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小連載
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とても静かな世界にいた。

鳥の声や虫の羽音どころか、風の音すら聞こえない、不気味にも思える場所だったが、不思議と不安感は感じなかった。

不安感、つまりは警戒心だ。

知らない、来たことも無い場所。どうして自分がそこにいるのか、どうやって来たのか、帰れるのか、何もわからない場所で、警戒心の一つも抱けない。

まがりなりにも戦国乱世の忍として生きてきた風羽根にはありえない話だった。



(でも、どうしてだろう。ここが絶対に安全だと、わかってしまう)



わかってしまう?

どういう事だ、それは。

頭をひねるが、今自分の思考を過ぎった言葉の説明ができない。

そこそこの年齢ではあるが、痴呆が始まるほど耄碌していないはずなのだが。



そこまで考えて、自分の服装にふと違和感を覚えた。

そして頭は相変わらず回転しないが、それでも自分が普段と違う格好をしている事ぐらいは理解できた。



墨色の忍装束は顔以外の全身を覆い、形そのものは風羽根が普段から着込んでいるものと違いはない。

ただ、手には見慣れない手甲と篭手に黒い手袋、肩にこれまた見慣れない札板、腰には腰当と草摺、足元はなぜか草履ではなく黒いブーツ、というように、今から戦場に赴くぞとような恰好をしていることに疑問符ばかり浮かぶ。

風羽根は戦忍であるが、その医術師としての腕ばかり評価されているせいでほとんど戦の最前線には投入されない。

というか忍装束自体、諜報員として動くとき程度しか出番がなかったため、もっぱら風羽根の普段着は医術師モード用の白い軽装だったのだ。

一応、装備品の手入れは欠かしていなかったが、まともに使ってやれず申し訳なく思っていたぐらいである。

唯一携帯していたのはもしもの時用の武器――苦無数本と手裏剣等の暗器類。それすら出番は少なかったのだが。



(そうだ、武器)



腰に手をやれば、見覚えのある鎖苦無が掛かっていた。

風羽根が持っていた、二本の苦無を鎖で繋げた少し変わった扱い方をする武器だ。



苦無というのは忍者だけの武器としてではなく、農民にとっての鎌やスコップと同じ道具としても使われる。

武器としても使える、刀などの長物より農民に身近でだからこそ目立たない、そんな特性を持った便利なツールだったから忍者が使っていた、とも言える。

だから医術師として民と触れ合う機会の多い風羽根は、意図して苦無を腰に下げるようにしていた。

人間相手の仕事である。相手の警戒心を解くためには、相手を怯えさせる武器は邪魔になってしまうからと、苦肉の策で農民にも身近な苦無を選んだのだ。



しかしこれは手放したはずのもの。

督姫の嫁入りの際に、姫と一緒に嫁いでいった武器。

嫁ぎ先に乳母とはいえ他所の忍を迎えさせるわけにもいかず、また北条としても診療所から彼女を手放すわけにもいかず、風羽根は督姫のお供をすることは叶わなかった。

それを嘆いた姫の願いで、風羽根の代わりにこの鎖苦無をお供させることになったのだ。

母君から贈られた御守刀の隣に忍の武器など、普通はあり得たことではないのだが、まあ生まれた時からお世話した可愛い姫君の涙、今は亡き愛する奥方との一人娘のおねだりには、あの伝説の風魔の忍の部下も稀代の賢君と呼ばれた北条当主も勝ち目がなかったと言っておこう。



これは夢か?



手にはめた手袋を外せば、白い手のひらが出てきたが、明らかに自分のものでは無い。

白い肌。汚れも染みも、痣も無い肌。

短く切られた爪は少々部格好だが見苦しいと言うほどでもない。

ただの、普通の手だった。

風羽根のように終始衣や包帯で隠すような必要のない、痣の無い手のひら。



痣が、ない。



幼い頃に闇と光の婆沙羅技を受け、生死をさ迷った末に体中に浮き上がった醜い痣。

まるで毒蛇が幾重にも巻き付かれているような姿は、人様に見せられるものでは無いと自ら隠した。

自分でも見るだけで祟られそうだと思う程度には恐ろしい痣だった。

それが、無い。



(やっぱり、)



腕と足をまくり上げ、頭にかぶっていた頭巾も取り払って上着の袷を解いてしまう。

黒い忍び装束の中には暗器を隠す幾多のベルトや鎖帷子、それも外してしまえば、男とも女ともつかない無垢な肌がそこにあった。



(私の、風羽根の身体じゃ、ない。)



夢か、と思ったのは一瞬だ。

夢とするには意識があまりにもはっきりしすぎている上に、ものに触れた感触がリアルだった。

それならこの状況は何なのか、と考えるが、思いつくのはまた転生したのだろうか、程度だ。

風羽根は、この風羽根として生まれるより前の記憶がある。平成という年号、そこにあったゲームと似通った世界に、一度死んで生まれたのだ。

とはいえ今回は死んだ覚えはないのだが。



さて、これからどうするか。


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あきゅろす。
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