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春、少女は旅立ち、僕はひとりここに留まる
「ねぇ、ほら、先生、泣いてる子がいる」

屋上の給水塔の上で瀬隆は妙にはしゃいだ声で俺に呼びかける。
いったい何がそんなに楽しいのか、鉄柵に乗り出した瀬隆が校庭を指さしてぴょこぴょこ動く度に瀬隆の短すぎるスカートがひらひらと揺れて俺は目のやり場に困る。「全く最近の若い奴は…」そんな風に感じてしまうのはきっと俺がもう若くはない証拠なんだろう。
「先生、ほら、あそこ、あそこ」
瀬隆は興奮して呼びかけるけど、俺にとって、卒業式に泣く生徒など珍しくもなんともない。いままで何遍も通り過ぎた事のある見飽きたおなじみの光景。
「危ないから、もう降りな」
瀬隆の訴えを無視して俺がそういうと、瀬隆はガキみたいに頬を膨らます。
「つ、ま、ん、な、いィーーー」
瀬隆はブーブーと不平を言いつつ、それでも素直に給水塔に取り付けられた梯子に手をかける。白い瀬隆のスニーカーが錆びた鉄の梯子をカンカンと鳴らす。梯子の最後の三段を踏まずにジャンプして飛び降りると、瀬隆はいたずらが成功した少年のように俺に得意げに笑ってみせる。
この年頃の生徒は体だけでっかくなっても中身はまるでガキと変わりはしない。そのくせときどき部分的に大人びているから、扱いがひどくめんどくさい。

「ねぇ、先生?」

「ん?」

「卒業式、先生は泣かないの?」

「何でおれが泣くんだよ」

「だって、お別れは旅立つ人より残される人のほうが悲しいって言うじゃん」

「泣くか、何年教師やってると思ってんだ、アホ、」
俺は煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出す
毎年毎年、本気で悲しみにくれるようじゃ教師などやってられやしない。

「先生は冷たいんだね」

「そういうお前はどうなんだよ瀬隆?」

「わたし?」

「まぁ瀬隆は卒業式ぐらいで泣くようなたまじゃねーか」

何か言い返してくると思ったが、予想に反して瀬隆は何も言い返さなかった。まるでおれの軽口が聞こえなかったようにくるりと回転し、こちら側に背を向けてしまう。


「先生、私、卒業したら、先生のお嫁さんになりたいな」

まるでせりふを読み上げる様に抑揚なく瀬隆はしゃべる


「無理だろ」


「どうして?」

「お前が生徒で、おれが教師だから」

「だってわたしもう卒業するんだよ」

「卒業しようが俺は教師だし、俺にとっちゃいつまでもお前は生徒だよ」

「頑ななんだね」

「それぐらいの自制心がなきゃ女子高の教師なんてやってられねーよ」

「先生は。偉い。ね。」

持って回したような瀬隆の話し方に俺は少しイライラして、煙草を携帯灰皿に押し付ける

「大体お前東京の大学に進学決まってるだろ」

「だって、それは、先生がそうしろっていったから…」
全部俺が悪いって言うのか?かっとなって一気に頭に血が昇っていく

「でも決めたのはおまえだろ」
言ってから自分の声にこもる悪意に後悔する。おれも自分から離れていくこいつを責めているのか?自分からそう仕向けたくせに?馬鹿げてる

瀬隆はうつむいたまま黙り込んでしまう。目の前で震える小さな肩に、どうしてよいのか分からず柄にもなく俺は戸惑う

「瀬隆…?」

「なあに?先生」
声をかけるといたずらっぽい笑みを顔いっぱいに浮かべて瀬隆は振りむいた。


「なあに先生その顔」

狼狽する俺を見て瀬隆はおかしそうに笑う。

「泣いてるかと思った?」

「や、まぁ、ちょっとな」

「瀬隆はこんぐらいで泣くようなたまじゃねーよ」

俺のまねをして言いながら瀬隆は一歩前に出るとおれの胸にコツンとおでこをひっつける
「ねぇ先生、瀬隆は先生のこと好きだよ」

「ああ」
何と答えていいか分からず、おれはあいまいに間抜けな相槌を打つ。
目の前で震える小さな肩を引き離すべきか、抱きしめるべきか、俺には答えを出すことができない
「私先生のこと一生忘れないから」
震える声でそう言うと、瀬隆はおれの胸からするりと抜け出す。後ろで扉が開く音が聞こえて、階段を降りる靴音はしだいに遠ざかってしまう。

俺は大きくため息を漏らす。

校庭を見下ろすと満開の桜の下生徒たちが思い思いに別れを惜しんでいる。
あいつらがいなくなればすぐに新しい奴らが入ってきて、そいつらだってすぐにここを出て行っておれたち教師だけがいつまでもここに取り残される。因果な商売だよな。実際。

「私先生のこと一生忘れないから」
震える瀬隆の声が耳の奥で反響している。
一生ってお前の人生が後どれだけ続くのかわかってんのかよ?
俺は苦笑する。
くだらない感傷に一生を支配されるだなんて思いこめるのはこの特殊な空間に閉じ込められてる間のやつらだけに与えられた特権だ


忘れっちまうさ、瀬隆、娑婆に出ちまえば、そんな気持なんかすぐに

残酷な春の風に、桜の花弁は寄る辺なくひらひらと中空を舞って、そうして、やがて、留めようもなく。

落ちていく。

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あきゅろす。
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