉さんは私の死より私という人間に興味を持ったらしいけど、これは非常に残念なことだ。奈倉さんみたいな危ない人が近くにいたら、お母さんに被害が出るのも避けられないだろう。前述したように私はお母さんが傷つくのが最も辛い。それを避けるため、それを見ないために私は自ら目を、知覚を、命を死なせる。
 別にこの場でなくたっていい。万一奈倉さんに拘束されても、一瞬の隙をついて死んでみせる。人は簡単に死ぬ。だけど人の死を止めるのはとても難しい。
 いつ、どこで、どうやって……死の可能性を全てを把握して防止するなんて、病院だって難しいのに、たった一人の人間ができるとでも?

 私の沈黙になにを思ったのか、奈倉さんは手をひらひらと揺らしながら困ったように笑った。

「あれはただのジョークだよ、冗談。君の母親に手はださない。そんなことしたら、毎日毎時間毎分毎秒、君の死を警戒しなくちゃいけなくなるからね」

「信用できないんですが」

「なら約束しよう。絶対、君の母親が傷つくようなことはしない」

「そうしたら、もし今日以降お母さんが傷ついたりしたら、その原因は全て奈倉さんだと思って構いませんね?」

「無茶苦茶言うね。それは君の母親の護衛をしろと言ってるのと同じだ。そこまでは面倒見れないよ」

 楽しそうだったり困ったり、コロコロと奈倉さんの笑顔は変わる。ちょっと面白くて、私はつい笑った。
 驚いた表情で喋るのをやめてしまった奈倉さんの前で、私はトートバッグを整理して、立ち上がる。

「わかりました。奈倉さんの約束を信用します。そして私も、とりあえず死ぬのは延期します」

「どこいくの?」

「帰ります。もうそろそろいい時間だし、お母さんが心配するので」

 では、さようなら。
 眠り続ける女二人も、テーブルの下のキャリーバッグも、奈倉さんとの会話も、今日起きた全てがつまらないとはもう言わない。
 面白かったものはある。奈倉さんに興味をもたれてしまった私。あんなに厄介そうな人に目をつけられるなんて、本当に面倒だ。
 お母さんはいつだったか、私の男運は自分譲りだとブラックジョークを言ったことがあった。それがまさしく今日の出来事に当てはまっていて、だから私はつい笑ってしまった。
 お母さんの言う通り、私は本当に男運がない。



 私が退室したあと、奈倉さんがどんな表情をしてどんなことを考えていたのかは、私の知りたい範囲ではない。
 



20130812
母以外に興味を持たない、価値観が一貫している女の子の話です。

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