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彼の嫉妬、彼女の泣き顔
 

 その日、皇帝に提出する書類に必要な資料をラシードに頼まれ、探していたシュクリーは多くの資料室にあるとある小さな資料室に入った。

「・・・・・シハードさま?」

 ぴんと張った背筋が、本棚の間から垣間見え、少し戸惑い気味に名前を呼んでみる。それは最年少で宰相大将になったシュクリーよりひとつ年上の、上司。
 目の前にいる背中は、ぴくっと少し動き、シュクリーを振り返った。

「あ・・・ああ、先日の」

 神秘的な黒のひとみが少し大きめに開かれ、形のいい唇から言葉が零れた。
 それは確かにシュクリーの憧れである上司、ラーイウ・マームーン・シハードその人であった。

「シュクリー・ヒッリザ・アッ・サラームといいます。宰相中将の補佐官です。シハードさまも資料を?」

 シュクリーは内心憧れの人に声を掛ける興奮でドキドキしつつ、シハードのひとみをじっと見つめる。ここ最近シハードを近くで見つけたら物陰からこっそり見つめていたのだが、シハードのその黒々としたひとみに憧れる。自分も黒なのに、どうしてこうも違うのだろうと鏡に映った自分のひとみを少し恨めしく思った。

「ああ。貴下も資料を使うのか」

「はい。ダッ・バールさまに頼まれまして」

 手短くやり取りを済ませ、仕事に専念する。話したいのは山々なのだが、仕事があるので我儘は言えない。ラシードも早く書類を作り終えたいのか、いつもより要領よくやっている。
 そう思い、ラシードが求めていた資料の名前のメモを手に、自分の背丈よりも大幅に高い本棚を相手にシュクリーは資料を探す。
「・・・・・・あ」
 まずひとつめを見つけた―――のだが、高い位置にそれはあり、何分背が低いシュクリーには届かないにもほどがある高さだった。

「・・・・・・・・うう」

 自分の背の低さを呪いつつ、シュクリーは近くに置いてあった台を引きずってそこに立ち、手を伸ばす。やはり高くて届かないかと思われたが、指の関節のところに本の背表紙が当たったので、これなら取れるだろうと期待して背伸びをする―――した、のだが。

「―――わわわわわわわっ?!」

 大きな音とともに、シュクリーの身体が地面に落ちた音が加わり、ドドンと大きな音が資料室に響いた。そしてもうもうと立ち昇るほこり。

「大丈夫か?」

「す・・・すいませ」

 ほこりが舞い上がってもうもうと煙のように辺りが白く包まれる。かなり前から掃除していなかったと見られるので、そのほこりが舞い上がる白さは言いようのないくらいのものだった。
 げほげほと咳をしながらシュクリーはシハードに手伝ってもらって、立ち上がる。

「わー・・・・ほんとにすいません〜・・・」

 背の高いシハードに見下ろされながら、憧れの人の前で失態をおかしてしまった恥ずかしさでシュクリーは顔を真っ赤に紅潮させた。手で触れれば、なんて熱いんだろうと思ってしまうほど血が頭に上っていく。

「いや・・・貴下が大丈夫なのか」

 シハードは自分の制服についたほこりを叩き落し、ついでにシュクリーの白いローブについたほこりも取ってくれた。

「ありがとうございます」

 シュクリーは紅くなる顔を抑え、礼を述べる。するとシハードは柔らかく微笑んでいいや、と返事するので、初めて笑顔を見た嬉しさやら恥ずかしさやらでシュクリーの顔は再度紅くなる。

 もうもうと立ち昇っていたほこりもだんだんと静まっていき、ひと段落したあと、シュクリーは口を開いた。

「あの・・・・こんな時に言うべきことではないんでしょうけど、シハードさまって最年少で宰相大将になられたんですよね」

 シハードはこくりと頷き、シュクリーをきょとんとした顔で見た。

「とても、憧れてます。私もシハードさまみたいに、かっこいい出世が出来ればいいんですけど」

 えへへ、と笑いながらシュクリーは告白した。その告白にシハードは少し頬を紅くさせる。

「・・・・・そうか? そう思ってくれてるなんて思いもしなかった。ありがとう、礼を言う」
「いえいえ」

 首に手を回し、恥ずかしげに顔を俯かせるシハードに、シュクリーは少しどきっとした。寡黙で厳格な印象のシハードに、まるでおさない少年のような影が見える。知らない面がぽろぽろと出てくることにシュクリーは少し驚いた。

「そこにいるのはシハード宰相と・・・・ラシード宰相の補佐官か」

「え?」

 静かな資料室に、男にしては少し高めの声が聴こえた。よく皇帝の側近であると言われている、パナフィート・ズィヤーダ・マウハード宰相大将の声だった。いつの間にか資料室に入ってきていたらしい。

「君、失礼だがそこに分厚い歴史書はないか」
「あ、ここ、これですかっ?」

 シュクリーは唐突の指名に戸惑いながらも、近くにある“歴史書”と背表紙に字が躍っている本をマウハードに渡す。

「ありがとう。それでは失礼する」

 彼はシュクリーに簡潔に述べると、さっさと資料室から出て行った。その速さといったら、あの上司の右に出るものはないんじゃないかと思える素早さ。

「相変わらず足の速い・・・・」

 となりでシハードが呟くのを、シュクリーはぼんやりとした頭で聴いていた。


 さて。資料室を素早く出たパナフィートは、早速王の執務室に急いだ。鈍感な王のために、シュクリーとラーイウ宰相が密室の資料室でふたりきり、という事実を伝えるためだ。何故自分がこのようなことをしなくてはならないのだろうか、などと彼は考えない。自分の身は全て王のために捧げているパナフィートにとって、そんな理由は愚問としか言いようがないからである。

「失礼、陛下」

 ドアのノックも手短に、パナフィートは入室の許可ももらわず中へとずかずか入っていく。いつものことである。大体幼いころから親友だと言い合っていた仲に、遠慮なんて言葉は存在しない。

「・・・・・資料、見つかったのか」

「ああ・・・・それはいいんです。陛下が気にしなくても」

 少しぶっきらぼうに問いかけてくる声に返事をし、パナフィートはさっさと伝えなくてはならないことを言葉にした。

「陛下、ルウィーズ宮の三階の小さな資料室で、シュクリーとかいう宰相補佐官とラーイウ宰相がふたりきりになってますが」

 その途端、前を横切る身体。その身体が動くことによって生まれる風が、パナフィートの肩ほどの髪をふわっと揺らした。その身体とはもちろん、御歳22の若き王だということは言うまでもない。

 嫉妬に狂って、普段走ることを嫌う王が走っていることに、パナフィートは少し笑みを零した。
 王の執務室では、肩ほどの髪をゆらゆら揺らして笑う声がひとつ、響いた。



 そのころシュクリーは、シハードに手伝ってもらいながら資料集めを開始した。何分ラシードが欲しがっていた量が多いので、大変なのだ。それにシュクリーにとってこの本棚は、高すぎる。またさっきのような惨劇になりかねない、とシハードが自分から手伝うと申してくれた。その気持ちをありがたく受け取り、今の状況にある。

「えー・・・っと、二段目の一番薄い冊子ですね」

「これか」
「はい」

 あちこち指を差してシュクリーが資料を探し、シハードに取ってもらうという図。そこにはなんの色気もなく、ただ背の高い兄が背の小さい妹の取りたいものを取ってあげている図となんら変わりはない。
 でもそれにふたりは色気を求めているわけではない。資料を求めているのだ。

「結構あるな。あと何冊取ればいいのだ」

「あー・・・・あと五冊ですね。すいません、私がひとりでやりますから、シハードさまはどうかお休みなさってください」

 ふう、と少し疲労感の漂う溜め息を吐きながらシハードが言ったので、シュクリーは本棚の合間にある椅子を指差して休むよう促すが、シハードは別に大丈夫だと言って拒否した。そしてまた無言でシュクリーの指差す方向を見て、資料を取る。
 そんな風に、また求めた資料の数が満たされてきたときだった。

 がらりと資料室のドアが開いたかと思うと、入ってきたのはあの意地悪な皇帝。

「陛下? どうしてこんな場所に」

「来てはいけないとでも?」

「そんなことはありません・・・が、執務は」

「もう終わっている」

 シハードが皇帝に跪き、問いかけをするが皇帝から返ってくる言葉は少しぶっきらぼうで不機嫌だった。
 シュクリーも一応跪き、皇帝とシハードのやり取りを聞いていたが、急に皇帝に睨まれたので少しびくりと身体を痙攣させてから、皇帝のひとみを見つめなおす。シハードと同じ、黒の色だった。だが少し違って、その色は神秘的だ。

 皇帝の口からどんな言葉が出てくるのかは予想もせずに、ただその形のいい唇から零れる言葉をシュクリーは待つ。静かな空気が一瞬、静かに吹いた。

「男女が密室でこんなところになど・・・・仕事中に情事ということか?」

 温かい言葉が出てくるなど、思ってはいなかった。その冷徹な言葉しか零していないような唇からそんな言葉が出てくるなんて期待はしていなかったが。

 少し、ショックだった。

「陛下! 私と彼は男同士です。その上この政治が動くと言われている神聖なルウィーズ宮の一角でそんなことをするわけが・・・」

 シハードは言葉を切った。それは言葉が見つからなかったというわけでも、図星だったわけでもない。
 ただとなりにいたシュクリーが、大きな黒のひとみから大粒の涙を零して、皇帝の横を通り過ぎ、資料室を足早に去っていったからだった。

「アッ・サラーム!」

 シハードはシュクリーの名前を呼んで止まるように言ったが、シュクリーは小さな足音を残して、静かに素早くどこかへ駆けていく。

 シハードは目の前にいる皇帝を見ると、はっきりと、けれど静かな声で言った。

「陛下。私と彼は色恋沙汰の関係ではありません、どうかご理解を。とりあえず、この場合陛下が追うべきなのではないでしょうか。一端に口答えは出来ない身ですが、これだけは言っておきます」

 シハードは言い切り、立ち上がって皇帝に背を向けた。ドアの付近にあった影が素早く行動を起こすのを背中越しに感じ、小さな溜め息を吐いた。

 彼もまた王補佐官に続いて気付いたのだ。

 冷徹帝王と宮の裏で呼ばれ続けていた皇帝の中にある、小さな温かい芽を。

「どうかあのお方が、いい方向へ促すような気のいい言葉を掛けられればいいのだが・・・」

 あの小さな可愛らしい補佐官を引きとめ、素直に物を言えない性格の皇帝が、果たして謝れるだろうか、と少し心配になりながらも、静かでほこりくさい資料室の中、シハードはまだ花の開かない芽を温かく見守ろうと決心したのであった。


 

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あきゅろす。
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