小連載
法螺貝inペダル2
「部長、一着は狙わないんですか?」
世の中不公平だ。
たとえば100人が勉強なりスポーツなりを同時に初めて、おんなじぐらい努力して、おんなじぐらい熱心でも、おんなじだけ力が付くわけではない。
人はそれを才能の有無だとか呑み込みの善し悪しだとか向き不向きだとか呼ぶが、つまりは何かしらを持っている奴と持っていない奴がいるものだということだ。
天才を構成するのは9部の努力と1分の才能だという。
努力を怠る奴はいくら才能があっても天才にはなれない。
逆に精いっぱい努力をすれば天才の90パーセントは補えるという言葉に奮い立たされ、人は努力を重ねられる。
渡辺正二。
彼もその言葉を信じて努力してきた一人だ。
小学生時代から身体を動かすのが好きで学校の休み時間には運動場を駆け回り、疲れ知らずと言われるまでに体力には自信があった。
中学にあがり友人に誘われたサッカー部で汗を流す生活に明け暮れても疲れたなど考える暇も無いぐらい運動が大好きだった。
だが好きだけではどうにもならないこともあるものだ。
基本的に彼は運動が好きなのであって、その結果に執着できない質だった。
サッカーの才能が伸びなかったのはその性質が原因だったと彼もよく分かっている。
ボールを闇雲に追いかけ、取ったボールを相手に取らせないよう駆け回りうまくパスを回しシュートを決める。
サッカーが好きですと集まった部員は似たり寄ったりだった。
ゲーム構成、試合運びを体で覚え試合に臨むものの、ボールを追う行為そのものが楽しくなってしまい、なかなか相手チームに何としてでも勝ちたいという気持ちを維持できない。
もちろん勝っても負けても同じなどとは思っていない。
負ければ悔しいし勝ちたいとは思っているが、それでも試合の勝利に対する情熱というか貪欲さが負けた相手のチームに足りていなかったのだろう。
そうして悟った。
努力をタダすればいいだけではない。
それが費やした時間の長さなのか、真剣さの度合いなのか分からないが、とにかく自分の練習には何かが足りていないと気が付いた時には高校生になっていた。
それと同時に、自分はサッカーへの情熱を失った。
いや、勝利に執着できていなかった時点で、もともと持っていた分も少なかったのだろうけれど。
そして高校に入学して出会った競技がロードだった。
自分の性質をなんとなく受け入れ始めていたため、チーム競技では他の先輩やメンバーの迷惑になると判断し、個人競技ならばどうにか勝つ努力を続けられるだろうかと、水泳やら柔道やら陸上部やらの見学をした登下校時、ふっと目についた自転車置き場。
高校になって服装や持ち物の制限が緩くなり、携帯や音楽プレイヤーを持ち込む代わりに自転車通学用のヘルメットなどの姿は消えた。
その自転車置き場で目についた籠のついていない自転車にはヘルメットが引っ掛かっており、中学でいやいやかぶっていたダサい代物とは違いカッコいい。
丁度ごくごくと水筒の中身を飲み干しながら現れた一人の生徒はリュックを背負い、そのヘルメットを被って自転車にまたがる。
生徒は軽くペダルを回して、あっという間に見えなくなった。
妙に気になり次の日もその自転車を目で追った。
自転車置き場にあった印象的な自転車は自転車競技用のものだと知るのはすぐだった。
調べれば個人競技もあるらしいと知り入部届を出しておさまったのが山理学園自転車競技部。
回しただけ強くなる。
単純作業を続けるのは嫌いではないし、体力は誰にも負けない自信があった。
自分の得意分野をひたすら伸ばすスタイルで挑み、個人大会で数回入賞を果たしてついにはレギュラー入りを果たし、早3年。
無遅刻無欠席の記録が相成り監督の信頼が厚いという事で部長の役に付いた。
とあるそこそこ大きな試合だった。
一番速くゴールを目指すというシンプルさに倣い、あれこれ作戦を立てつつも起こるハプニングを跳ね除け集団の前列を走るまでに持ってきていた。
ここまで来るとただただ走るだけが使命になってくる。
奪われないよう、絶対に抜かされないことだけを考えて走る。
そんな時に、一人の後輩が何かを言った。
「先輩。どうして出ないんですか」
まだ行けるんじゃないですか?と。
試合中だというのに前ではなく並走するこちらの顔をじっと見ているのは、最近入ってきた新入部員。
なかなか伸びしろのある初心者で、この大会にも実力を測るというよりは、いずれ来る大舞台のため本番慣れさせておこうという目的で監督がエントリーさせた選手だ。
少なくとも途中で退部するようすは見えないし、今のところ皆勤賞。二年になったら確実にレギュラーになっているだろう。
今も初めての大きな大会に緊張する様子も無く、せっせとペダルを踏むことに集中できているあたり、肝が据わった図太さがにじみ出ている。
そんな期待の新人は道の上以外でもしたたかな男で、どうやったらそんな社交性をその年で身に着けられるのだろうと思うぐらいに他人の懐に入り込むのがうまい。
成績優秀な生徒の多いこの学園、悪く言えば勉強ばっかやってきてしまった世間知らずの割合が高い一年生の教室では、どこで覚えてきたんだというような豊富な話題を武器に教師にも生徒にも一目置かれているらしいと聞こえてくるぐらいには、濃い後輩だった。
「七島。着いてこれてたのか」
「はい。渡辺先輩、どうにか。」
「そうか」
今回はそこまできつい坂も多くないかわり、だいぶと長いコースを走る。
体力バカの自分には理想的な状況で負けられないと、上げ目に走っていた自覚がある分、後輩がこのペースに着いて来れていた事には少々感心した。
無理をして追っかけてきていたのではないかと思ったが、見たところ限界が近い様子も無い。
最後の追い上げで順位は変わることはあっても、きっちり完走するだろうと予想できる安定した走りだ。
「渡辺先輩」
「ん?」
「ゴールってどういうものなんですか」
「さあなあ。俺は獲った事ないんでな」
「そうですか」
なぜ出ないんですか、と二度聞くつもりはないらしかった。
正解だ。
一度した質問を蒸し返すようなまね、試合中にするべきではない。
ゴールまであと2キロ。
多分、こいつはもう少し位ペースを上げることができるのだろう。
けれど自分ではレースの配分をうまく決められないと分かっているから、こうして先輩である自分に張り付いて勉強しようとしている。
ここで出るべきか、決めかねずにいる。
出た方がいいと感じているが、それをしないのは自分が一年で、前を先輩が走っているからだけではない。
賢いな、と思った。
まあ、妥当な判断だ。
入部早々、上下関係に亀裂を入れるマネはしないに越したことはない。
それにもし七島がここで残り二キロを全力で走っていったとしても、その後スタミナは持たない。スピードが落ちてきたところを自分が抜くことになる。
元より後輩に負ける気はないし、上下関係を大切にする体育会系監督にも何があっても後輩には順位を譲るなと言われている。
七島もその空気を感じ取っているだろうし、そもそも自分が実力で先輩に勝てるとも思っていないようだ。
似てるなあ、と思った。
誰もが一番を目指しているはずのロードレースの試合で、最初っから一番を目指さずに一つ低い目標を立てておいて、それにしか力を注がない。
後輩の場合は自分の後ろをついて走る事。
自分は、なんだろうか。
高校最後であるのだし、表彰台に近づきたい。
でもそれは明確な一番ではなくて。
それを考えると、後輩に申し訳なくなってきた。
後輩は自分より前を走ることはできない。
なのに自分がこれでは、二番にすらなれないだろう。
すでにこのゴールまで残り2キロ弱の間には、数名が間に走っている。
はたして自分は彼らを抜いてゴールできるのか。
というかそのつもりはあるのか?正直なところ、強く言えない。
ならどうするか。
ふと思いつく。この後輩が前を走ってくれたら。そうしたら自分はなにがなんでもそれより前へ行こうとするだろう。
結果的に順位も上がる。
わざと前を走らせて後から追い抜いてやろうという考えは後輩いじめの鱗片をのぞかせている気はするが、必死で競争しようとすれば後輩自身の順位も上へ行く。途中で疲れ果てて、戦意消失さえしなければ、だが。
数時間走り続け、疲れた頭が考えたそれはとても素晴らしく思えた。だから言う。悪気も無く。
「前、走ってもいいんだぞ。七島」
言ってから、少しやってしまったと思った。
遠慮しいな後輩はこれでは出ようとはしないかもしれない。
「え?えーと、あ。じゃあ遠慮なく」
しかし返ってきたのはそんな言葉だった。
後輩は、すう、と一つ息を吸ったかと思うと、カチンとギアを上げて加速し始めた。
なかなかスムーズな加速だ。
そう思うが、しかしこれと言って速まった様子はない。
渡辺の正面に出たかと思うと、一定の距離を保って進んでいる。
飛び出さないのだ。
何をやっているんだと思ったと同時に、後輩は言った。
「あの、もう少しスピードあげてもらっても大丈夫ですよ。俺が風除けの意味ないじゃないですか」
「、」
一瞬、呆けた。
振り返って情けなさそうに眉を下げた七島の顔は、あくまで先輩の言った事をやっています、という表情だった。
そうだ、賢い奴なのだ。こいつは。
さーっと頭が冷えていく感覚に、渡辺は妙にすがすがしい気分になった。
なるほど、その方が合理的だ。
横を走っている選手を利用してモチベーションを上げるなら、いっそ協調した方が手っ取り早い。
むしろ七島にとっては先輩の風除けになる役に付くことで強制的に責任感が生まれ、それこそただ同学で競争するよりも力がでる。
「いいのかよ」
「なら、一着を獲ってもらいます。」
「生意気な」
「やる気、出るでしょう?」
「はあ?」
にいっ、と七島が笑う。
いたずらっ子の顔だ。
「だって自分一人分の想い(ガソリン)じゃ全力出せないタイプですもん、渡辺先輩。」
ぐい、とペダルを踏む。
「誰かに背中押してもらわないと100パーセント出せないんでしょ。だから俺がお手伝いします」
「なんやむかつくやつやな、お前」
「俺頑張るから一着とってね☆」
「250までアシストせエ」
「はーい」
残り、1.5キロだった。
前を走る一人目の背中を見つけた時、いける、と確信した。
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