《ウサギのナイト》
―仁王視点―
ちあきは遅刻してくると真田から聞いたが幸村があまりの遅さに心配しているようだった。それで部活中ではあったが、真田の目を盗んで電話を掛けてみた。
残念ながらちあきは出なかった。気付かなかったのかもしれないと思い、メールを打っておいた。
しかし、30分、1時間経っても一向に帰ってくる気配がない。
「矢倉さんはどうしたんだろう。真田、彼女から聞いたのは本当にそれだけだったのかい?」
「あぁ。確かに矢倉はそう言った。」
「ふぅー」
レギュラーみんなで心配していた。そのため、どこかみんな集中力が散漫していた。
やがてブンの携帯に1通のメールが届いた。
「ちあきからだ!」
その言葉にみんながブンに視線を集めた。ブンは携帯を眺めてしばらくすると顔を歪めた。
「なんかちあきの母さんが急に倒れたらしいぜ。それで帰ったって。」
「荷物置いてか?」
「俺に持って帰ってきてってよ。緊急だったんじゃね?」
「ふーん?」
ちあきん母親が倒れたってのは心配ではある。しかし、気になるのはトイレに行くと言って1時間も帰らなかったこと。
部活を終えて、ちあきんロッカー見てみるとジャージと鞄が置いてあった。
「のう、」
「あ?」
「いや…なんでもなかよ。」
ロッカーをブンが開けたときに微かにした臭いが引っ掛かった。間違いなければ牛乳の臭い。
「じゃあな、仁王。また明日〜」
「おう、」
「ブン太さん帰るなら俺も帰ります!」
同じ方面に向けてを歩く赤也がブンの帰宅宣言を聞いて慌てて支度を整えた。
俺はブンから見えない距離を保ってちあきの家を目指すことにした。
その途中、スーパーを通り掛かり、適当にお見舞いになりそうな果物を買ってからブンを追った。
ブンがちあきの家に入って行くのが見え、離れていた距離を詰めた。
「おばさん、起きて料理なんてしてて平気なのかよ!?」
半開きの玄関からそう驚いた様子でブンが言っていた。
倒れたというおばさんがエプロンをしていたか、フライパン返し、またはおたまを持っていたのかもしれん。
「え?なんで?」
「ちあきにメールもらったんだよ。」
「なにかの間違いかもしれないわね。」
「…そっか、ならいいんだ。」
「ブンちゃんには昔からお世話かけてばかりね。まったく、手ぶらで帰るなんて。」
「ま、いいって。なんか用事だったかもだし。ちあきにシクヨロ。」
「ありがとうね。」
ブンが帰るようだったから近くの家の塀の影に身を隠した。そのため、ブンは俺に付けられていたことに気付かず、帰っていった。
俺は少し時間を開けて、矢倉家を訪問してみた。
「あら、あなた…」
「クラスメートでテニス部員の仁王雅治です。」
「(ちあきはモテモテね。)」
「ちあきに話があって来たんです。ちあきはご在宅ですか?」
「えぇ。上がってちょうだい?二階の一番奥の部屋だから。」
「失礼します。…これ、ちょっとしたもんですが召し上がってください。」
「ありがとう。」
なぜこんなに簡単に家に上げてくれたんかわからんかった。素性なんて知らんじゃろうに。
ふと、あることを思い出しておばさんに尋ねてみた。
「あの、聞いていいです?ちあきが帰宅したとき、家におばさんおられました?」
「ええ、帰るなりすごい勢いでお風呂場に駆け込んだわ。」
「…牛乳臭くありませんでした?」
「え?」
答えを聞かずともわかった。少し驚いた様子で俺を見ていたおばさんに会釈して俺は二階に上がった。
「(……さて、素直に認めるか。俺んただの勘違いか。)」
教えられた一番奥の部屋を前にして深呼吸した。それから数回ノックするとちあきから返事が聞こえた。
「入っていいか?」
『!』
「それとも出て来てくれるか?」
答える間もなくちあきは部屋から飛び出てきた。まさか、家に俺が来るなんて思いもしなかったろう。
『なんで?って聞けば良い?』
「おばさんが家にあげてくれたん。」
『…そう。なにか用?』
「今日、なんかあったじゃろ?」
『……』
うまい言い訳を探しているように見えた。目を泳がせていたからだ。
俺は困らせたかったわけじゃなか。ただ、真実を確かめに来ただけだ。
「…ちあき、もうちょい近う寄りんしゃい。」
『な、なんで?』
「寄ってくれんのじゃったら俺から寄るが?」
後退りしたちあきに逃げられないように少し迫った。そして、少し屈んでちあきん目を見てこう言った。
「素直に言うてくれ。俺のせいか?」
『なんのこと?』
「ウサギさんになっとう。」
『!』
手を延ばし、ちあきの目尻に触れた。そして、髪をいくらかすくい、鼻を近付けた。
「臭い取れたんか?」
『……仁王くん。もう…私に近づかないで。』
震えた声で言われて胸が痛んだ。
随分苦しめたんだとわかったから。
「ちあき、悪かった。守ってやれんくて悪かった。」
手を握って真剣に謝った。謝って傷が癒えるわけではなくても、謝った。
それにしても苦しめたことを知れてよかったと思う。そうでなければこのまま……
「守る。」
『え?』
「守るって約束する。じゃき、俺から離れなさんな。」
『ま、さは…る。』
「俺、ちあきが大事なん。」
そう言えば、堪えていたものが溢れたように涙を流して泣き出した。静かにちあきを抱き寄せた。
抱きしめてはない。触れている部分は頭だけだった。ちあきの頭が俺ん胸に触れ、その頭を片手で支えただけ。
今は抱きしめられなかった。
自分の無関心さゆえに好きな人を苦しめることになるなんて思わんかった。自分を許せなかった。
「またウサギになるなんてな。余程泣いたんじゃろ…」
『ごめん。』
「謝りなさんな。ウサギに会うのは今までもこれからも俺だけでいいん。ウサギになったちあきも可愛い。」
『!……ありがとう。』
自分で涙を指で拭って、笑おうとした。
泣いたばかりで笑いきれてなくてもその気持ちは嬉しかった。
「牛乳ぶっかけんくてもちあきんお肌は十分スベスベじゃ。」
『…知ってたの?』
「気づいたん。鞄の臭いでのう。」
『……』
「自分を責めなさんなよ?俺はちあきじゃなけりゃこんなことまでしたいとは思わん。かえって、ちあきとの絆が強まった気がして嬉しいんじゃ。悪いのう。」
『ううん。私もありがとう。』
そう言ったちあきの頭を子供に褒めるように撫でた。
そんなやり取りをしといるとき、おばさんが階段下から声をかけてくれた。
「仁王くん。もしよければお夕飯どう?」
『食べて行ける?』
「ちあきが食べて行けというなら喜んで。」
『うん!お母さん、今手伝いに行くよ。』
そう言って階段を下りようとしたちあきの手を掴んで引き止めた。
「今後、辛いときや泣きたいときは例え原因が俺でも俺のところに来るって約束しんしゃい。」
『…うん。』
「こんな言い方しか出来んくて悪い。」
『ううん。ありがとう、』
ちあきに好きと伝えるのは自分が彼女に釣り合う男になれたとき、ちあきの気持ちが整ったときだと決めた。
今は彼女を守るナイトになる。ただそれだけ。
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