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《特別な存在》
―仁王視点―


やっぱりブンには悪いが矢倉を譲るつもりはこれっぽっちもない。

こんなにお互い気持ちが通じとうのに手放すバカはまずおらん。


『私は嫌じゃないけど…仁王くんは嫌じゃないの?』


不安げな顔でそう尋ねてきた彼女を見てついつい立ち止まった。

それで矢倉の正面に立った。

すると手に持っていた矢倉の鞄を彼女は受け取り、次にそれを肩にかけた。


「矢倉は嫌じゃないんよな?」


再度尋ね直したのは矢倉の本心を確認したかったのかもしれん。

それと自分が不安だったから。


『うん。』

「…なら、嫌なわけないじゃろ。」


彼女の答えを聞けた俺はそう答えた。

しかし、彼女の顔から不安の色が消えることはなかった。


「嘘は言うとらんぜよ?」

『仁王くんは今まで嘘ついたことないからそれは信じてる。』

「ならなんでそんな顔するん?」


手を延ばした。

いや、勝手に手が動いた。


“まだそれは早い”


自分の頭というスクリーンに映る俺達は映画でよくある恋人達が見せるワンシーンのようだった。

グッと自制して、その手を矢倉の頭に持っていって優しくその髪をすいた。


「手を繋いだきっかけはなんであれ、その後、相互に手を放さなかったんはなにかしらあるんじゃなか?」


失恋したばかりの彼女に告白する勇気はまだなかったし、新たな恋をする気があるのか、気持ちが回復しとうかわからんかった。

だから遠回しに伝えてみた。

嬉しいことにそれを矢倉は受け取ってくれた。


「今はこれでいんじゃなか?…そう思うのは俺だけか?」

『そんなこと…』

「ちあきもそう思う?」

『!』


呼び慣れない名前で呼んでみた。

結果、なんとなく照れ臭くなった。

矢倉はと言うと驚いていたみたいたが決して嫌な顔はしていなかった。


『まさか、仁王くんが名前で呼ぶ日がこんな早く来るとは思わなかった。』

「呼びたくなったから呼んだまでじゃ。理由は特にない。」

『それでも嬉しかった。私、仁王くんの中でたった一人の人物になれたってことだよね?』


なんて器用な言い回しをするんじゃ。

確かに矢倉と言う家系のちあきと言えば一人の人間を指す。

それは彼女にすれば嬉しいことなのだろう。

そうやって素直に喜んだ矢倉を羨ましく思った。


「…のう、ちあき?」

『ん?』

「俺……」

『なに?』

「…はぁー意気地無しじゃのう。」


好きだとか、彼女になれだとかそんなことを言いたかったわけじゃない。

なのにこんなに心臓がバクバク言ってるなんて情けん。


「もうちょい近(ちこ)う寄りんしゃい。」


ちあきを歩み寄らせて繋いでる手と逆の手をとって胸に当てさせた。

自分の鼓動を感じてほしかったからだ。


『……緊張してるの?』

「たぶん。…ちあきんせいじゃ。」

『私?』


意味が伝わったかは別として、鼓動をしばらく感じ取っていたちあきはふと笑って言った。


『私も実は緊張してたの。一緒だった。』


安心したのか優しい表情で笑っていた。

普通、こういう状況になれば男は抱きしめたいだとかキスしたいだとか思うのかもしれない。

でも不思議とそうは思わんかった。


『仁王くん。』

「ん?」

『雅治って…呼んでいい?』

「そう呼びたいと思ったんなら。そう呼ばれたら喜んで返事するぜよ。」


そう言った俺の言葉から試してみようと思ったのだろう。

照れ臭そうにほんのり紅潮した頬を人差し指でかいてから俺の名を呼んだ。


『雅治。』

「おう、」


互いに恥ずかしくなり、ふと笑った。

俺はちあきの頭に頭を寄せた。

そしてまた、二人で笑った。


「よかった。俺もちあきん中で一人の人間、特別な人間になった。」

『でも…雅治なんて私が呼んでいいのかな?』

「なにか問題でもあるん?」


眉尻を下げてちあきはそう言った。

どんな心配しなければいけないことがあるというのか。


『さっきも言ったけど、雅治はモテるから…ほら、ファンクラブあるくらいだし。』


なんだそんなことか、と内心で思った。

ただ、女子同士では大問題となりかねなかった。


『ファンクラブの掟にあるの。一つ、仁王くん、と呼ぶこと。一つ、仁王くんと話をするときは二人以上で。…って。』


そういうファンクラブとかの絡みは嫌いじゃ。

だいたい、そんな風に団体でキャアキャア騒ぎ立てることやファンクラブ自体を作る理由もわからんかった。


「ちあきはそのクラブん会員なん?」

『違うけど。』

「なら、例えファンクラブの掟があったとしても、ちあきには関係ないじゃろ?守る義務はない。」

『雅治はすごいね。怖いものないんじゃない?』


目の前のウサギは羊の皮を被ったライオンのような恐ろしい団体に怯えていたようだ。


「それにさっき言うてた。ちあきの中で俺が、俺の中でちあきが特別になった。」

『特別…』

「そう特別。ファンクラブのヤツらとは違うん。だから安心しんしゃいよ。」


そう言って彼女を安心させることが出来た。が、女の執念や怨みは本当に恐ろしいと言う。

そう、ちあきが特別になることでなにもないわけがなかった。





あきゅろす。
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